ダンテとトリシャ



「あのヒトも‥‥‥兄さん、なんだ‥」
ただ、エドを甦らせたかった。
薄れていく意識の中でエドの無事を、手を足を。確かめられない事に心を残しながらも、門を覗き込んでいるエンヴィーをアルは認めた。
「賢者の石は分解され、兄さんへと還っていく。残るものがあるなら‥」
門を潜った僕はもう兄さんのいる世界へは帰れない。だったら
「貴方の名前はなんだったの?」
大きな緑竜が黒子達を振り切る。
「エンヴィー」


「エンヴィー」
自分の声で、アルは目を覚ました。
「なんだ?」
五月蝿そうに視線だけ流すと、エンヴィーは器用に香草を鳥肉に詰め込んでいる。
食べ方は汚い。やる事は大雑把。料理だって台所じゃなくその時の気分で。だから今日はアルの部屋で作っている。
『まぁこれは、寝坊している僕を起こしてるんだろうけど』
鶏肉に匂いが漂って、アルは鼻にしわを寄せると窓を開けた。匂いに釣られて大家の猫が窓から入ってくる。エンヴィーは猫の前で鶏肉を振ってみせると、飛びつく猫を避けて台所のドアを開けた。生姜の匂いと生暖かく湿った空気に鍋が沸騰しているのが伺われ、料理を作る事には意外と煩くて手を抜かないエンヴィーに、アルは見る度新鮮な気持ちになる。
「ゴメン。夢見た‥」
アルはベッドから出るとタオルを持って洗面所へ向かう。冷たい水が今の自分には丁度良い、とアルは思った。

ここはドイツというらしい。門の向こうにある、アルが15年生きてきた世界とは別の世界。ここにはエドワード・エルリックはいない。錬金術も無い。アルの前には錆び臭い空気と不安定な情勢が横たわっている。

『戦争か‥世界は違ってもやる事は同じ』
アルが新聞を取りにいくと手紙が来ていた。
「父さんからだ。」

僕らは等しく同じ世界に集められた。父さんも、エンヴィーも‥あるいは僕ら以前に、門を潜った他のヒトも。
奇跡と呼ぶのは痴がましいだろう。これは業だ。他所の世界から、錬成エネルギーを呼び込んだ、僕らの‥


「ヤツが何だって?」
エンヴィーは足でネコと遊びながら、料理の仕上げをしている。
人になった、あるいはヒトの器を被ったエンヴィーは、ホーエンハイムを殺す事を諦めた。アルやエンヴィーよりも先にこの世界に来ていたホーエンハイムは既にこの世界に同化していて、ホーエンハイムのおかげでふたりは飢えずに済んだのだ。
そしてそれ以上に。
「恨みを晴らす。」
ヒトと化したエンヴィーはホーエンハイムが死ねば、生きる目的も失ってしまう。
『何のかんのと言って本当は‥』
鼻歌まで披露してくれるエンヴィーに、アルはくすっと笑った。
今のエンヴィーは金髪だ。ホムンクルスの頃は活用のあった長い髪も、今は煩いからと横でひとつに束ねている。瞳は蛍光色のような薄い黄で、光の加減で緑にも見える。
「本当の父さんは、こんな感じだったのかな‥」
アルの父であるホーエンハイムの姿は、魂を移し変えてきた借り物。その借り物を父に持つアルと異母兄のエンヴィーでは、似ているとは言い難い。ただ目の色が此方では珍しい鬱金と黄色で兄弟といえばなるほどと頷いてもらえる。
「猫にはよくあるみたいだけどね。」
アルはネコの首を撫でた。
「あ?猫?」
「猫は独り言。手紙は‥」
アルは自分のコップとネコ用の皿にミルクを注ぐと、手紙を開いた。
「読むよ。えっと、<アル、エンヴィー、元気か?>」
「挨拶はいらねーって言ってるだろ。」
面倒臭いのは本当。でも、待ってるのも本当。それを知っているのでアルは、決して挨拶部分を飛ばしたりはしない。
「<ドイツのトゥーレ協会が魔法を欲しがっている‥?>」
戸惑うアルの横から、エンヴィーも手紙を覗き込む。ホーエンハイムの教えが良かったのか、息子の努力の賜物か、ふたりは異国でも読み書きをそこそこ熟せた。
「<門が開くかも>って‥」
二人は顔を見合わせた。
「協会まで来いって書いてある。」
「しかも、こっそりと、だ。」
エンヴィーはわくわくした顔で、アルのミルクを飲み干した。
「‥‥‥」
「あ?なんだよ、行かないのか?」
浮かない顔のアルに、エンヴィーは眉を顰める。
「門が開くかもって‥書いてある。」
「ああ。だから行くんだろ!?」
「でも‥」
「門が開けば、門を潜ればお前の大好きな”兄さん”にも会えるんだぜ!?」
「門を開けるには、代価が必要だ。」
エンヴィーは面食らったように、アルを見つめた。
「錬金術ならな。でも、ここでは錬金術が使えないわけだし、魔法ってなら」
「兄さんは魔法を信じるの?」
アルはエンヴィーを訝しげに見返した。
そう。
アルはエンヴィーを兄さんと呼ぶ。

兄さんと呼んでいいか。最初アルが訊いた時、エンヴィーは素晴らしい反応速度でアルを締め上げた。
【誰がお前の”兄さん”だ!】
【じゃ、なんて呼べばいいの?名前、知らないし‥】
【エンヴィーでいいだろう】
【それは、ダンテが便宜上つけた名前だって言ってたじゃない。】
【うっせー、名前なんて、、、呼び方なんてどうでもいい!】
名前は、ホーエンハイムとの思い出なのか。エンヴィーはついにそれを口にはしなかった。
【どうでもいいなら、いいでしょ!?兄さん。】
【お前〜っ】
殴られても、アルは退かなかった。ホーエンハイムが来なかったら、あるいはアルは殴り殺されていたかもしれない。
【あの子はお前を呼びたいんだ。ヒトとして。】
【呼びたい?何の為に!?どう呼んだって俺はヒトじゃないぜ。】
【あの子にとってお前も兄弟なんだよ。】
【ふざけるな!俺はっ】
【お前がかつての名前を捨てエンヴィーを名乗るのは、わたしを恨んでいるからだろう!?】
【俺はっ、、、あんたの息子じゃない!ホムンクルスだ!】
【ホムンクルスでも、あの子には兄さんなんだよ。】
【俺はエドワードの代わりじゃない!】
【エンヴィー、誰もエドワードの代わりにはなれない。あの子にとってエドはただひとりだ。そして、お前もだ。】
【バカバカしい。】
【そうだな。わたしにはふたりとも息子だが、肉体面で言えば息子はお前の方だ。】
【もっと馬鹿馬鹿しいぜ。】
鼻を鳴らしたエンヴィーに、ホーエンハイムは眼鏡をかけ直した。
【あの子は4年も肉体を失って生きてきた。器など、どうでも良いのかもしれない。】

アルが意識を取り戻した時、エンヴィーは腕を組んで鼻で笑った。
【お前、バカだな。】
そうして
相変わらずアルはエンヴィーを兄さんと呼び、エンヴィーも。もう、それに抗ったりしなかった。

「代価なら」
目を伏せたアルを、エンヴィーは覗き込んだ。
「賢者の石があるだろう、ここに。」
エンヴィーの親指が彼の胸を指差すのに、アルは反射的にエンヴィーを殴った。
「っ、てめっ、このっ」
殴られたエンヴィーがすぐに起き上がるのと反対に、アルは四つん這いで肩を震わせた。
「どうして‥ 」
「起きろ、人間。」
エンヴィーがアルの胸倉を掴んで引き上げるのに、アルは抱きついた。
「なっ?おまっ‥!?」
どうしてこの人は、自分を闇に置こうとするんだろう
「僕は‥」
僕の手はこの人に届かない
「離れろっ、この‥」
僕は、無力だ
「‥明日‥‥ううん、今日にでも、父さんのところへ行こう‥」
僕は過去を思い出させる、だけど縁を切れない、例えばどんよりとよどんだ天気のような存在。だから。
貴方が幸せを探せるようになれば、僕は消えても良いと思ってた。
「は?何言ってんの、お前‥、行かないって言ったり行くって言ったり‥支離滅裂。」
引っ張っても離れないアルに、エンヴィーはついに諦めて頭をかいた。
だって僕も、賢者の石で生きながらえた。ヒトではありえない
「兄さんは‥帰りたい?」
そんな僕だけど、死をもって貴方に報いる事は間違ってると思ってる。生きて、死に逃げないで貴方に何かしてあげる命なのだと。
「当ったり前だろ!?ラストじゃあるまいし、こんな不自由な体、俺はおさらばしたいぜ。」
首に手を回してしがみ付いているアルに、エンヴィーは手持ちぶさたで凭れているシンクに後ろ手に両手を付く。アルの背に手を回す事をえんヴぃーはしない。考えも付かない。
アルは寂しげな笑いをエンヴィーの胸で隠すと、しがみ付いていた手を放して涙を拭いた。
「用意しなきゃ‥」
エンヴィーに背を向け、アルは想う。
『兄さんが僕を支えてくれたように、僕もこのヒトに独りじゃないと感じて欲しかったけど』
でも、それが叶わないなら、僕は‥
『ごめん、兄さん。やっぱり兄さんのようにはできないや』
遠くても会えなくても、ずっと胸に抱いているエドに、アルは強く深く一礼した。


トゥーレ協会の所有する建物。大掛かりな機械、飛行艇のような物体、それらを過ぎて出たホールは大きくて、冷たい空気に包まれていた。
「どこでも人間は馬鹿なものを造ってるなぁ。」
エンヴィーは片手で触りながら、楽しげに歩く。
『音が漏れない。ちょっとやそっとの爆発なら、収納できる大きさ』
「上手い場所だろう。」
見回すアルの頭上から、ホーエンハイムの声が降ってきた。
「父さん。」
「彼らは魔法を欲しがっていた。私の知識を知り、コンタクトを取ってきた。」
ホーエンハイムはいったん回廊の中に消えると階下におり、アル達の元まで来た。見上げればホールの天井には錬成陣が描かれている。
良い舞台だろうというホーエンハイムに、アルは頷いた。
「代価は?どうするの!?」
「彼らの良い所は所有している施設と、その情報網にある。ごらん。」
ホーエンハイムの差し出したファイルには、いくつかの写真が含まれていて
「!?‥これ‥?」
「お、ホムンクルスだ。」
笑いを含んだエンヴィーの声に、アルは別の解答を探そうと手早く写真を捲る。
「‥あっ!」
「知っているのか?」
アルが手を止めた写真。そこに写しだされていたのは見覚えのある爆弾。
「これ‥孤島の城であの人が作ってた‥」
「ふむ。やはりアメストリスからの産物か。」
「そうだ。あの人、あの時門を‥それでホムンクルス。でも、随分前だった気が」
「門の外と中が同じ時間とは限らない。門の中を彷徨って、最近此方へ辿り着いたんだろう。」
「なんだよ、他にもばかな錬金術師がいたのか!?」
ホーエンハイムとアルのやり取りを、エンヴィーが覗き込む。
「これで門が開く。」
「!」
アルは弾かれたようにホーエンハイムを見た。
「そ‥あ‥、でも、この人‥」
「これはもうヒトではない。」
「あ〜、そだな。ホムンクルスは怪物だ。」
故意に囁いたエンヴィーを、アルは睨んだ。
「コレはこの世界でも、そして仮に元の世界に戻れたとしても。ヒトには戻れない。読んでみなさい。彼にはヒトの記憶は無い。ヒトを貪って生きている伝説の生き物になったんだ。」
写真の記事は、付近で起きている変死にこの写真の未知の生命体が関与していると書かれていた。
「だけど!」
「いずれにしても、トゥーレ協会が目を付けた。捕獲され、ここに連れ込まれるだろう。」
「ホムンクルスは、錬金術師の業だって兄さんが言ってた。それを正すのも錬金術師の責務だと‥」
「そうだな。それでエドワードはどうした?彼らを助けたか?」
責めるでも同情するでもなく、事実のみを追求する研究者の口調でホーエンハイムは尋ねた。
「兄さんは‥」
「鋼のおちびさんは、俺達を殺す事にしたんだ。」
「兄さんは助けたかったんだ!」
「そうだ。殺す事が助ける事になる事もある。」
アルは、正論に唇を噛み締めた。切れたらしく漂ってきた血の匂いを、エンヴィーは目敏く嗅ぎ分ける。
ぺろ。
舐められて、思わずアルの噛み締めていた口が緩む。
「な、ヒトじゃないだろう!?」
間近で見るエンヴィーの瞳は、金の向こうで赤い光が踊っていた。
「だったら」
アルは息苦しそうに胸元を押さえた。
「せめて助ける目的で、門を開ける為じゃなくこの人の為に。出来る事をしよ」
アルの言葉は発せられた銃声に遮られた。
「それがお前の息子?」
先ほどまでホーエンハイムが立っていた回廊に、白い軍服を着た女性・エッカルトが供を従えて立っていた。
「お前達に選択権はありません。我々に協力し、シャンバラへの道を開くのです。」
大人しそうな顔立ち。上品そうな物腰。なのに
「スロウスの仮面をラストが被ってる感じ〜。」
身を竦ませたアルの肩に、エンヴィーは顎を乗せた。
エンヴィーの重みが、息使いが。アルを勇気付ける。
「帰ったら、兄さんは幸せかな」
呟かれた言葉に、エンヴィーは眉を寄せてアルを盗み見る。
「お黙りなさい。」
言うより早く放たれた銃弾は、エンヴィーの束ねた髪を吹き飛ばした。
「何す‥」
アルの抗議を、エンヴィーは抱き込んで黙らせる。エッカルトの銃以外にも、供のライフルがエンヴィーたちに狙いをつけていた。
アルの怒りが振るえとなって伝わってきて、今度はエンヴィーが唇を噛んだ。
そんなふたりを素気無く眺めると
「役に立つ、という話でしたが?ホーエンハイム!?」
エッカルトは威圧的に訊ねた。
「役に立ちますよ。なにせ息子達も、門の向こうから来たのですから。」
「でも、協力する気はないようですが?」
「大丈夫です。頭のいい子達ですから、もう分っていますよ。」
ホーエンハイムの大きい手が、拳を握るアルの手を包む。ホーエンハイムから、それがどんな表現であったとしても確かに父としての愛情と、沈黙するエンヴィーの怒りを感じ取り、アルは硬く頷いた。
「それに、この子達がいないと、大いなる蛇は掴まえられないでしょう。」
エッカルトは後ろでヘスが不服そうに呻るのを手振りで止めると、無表情に頼みます、と”命令”した。


門は開ける。でも、あいつらは通さない。通るのは‥


『確か、ハス‥ハスキ‥』
ホールでうねる生物に、アルは以前の面影を、いや人の姿すら見出せず目を逸らした。蛇にも竜にも見えない、強いて言うなら環状動物に近い。
『そういえば、海に囲まれていたっけ‥』
垣間見ただけでよく分らなかったが、ハスキソンの錬成材料にはヒト以外の生物も多く含まれていたのかもしれないと、アルは思った。
そしてホムンクルスの鼻先にある囲いの中で、エンヴィーが不要な挑発を繰り返していた。

ホーエンハイムの言ったとおり、トゥーレ協会だけでは兵士の死体を作る以外、ホムンクルスを捕まえる事はもとより、姿を確認する事さえできなかった。
「あれは、赤い石が欲しいんだ。」
アルとエンヴィーとホーエンハイムが餌となった陳腐な罠に、ホムンクルスはいとも簡単に捕まった。
「どんなに否定しても、僕達の中には血の匂いがあふれているんだね」
「当たり前じゃん。」
前屈みになるアルの背を、エンヴィーはパシッと叩いた。

ホムンクルスを触媒に門を開く。錬金術の使えないエンヴィーは、ホムンクルスの気を引くべくそのままホールに残されている。
「こんなの‥」
「アル、気を逸らすな!集中を欠けばエンヴィーにも何が起こるかわからんぞ。」
「父さん‥」
「なに、大丈夫だ。お前はエドに会う事だけを考えていなさい。」
早くしろと怒声が飛ぶ中、ホーエンハイムは床に描かれた天井と対の錬成陣に両手を付いた。錬成陣が光だし、まわりが騒然となる。もう、怒声は聞き取れない。
光はすぐの大きく走り始め視界を阻み始めた頃、アルは肩を強く押され、錬成陣から手を放した。
「父さん?」
両手を着いたまま、体当たりでアルを突き飛ばしたホーエンハイムは満足そうに笑った。
「エンヴィーは私が連れて行く。それがせめてもの‥」
「父さん!」
錬成陣に手を付こうとしたアルは、開かれた天井の門へと吸い込まれていった。



「僕達は等しく大罪人だ。その罪を償わなければならない。」
「だが、罪の償い方はそれぞれだ。其々に振り分けられ与えられた、できる事をする。」
「そんなの、詭弁だ。僕は‥」
「どんなに言い募ろうと、お前は気に病むのだろう。それを分ってても、お前に戻って欲しいのが、私の願い。アル‥」
「父さんっ」
「アメストリスに戻って生きるという罰を、償ってくれ。アルフォンス‥」
「父さん!なら、みんな一緒にっ」
「愛しているよ‥」

愛しているよ

愛して‥

手を掴まれて、アルは目を覚ました。
視界がぼやけてる、と思ったら伸びてきた手が、目に溜まっていた涙を拭き取っていった。
「アル‥」
コレハ、イツモ描イテイタ夢ノ続キ‥?
「アル‥?」
懐カシイ姿。記憶ヨリ少シ、低クナッタ声。
アルは自分の手を握るエドの手に目をやった。
『良かった。戻ってる‥良かったぁ。温かいよ、兄さんの手‥』
「何とか言えよ、アル‥」
泣き出しそうなエドの声に、アルは視線を戻した。
『血が出てる。夢でも、危ない事してるの?』
血‥
「血だってェ?」
ガバッと起きたアルは覗き込んでいたエドと強かに頭を打った。
「痛っ」
「いてっ、夢じゃねぇ!」
強く抱き込まれて仰け反ったアルの視界に、エドの金糸の間から建物の天井が見えた。
「ここ‥‥‥、ダンテの‥?」
「ああ。一晩で消えた地下都市の、おわっ」
説明しようとしたエドは顔を引っ張られ、アルへと倒れこむ。
「血!兄さん!?」
青い顔をして顔を覗き込むアルに、エドは苦笑する。
「あぁ‥ちょっと、グラトニーとやり合ってな‥」
「グラトニー?」
エドの後ろにラースが立っているのが見え、アルは辺りを見回した。
「!」
錬成陣の中央に門が開いている。
「あ‥」
「アル?」
「兄さん‥?」
悲しげなアルの瞳に言いたい事を読み取り、エドは目を伏せる。
「ああ。グラトニーで門を開けた。お前を、連れ戻したかったから。」
「‥ごめんなさい」
兄にまで被せてしまった己の業に、アルの瞳からまた涙が零れる。
「暴れてたから、い〜んだろ。これで。アイツだって、もう腹空かす事も無い。」
素っ気無く言うと、ラースが腰に巻いていた布をエドに渡した。
「取敢えず、巻いとけば。血、気にしてるみたいだし。」
「‥これ、キレイか?」
ラースから布を受け取ると、エドは血を拭って頭に巻きつけた。
「洗濯して返せよ。」
「お前な‥」
ラースとエドのやり取りを、アルは黙ってみている。
「良かった‥」
息を吐いたアルに、エドは首を傾げた。
「アル?」
「ううん、なんでも無い。」
繰り返される過ちさえも、兄を闇に染めたりはしないのだ。何度でも、エドはその過ちを正す為に立ち上がるだろう。
アルは誇らしげにエドを見つめ、口元を綻ばせた。
「アル?」
呼びかけられ、アルはエドに抱きついた。
「大好き。」
エドの真っ直ぐさに人々は手を貸し、その人々に支えられ、エドはまた歩んでいくのだ。
そんな兄が、兄を囲む人達が
『ありがとう、会えて良かった。』
「アルフォンス‥」
腕の中の温もりに、満足そうにエドが呟く。
アルフォンス‥
突然震えたアルに、エドが顔を上げる。
「アル?」
立ち上がったアルを、エドは驚いて見つめた。
「呼んだ‥?」
「なんだって?」
「ホントだ。アルフォンスって、門から‥」
ラースの言葉に、エドも立ち上がる。
「呼ぶって‥誰が?」
「兄さんだ‥」
アルの呟きに、エドの動きが止まる。
「あの声は、エンヴィーだな。」
噛み砕いて飲み込むように、ラースが言葉にする。
「エンヴィー?」
「うん。僕、向こうでエンヴィーと暮らしてるんだ。」
途端にエドの眦が上がる。
「お前、エンヴィーと?アイツはっ」
アルを自分の方へ向けると、エドは強くアルの腕を掴んだ。
「エンヴィーはもうひとりの、兄さんだよ。そうでしょう!?」
「違うっ、俺の兄弟はお前だけだ!」
「呼んだんだ‥」
「それがどうした!?俺はずっと呼んでた!アルっ」
「エンヴィーは僕を呼んだ事、無かった。そのエンヴィーが、呼んだんだ。兄さん‥」
「どこにも行かせない。お前は俺と生きるんだ。」
「兄さんには皆がいる。」
「俺はお前しか要らない!」
「エンヴィーには僕と父さんだけだ。不器用なんだよ。その父さんも‥門を開けてから見てない‥」
「門?お前も開けたのか?」
アルは手早く向こうの世界での出来事を話した。
「そうか、二つの門が開かれて‥」
錬金術師の顔で考え込むエドを、眩しそうに見つめながらアルは続ける。
「たぶん父さんと兄さんが、トゥーレ協会の人達がこちらへこないよう頑張ってる‥」
「止めろ!」
「兄さ‥?」
エドの、アルには浴びせた事もない声色に、アルは竦みあがる。
「ヤツを兄さんなんて呼ぶな!」
天才と呼ばれる錬金術師の顔と、母絡みで父を受け入れられない息子の顔。
「賢者の石を探す為に、大人の顔で世の中と渡り合いながら、本当は兄さんは傷付いてきた。僕は、ただ、傍らにいるだけ‥」
アルは悲しげに笑うと、自分を掴むエドの手に手を重ねる。
「それは違う。お前がいたから俺は頑張れた。お前がいたから、傷だって癒せたんだ!」
「ありがとう、兄さん。僕に力があるなんて思わないけど、僕にできる事があるなら、僕はしたいと思うんだ。」
「エンヴィーの側にいて、なんになる?」
「たぶん‥僕の自己満足‥」
「アル、やっと会えたんだ。約束しただろ!?俺達は」
「うん。僕達は元に戻れた。エンヴィーも、今は人の姿をしている。金髪で」
「アルっ」
噛み付くように口を塞がれ、アルは背筋を振るわせた。
「だから戻るというのか?俺を置いて!?」
「兄さん。」
アルはエドの手を取ると自分の頬に当てた。
「言いたい事、いっぱいある。いっぱいあるのに」
アルはもう一度、力いっぱいエドを抱き締める
「ありがとう。ごめんなさい。ずっと縛ってた約束から、自由に翔けて下さい。」
祈るというより噛み締めるように、アルは呟いた。
貴方の幸せが、僕の幸せです
「アルっ」
エドはアルを抱き締めなかった。抱き締めたら別れを受け入れたようで、抱き付かれて嬉しいのを押し込め、エドはアルを肩を掴むと引き離して顔を覗き込む。決して納得しないと言わんばかりに。絶対離さないと示す為に。
「どこにいても、兄さんは僕の中にいる。だから、僕は歩いていける。」
アルからキスされた、と自覚した時には既に手の中に愛しい姿は無く。
力の抜けたエドの手をすり抜けたアルは、振り返らず門の中へと身を躍らせた。

門の中に、エンヴィーは居た。竜の姿の手にはホーエンハイムが握られている。
開いた方の手にアルはしがみ付くと、やっとアメストリスへ通じる門を振り返った。
涙が溢れる。
<お前‥>
エンヴィーの言葉にアルは首を振った。滴がはらはらと飛び、遠くなる門へと流れていく。

兄さん、ごめんね。兄さんに自由になって欲しいのに、僕ほんとは別れたくないんだ。ずっと傍にいたい。
兄さん、ごめんね。伝えたい事はいっぱいあるのに、言葉にしたら、僕はきっと我がままを言ってしまう。それを隠して感謝を伝えても、本当に感謝してるのに空々しくなってしまいそうで‥‥あぁ、なんて僕は臆病者の卑怯者なんだろう
兄さん‥‥、
兄さん、兄さん。貴方への想いは尽きない。
「元気で‥」

<ドイツとやらに出るぞ>
夜を照らす月に浮かぶハウスホーファーの屋敷。
黒子を引き摺って門を潜って半壊のホールに戻っても、アルは流れるまま、涙を拭かなかった。


「物好きだな。」
黒子を一掃し残骸に足をかけ、人の姿になったエンヴィーはアルの背を見た。
「‥‥ 」
ホーエンハイムも片方が割れた眼鏡で、涙を零していた息子の、小さい背を伺う。
「‥‥‥呼んだでしょ!?」
アルは背を向けたまま、静かに言った。
「はぁ?」
意表を突かれて、エンヴィーは瓦礫を蹴飛ばした。
「名前、呼んでくれた。」
「だから?」
「嬉しかった。」
エンヴィーは瞬きすると、自分の足元を見てまたアルへと視線を戻す。
「お前、バカだろ。」
「へへ‥」
やっと振り返ったアルは、もう泣いていない。
瓦礫に腰を下ろして微笑ましく息子達を眺めていたホーエンハイムは、屋敷の崩壊に逃げだしたものの、様子を見に戻った人の気配を察知し、
「いかん。」
エンヴィーとアルの手を取ると、屋敷の裏手にある森へと走り出す。
「父さん、これからどうするの?」
「さぁ、どうするかな」
ホールの天井に開けた門は、今も開いているがホールが崩れた為、そこに門があるとは見て取れない。
「取敢えずあそこの土地を買い取って、門を隠さないとなぁ。」
「買い取るって‥できるの?」
「まさか善意でトゥーレ協会に協力したとは思ってないだろう?」
「横領か?やるじゃん、光の錬金術師。」
「兄さん。」
咎めるような呆れるようなアルと、それに意地悪な笑みを浮かべるエンヴィーの背をホーエンハイムは叩いた。
「任せておけ。」
ここには錬金術は無い。奇跡は自分の足で作らなければならない。だけど
「どこにいても」
森に差し込む朝日に、アルは手を翳した。
すごく寂しいけど、すごく嬉しい日々が始まる。
朝日は3人の金の髪を、等しく輝かせた。







元は、記憶を失ったアルがエンヴィーとエドの間で、自分を取り戻す話(ですよね!?師匠!)。そのプロットが壮大で‥なかなか書ききれずつい、横道にそれたのが上記の話。
兄ちゃんへの愛は会えなくても変わらないし、兄ちゃんは皆に愛される人だという自信があるのに対し、常に側にいて愛してるよって言わないとすぐに拗ねてしまう、疑り深いエンヴィー。だからアルは敬愛をエドの元に残し、父と一緒にエンヴィーと生きようと(そういう話のはずですが;汗)‥。ぎゃ〜、文才くれ!!2006/08/13
 
                                                                              



竜足

きゅっとマジックで線を引くと、ウィンリィは顔を上げた。
「手筈は分ったわね。」
面々に視線をめぐらせウィンリィは、念を押す。
「何が何でも向こうの世界まで道を通すのよ!」
「あの‥」
恐る恐る手を上げたフュリーは、なんですか?とホークアイに聞き返され、更に身を縮めた。
「門は、閉じなければならないんじゃ‥」
門とは、先日エドが抉じ開け、アルが出てきた門である。
こちら側の門だけでは、門をくぐり中に潜む黒子を振り切れたとしても、どこの世界へ抜けるか分らない。
「危険は承知。でも、可能性があるなら、諦めない!」
「いえそうじゃなくて‥理念に反しているのでは?」
「これだけ錬金術が真理に反した事をしたのよ。あたし達が奇跡を起こしたっていいじゃない。」
良くないですよ、とはフュリーは続けられなかった。なぜなら面子は
ウィンリィを先頭に、ホークアイ、ロイ、シグ、シェスカと続き、足元にはアルを返してしまった責任を取らされたエドが転がっている。
縋るように横を見れば、正義より平和を愛するブレダ、ハボックがウィンリィ達に頷いている。
「正義や秩序も大切でしょう。ですが、被害を抑える事も大切です。犯罪を犯すまで犯人を泳がせるのではなく、被害を最小限に食い止められるよう手段を講じる、必要悪もあるのです。」
ファルマンがもっともらしく言うと、アームストロングとフュリーは感動して涙を流す。
「じゃ、もう一度。肝心なのは向こうの世界と繋がっているかという事。だけどこれについては、エドが一度向こうに行って経験した事実、向こうでは錬金術は使えず、使えたとしてもこっちのようにどこかの世界から錬成エネルギーを貰えないからちょっとした錬成にも賢者の石のような膨大なエネルギーが必要、といった事を考慮した結果、穴は塞がれていないと考えられます。」
理論に煙巻かれてシグとアームストロングはうんうん頷いた。
「ここで大切なのは、誰でも行けるという事!」
「それは不味いだろう。そんな事を言えば犯罪者だって行きかねん。」
ロイの大人な意見を、ウィンリィは鼻で笑った。
「誰がこれを公にすると言いましたか?」
ロイは木っ端微塵に砕かれたプライドと膝を抱えて座り込む。それを無視し
「いいですか。これは携わったこのメンバーの秘密。ここ居る人達の最後のひとりが死ぬ時、門は閉じられるようにします。」
響き渡るホークアイの声。
「それより‥」
ウィンリィが足から力を少し抜くと、エドはゴキブリのごとく素早い勢いで地を這い門へと突進する。
「むしろ危険なのは下心のある錬金術師の方!あたし達常識人の手の届かないところで何をするか‥」
ウィンリィが事前にエドの機械鎧に仕掛けた装置のボタンを押すと、漏電が起きエドがぶすぶすと焦げ上がる。
「迂闊にもアルを連れ去られた分際が。」
重々しく言うと、ウィンリィは無常に再びエドを踏みつけた。
「くそ〜っ、お前らにもエンヴィーにも誰にも絶対アルは渡さねぇーっ」
「あの様子だと、それは無理かも」
ラースが他人事に呟く。
「うっせーっ、待ってろよーっアル〜」
本日も門にエドの叫びが響き渡る。

「なんだろう‥」
「どうした、アル?」
ホーエンハイムが胸を押さえる息子を、気遣わしげに見る。
「ちょっと‥ううん、なんでもない‥」
「門、塞がないとな‥」
エンヴィーは鼻を鳴らすと、今は自分達の家となったハウスホーファーの屋敷の天井を、睨んだ。
「「?」」
ホーエンハイムとアルが顔を見合わせる。
「もう、俺ンだからなぁ。」
エンヴィーはにかっと笑うと、猫のようにアルに抱きついた。

兄弟
種提供 メルカシ病様。ありがとうございます
電照栽培を諦めたものの種の美味しさは諦めきれず盆栽にしたtら鉢が壊れ‥ 7月竜。スンマセン