飯田街道(伊奈街道)その4<伊勢神峠~月瀬の大杉>
このコースでは、稲武町の古い町並みと旧蹟および杣路峠が二大ポイントと言えよう。
稲武町は昭和15年に稲橋村と武節町が合併して発足したものだが、歴史的には飯田街道、美濃街道(国道257号線)、鳳来寺・秋葉山への分岐点にあり、武節宿として栄えた地域である。ただし、何度も大火災に見舞われ、宿場に関する資料は残っていないという。
一方、杣路峠は明治27年に国道153号線が開通するまでは野入と根羽村を結ぶ唯一の生活道路であった。野入の登り口と峠の標高差は約200m。登り道は踏み跡だけの山道で、倒木が多かったものの、迷うことはない。平成21年8月に歩いた時よりも山道の状況は好転しているように感じた。
根羽村側へ下る道は簡易舗装の道で、所々に石仏が残っていて、なんとなくほっとする道だ。
なお、この先飯田市にたどり着けるのは、平成24年に歩く予定である。
コース:P 駐車地点→0.4km→伊勢神宮遥拝所(①の地点)→0.1km→伊勢神峠(②の地点)→
3.6km→八幡社(③の地点)→0.9km→ウレ道の水神(④の地点)→0.5km→小田木のエ
ノキ(⑤の地点)→0.3km→石仏等(⑥の地点)→0.3km→石仏等(⑦の地点)→0.4km→
稲武郷土資料館(⑧の地点)→3.2km→真弓大橋西交差点(⑨の地点)→0.7km→腰掛け
石と道標(⑩の地点)→0.9km→道の駅(⑪の地点)→0.7km→武節城址(⑫の地点)→
0.8km→古橋懐古館(⑬の地点)→0.4km(瑞龍寺立ち寄り)→道標(⑭の地点)→0.6km→
大井平公園(⑮の地点)→2.7km(風のつり橋、滝見台、八幡社立ち寄り)→馬頭観音石碑
(⑯の地点)→1.7km→石仏群(⑰の地点)→0.1km→地蔵峠(⑱の地点)→2.4km(神明社
立ち寄り)→杣路峠登り口(⑲の地点)→5.3km→月瀬の大杉(⑳の地点)
日付:平成23年9月25日(日)ほか
天候:いずれも晴れ
所要時間:6時間30分(寄り道分を除く)
歩行距離:26.0km(寄り道した分の距離を含む)
コース地図を開く ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
(初期値は1/10000) 表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
場合はこちらの「8」参照
なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。
(移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
1.この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。
2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくださ
い。
地図の呼び出し方について、詳しくはこちら
6.留意点
(1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
ある。
(2)上記地図の経緯度線は「世界測地系」(GPSではWGS 84)に従い、目安として手書きで表示したものであり、各地
点の表示は「秒」までに止めた。青線の間隔は10秒(横は約250m、縦は約300m)ごとである。
(3)高度表示については、約5m~10mほどの計測誤差がある(ほとんど低めに表示されてい
る)。
(4)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。
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(各地点の説明)
P 旧伊勢神トンネル南西口前路肩【北緯35度10分15秒 東経137度25分39秒】トンネル前
の道路は広く、交通量はほとんどないので、ここに駐車。
①伊勢神宮遥拝所【北緯35度10分19秒 東経137度25分48秒】。東海自然歩道の説明板に
よると、「その昔近郷近在の人々が元日などに遙か伊勢神宮を拝んだところで、伊勢神峠
の地名は『いせおがみ峠』が訛ったものだと言われている」とある。
②伊勢神峠【北緯35度10分20秒 東経137度25分46秒 標高777m】。説明は前回のデータ
を参照されたい。
③八幡社【北緯35度11分21秒 東経137度26分59秒】。境内には樹齢300年、500年の大
杉がある。
④ウレ道の水神【北緯35度11分19秒 東経137度27分13秒】。小田木公民館の向側、道路
から2m程高い位置にあり、意識していないと気付かず通過してしまう。多分、昔は道路が
高い位置に取り付けられていたのだろう。水飲み場の脇に石仏が3体。
私が訪れた時は前日、雨が降ったので馬の水飲み場には湧き水が流れ落ちていたが、普
段も水があるのだろうか。
⑤小田木のエノキ【北緯35度11分32秒 東経137度27分24秒】。青木眞寿美氏宅の庭木とし
て生育しており、そのためこの家の屋号は「榎」である。屋号にもなっているほどであるから
かなりの古木と思われる。根廻り3.64mの巨木である。
⑥石仏等【北緯35度11分37秒 東経137度27分33秒】。馬頭観音や灯籠の火袋の部分が台
座に乗せてあり、台座には「小馬寺(しょうばじ)旧参道」との道しるべが刻まれている。
⑦石仏等【北緯35度11分41秒 東経137度27分42秒】。ここにも小馬寺(しょうばじ)に因んだ
標石、塞神、「中馬街道と馬頭観音」についての解説碑などがある。
⑧稲武郷土資料館【北緯35度11分49秒 東経137度27分54秒】。収蔵品には愛知県指定有
形民俗文化財の「人形浄瑠璃の首と衣裳」、豊田市指定有形民俗文化財「河手若宮鰐口」
などがある。
当初は廃校となった小田木小学校跡を改築し、資料館として昭和61年より一般公開され
ていたが、それを引き継いで、平成15年4月にこの場所に郷土資料館「ちゅーま」として開
設された。
⑨真弓大橋西交差点【北緯35度12分44秒 東経137度29分16秒】。ここで左へ進むと、「武節
宿」としての旧街道の町並みが続く。
文久元年(1861)の村絵図によると、武節町の東、名倉川にぶつかる辺りの街道沿いに
人家が並んでおり、ここが宿場の中心であったと思われる。
昭和17年の大火で多くの家が焼かれ、昔の面影を残す家は数軒である。つたや、関屋、
大和屋、藤屋などの看板を見付けることができる。
⑩尹良(ゆきよし)親王腰掛け石と道標【北緯35度12分53秒 東経137度29分39秒】。御所貝
津には、南朝尹良(ゆきよし)親王ゆかりの神社や碑、伝承等が多くある。
この地点には、道標「ほとんど読めないが資料によると、『川下 深奥山半僧坊迄凡十五里
余 川上 天照皇太神迄凡五十里余 願主 花山新造 (明治19年)』」、秋葉山常夜灯、馬
頭観音石仏など数体がある。
⑪道の駅「どんぐりの里 いなぶ」【北緯35度12分50秒 東経137度30分09秒】。ここでは「どん
ぐりの湯」が人気である。通常利用料金は600円、定休日は毎週木曜日。
⑫武節城址【北緯35度12分51秒 東経137度30分17秒】。国道153号線の城山トンネルの上
に位置し、武節町と稲橋の町並みを見下ろしている。
歴史については、こちら。
⑬古橋懐古館【北緯35度12分52秒 東経137度30分29秒】。古橋家6代源六郎暉皃(てるの
り)が文久3年(1863)江戸に上って、平田鉄胤(かねたね)の門に入り、その折り、国学者
や維新志士(西郷隆盛、坂本龍馬、本居宣長等)などの遺墨、絵画などを買い集め、7代
義真(よしざね)・8代道紀(ちのり)がその志を継承し、収集秘蔵してきた貴重な資料が多
数収蔵されている。
三河古橋家は、享保2年(1717)から始まり、酒造を中心にして豪農へと成長し、稲橋村
武節町村一帯の指導的存在であった。中でも暉皃は、明治初期に郷学校や農談会の設
立、茶や煙草の栽培、養蚕、植樹等数々の事業を行い、国や県にも大きな影響を与えた。
⑭道標【北緯35度12分49秒 東経137度30分33秒】。武節町村(武節村の前身)から稲橋村
に入った飯田(伊奈)街道は、古橋家前で秋葉街道を分岐している。
懐古館前の交差点南東角に「左ぜんこうじ 右ほうらいじ あきば道 再興寛政9丁巳9月」の
道標が立っている。
⑮大井平公園【北緯35度12分36秒 東経137度30分36秒】。明治33年古橋家6代源六郎暉
皃の顕徳碑の建立に併せ、この一帯を古橋家が公園化したもの。
城ヶ山の登山口の1つにもなっている。また、大井平用水の取水口や、風のつり橋などが
ある。
⑯馬頭観音石碑【北緯35度13分11秒 東経137度31分19秒】。馬頭観世音菩薩の石碑(天保
13年)と「安永4」の銘をもつ馬頭観音石仏、頭部欠損石像がある。
私は平成18年に、ここから図の点線のように山道を地蔵峠まで歩いた記憶がある。
⑰石仏群【北緯35度13分24秒 東経137度32分10秒】。大きな座り地蔵を中心にして、いくつ
かの石仏や石碑が並んでいる。地蔵は座像のため、嫁や婿が落ち着くようにと初詣をした
り、足腰の病平癒のために参詣する人が今もいるという。
⑱地蔵峠【北緯35度13分26秒 東経137度32分12秒】。この峠は、昔は急勾配の難所であっ
たが、明治15年と同26年の2回にわたる飯田街道の改修工事により7mほど掘り下げら
れた。
戦国時代には、武田信玄が2万5千の大軍を引き連れて通過し、江戸時代には信州の中
馬の人たちがたくさん馬を追いながら鈴を鳴らして通り過ぎて行った。峠には茶店があり、
旅人の格好の休み場所でもあった。
⑲杣路(そまじ)峠登り口【北緯35度14分17秒 東経137度32分50秒 標高617m】。登り口に
は中馬街道〔塩の道〕という大きな看板がある。駐車スペースも充分ある。
杣路峠(標高838m)の由来はこちら。
⑳月瀬の大杉【北緯35度15分27秒 東経137度34分01秒】。月瀬神社の境内には樹齢千八
百年の大杉があり、昭和19年に国の天然記念物に指定された。
弘化元年(1844)の江戸城本丸焼失後の復興用材として、また明治41年(1908)村内
神社統合の後、大杉売却の決議がなされたが、月瀬全住民の団結の力によって、保存さ
れ現在に至っている。
平成21年4月に、矢作川に沿って歩いた際、この場所に立ち寄ったことがある。
【参考資料:愛知県歴史の道調査報告書8<飯田街道・足助 街道>(愛知県教育委員会文
化財課 編集)、Web site「ちまき亭」さんの名古屋近郊の旧街道のルート】
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