沸点

7月竜

……っ許さんぞ!鋼のっ
イヤホンを持つ左手が、ぶるぶると震えていた。
ロイ・マスタング
軍をミニスカ集団にしようと試みる故、水面下で下士官に絶大な人気を誇る男。
胸に覚えのある兵で、彼の声に逆らう者はいない。
ラッシュバレーの宿。盗聴されたエルリック兄弟の部屋には今、エドとウィンリィしか居なかった。
〃不純異性交友の監視〃という名目の(仮にそんな状況に発展したとしてもヤボする気はさらさら無い)弱みを把握する計画は、思わぬ波紋を広げた。
〃そうしてやらなきゃいけない〃だと!?
バンッ
叩かれた机にホークアイが驚いて隣の部屋からやって来た。
「大佐…」
危険を感じ、ロイの許しを待たず開けたドアの向こう。机に手をついたロイは、滅多に他人には見せない険しい表情をしていた。
『ヒューズ准将の件を調べている時のよう‥』
ホークアイはロイの持っているイヤホンに目をやった。
ロイが私的にエルリック兄弟をチェックしているのは知っていた。勿論、普段なら気付いた時点でお小言を言うのだが、ヒューズの件以来ピリピリしているロイには気休めも良いだろうと、今回は見逃したのだが、それが裏目に出てしまったようだ。
あの兄弟なら賢者の石についてロイに黙っていたとしても、それはロイの神経を逆撫でるような理由ではないと、ホークアイは信じていた。
ならば今、ロイが静かに、だが恐ろしく怒っている理由は‥
「どうされましたか?」
言葉を選んで尋ねたホークアイを、ロイはひと睨みした。
すぐ、ヤツアタリを恥じて視線を逸らせたが、怒りの波動を隠す事は出来ないようだった。
『ヒューズ准将の件の相乗効果を引いても、大佐がここまで怒るなんて‥いったい何をやったのかしら?エドワード君‥』
勿論アルの方が怒らせた可能性もあるが、その場合でもロイの怒りの対象はアルにそうさせたエドに向くので、結果としてホークアイの推察は正しいのだ。
ホークアイはいったんロイの部屋を出るとコーヒーを手に戻って来た。ロイは行儀悪く、足をテーブルの上にのせ、頭の後ろで両手を組んで窓の外を見ていた。流石に怒りは抑えていたが心が定まらない様子で、足先が絶えず揺れていた。
「どうぞ。」
足の脇にコーヒーを置く。
「………、中尉‥」
夜空を見たままロイは力ない声を出した。
「手に入れたカードがハートかスペードか分らない時、君ならどうするかね‥」
「ハートと、、スペードですか‥」
「カードを見せれば‥彼は傷付く。確実に。結果面白くもなるが、彼を傷付けるのは不本意なんだ。」
ロイは右腕を目の上に乗せた。
「人間とは厄介な生き物だな。それでも彼にカードを見せたい。そして見せたくも無い‥」
「難しいですね。」
ロイは足を下すとコーヒーを手に取った。
「中尉やヒューズの言う通り、私はあの兄弟に関して冷静な判断を持てないようだ。」
コーヒーカップを口元に寄せたまま、ロイは薄く笑った。
「それとも、ドクター・ロックベルが、夫妻の娘を幸せにしろと言ってるのかもしれんな‥」
ホークアイは部屋を横切り窓近く寄ると、ロイを振りかえった。
「どんなカードか、お伺いしても?」
疲れた様子のロイに、ホークアイは労りの表情を向ける。ロイは立ちあがると備え付けのカウンターにあったブランデーを飲み干したコーヒーカップに注ぎながら、今夜交された会話を話し出した。
3分後。
事態は一変した。
「ホ、ホークアイ中尉!?落ち着いて。」
ジロリと睨まれロイは竦みあがる。
伝えるべきです。」
「しかしだね、中尉‥」
「あの兄弟の絆は強いと思ってました。お互いを思い遣り尊重しあう‥」
ホークアイはロイからカップとブランデーのボトルを取り上げるとカウンター脇の流しに捨てた。
「確かに彼らは未だ子供です。弱音も吐きたいでしょう。心情を測れない事もあるでしょう。それら障害に勝つか負けるか、それは彼らしだです。」
「傷付いた後、なおはい上がるのも?」
別の道を選ぶのも、ですそしてそれはミス・ロックベルにも言えるでしょう。」
美しい瞳が強い光を湛える。ロイは大きく息を吐いた。
「叶わないな、中尉には。」
「男性は保守主義の方が多いだけです。おやすみなさい。」
ロイはホークアイの出ていったドアをしばらく見つめた。
「やられた‥」
頭をかきあげるとロイは大股に歩いて窓を開け、吹き込む夜風に目を細めた。



「〃戻してやらなければいけない〃、ですか」
抑揚の無い声でアルはロイの言葉を繰り返した。
国家錬金術師の面接を受けるな、と告げた時と同じ苦味がロイの口中に広がった。しかし、
「兄がそのつもりなら、して貰いましょう。」
あっさり返った答え。
面接を拒絶された時の悲壮さも、悔しさもそこには無く。
「アル…」
「兄さんがそれで満足するのなら、責任と捉えてくれても良いです。その責任に耐えられなくなったら‥それも仕方ないでしょう」
平坦な口調が、実はものすごく怒っているのだとロイは気付いた。そして、ものすごく傷付いている事も。
「話して下さってありがとうございます、大佐。」
そう言ってアルはやっと、声を和らげた。
「兄さんに突然言われていたら、責めたり、困らせたり‥逃げ出したりしてたかもしれません。」
「アルフォンス…」
「この間、僕、兄さんを傷付けたんです。僕は‥作り物じゃないかって‥」
目の前のロイを通して誰かに、あるいは自分に話すアルを、ロイは黙って見守った。
「だからもう、僕の不用意で兄さんを傷付けたくないんです。思ってもみなかったけど、ううん、思いたくなかったんだと今更思うけど、僕は鈍感で‥。兄さん、責任感強いから、そう思うのは当然なのにね‥」
アルはゆっくり下を向くと、自分の両手を見た。
「でも…思って欲しく、なかったです‥」
両手を握り締めると膝の上におろし、アルは動かなくなった。
置物と化した彼の、泣けない頭にロイの手が添えられる。
そのままポンポンと軽く叩くと、ロイは正面に座っていた椅子を動かし、アルの隣に並んだ。
そのままふたりは無言で、店の外を行き交う人の波を眺めていた。




「責務で戻されても、アルフォンス君は喜ばないわよ。」
ホークアイの言葉にエドは目を吊り上げた。
「確かに。アルフォンス君も元に戻りたいと思っているでしょうけど、それで貴方が無理をしたり、貴方が責任を感じているなら、彼は血印を破壊して鎧の体ごと未来を捨て去るでしょう。」
言い募るホークアイを燃える金色が射貫く。母子家庭に育った事もあり、女性や子供には優しいエドがみせる初めての表情。
『タッカー事件の時ですらこんな表情はしなかった。直情型の彼が心の、もっと奥に隠していた本当の、気性‥』
知ったふうな事を言うな!
冷たい声が低く、低く唸る。
「戻してやらなきゃいけない!今のままじゃ、アルはっ」
「え?」
アルを戻す。それはだけど、アルの為だけじゃない!俺の為だ!!責任から逃れる為じゃない!そこからが始りだからだ。罪を償う為でもない。戻してから、俺の罪が始るんだ!
エドの迫力におされ、ホークアイは動けなかった。汗が噴出す。
「罪って‥」
「アルを俺のものにする。今の、感覚の無いアルでは分らない。今のアルは感覚が無いから純粋で、天使と同じだ。だから肉体を取り戻し、地上に落す!」
「エドワード‥君」
誰にも‥、
誰にも邪魔はさせない!
エドが身を翻して、ホークアイの呪縛がとける。膝がガクガクして、彼女は崩れるようにその場に座りこんだ。



「俺が必ず戻してやる!」
「うん。兄さんも一緒にね。」
懐かしいダブリスの街を二人並んで歩く。
「元に戻ったら‥最初に何したい?」
「え?」
質問をしたエドは下を向いていて、その表情はわからない。
「そうだなぁ‥、とりあえず、泣こうかな」
アルの答えにエドの足が止まる。
「兄さん、冗談だから、突っ込んで欲しいんだけど」
「元に戻ったら、一発俺を殴ってくれ。」
「はぁ?」
すっとんきょな声を上げるアルにエドはニカッと笑った。
「そんでその後、俺の話を聞いてくれ!」
「なになに〜・ウィンリィと結婚するとか!?」
態とおどけてアルが返すと、エドは静かに首を振った。
「もっとずっと。すっげー大事な事。」
もっと大事な事と言うのは、結婚にかかるのかウィンリィにかかるのか
アルが?を浮かべていると、エドがアルの手を引っ張った。
「俺の事、俺の全部!聞いてくれるか?」
エドがコツンとアルの胸に頭を寄せた。
「俺の弱いトコ、俺の強がりとか、俺の気持ち。俺の譲れないもの、聞いてくれ、アル!」
祈りに似た声は、彼の愛しいものが彼と同じ場所に降り立つまでこれからも続く。
この先、なんど希望を打ち砕かれようとも。

アニメ第26話へのリベンジだったりします。エドには、責任や義務でアルを戻して欲しくないという7月竜の我が侭を書きなぐりました。(26話のエドのセリフ; <戻して>そうしてやらなきゃいけないんだ ;から派生してます)
逆鱗。即ち、兄さんの沸点はアルに関わる全て。それが夢だったりv
対で氷点も書きたいけど、還元や怖いものに似た話になりそうだから無理かなぁ(遠い目)。2004/0414