水野士惇君治水碑(北名古屋市指定文化財)
江戸時代、この地域はたびたび洪水による多大な被害を
受けていました。
時の尾張藩主宗睦は、勘定奉行水野千之右衛門ら4人に
治水工事を命じ、工事は天明4年(1784)に起工され、同7
年に完成しました。
その間、工事に40万両もの大金が費やされ、予算をはな
はだしく超えたため、千之右衛門はその責を問われ普請奉行
から馬廻組に降職させられ謹慎の処分を受けました。
しかし、新川工事完成の必要性を痛感した千之右衛門は、
謹慎中にもかかわらず治水対策などの陳情書を決死の覚悟
でしたため藩に訴え出ていました。
この「水野士惇君治水碑」は、こうした水野千之右衛門の
新川工事完成に関わる功績を永く後世に伝えるため、文政
2年(1819)に建てられました。
(治水碑前の説明板より)
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