The Bringer of Pleasure

7月竜

「わたしは愛の熱を思い出させてあげたいの。愛する営みをお手伝いしてあげたいだけよ。」
イシュバールへの粛清時、負傷した者が臨時で運び込まれた町。
軍への復帰を見込まれず打ち棄てられた者。あるいは、民間人でも戦禍で日常を無くしてしまった者。表を飾った大義名分の影で、忘れ去られてしまった者が帰る術を持たず居ついた町。
その町で彼女は言った。
「それを売春と呼ぶなら、そう言ってくれて構わない。淫乱だと言うのなら、そう思ってくれて構わない。でもね、人の肌は。肌を寄せて体温を分かち合うと、どんな言葉より慰める事ができる事もあるのよ。」
活気があるとはお世辞にも言えないが、この町の人々は国が忘れ去っても、自分達は自分達の存在を忘れる事無く、日々をしっかりと生きている。
男女を問わず、そんな町の人達に愛されている、彼女。男でも女でも、必要としている人が居れば惜しみなく彼女は両手を広げ、その胸にかき抱いていた。
「君も?寂しい顔、してるわね。」
エドは顎にかけられた手を乱暴に払った。そのまま無言で立ち去る兄に、アルは慌てて彼女にペコンと頭を下げると、エドの後を追いかけた。
「どうした?大将。」
町にある唯一の役場。治安を守る警察から冠婚葬祭まで、共存している建物の前で、煙草を吸っていたハボックは、険しい顔で突き進んでくるエドに顔を引きつらせた。

研修名目で他司令部管轄地だが境に当るこの町を、偵察に訪れていたハボック少尉とかち合ったのは昨日の事。目新しい情報も無く、移動の足を探していたエルリック兄弟は、ハボックの手伝いの見返りに司令部のある街まで、連れて帰った貰う事にしたのだ。
ハボックはエドの後をガシャガシャ着いてくる、彼の弟に救いの視線を向けた。
「あの」
何でも無いです、と言おうとしてアルは口篭もった。
    なにもない、と言っていいのだろうか
『売春で生計を立てているわけじゃないけど、違法行為もしている事は確かだ。でもあの貴女は、犯罪者なんだろうか?それとも、戦禍の被害者なんだろうか‥』
あるいは、歪みの救済者なのかもしれない
足を止めていたエドは、黙ったアルに一瞬肩を震わすと、振りきるように役場内の宿へと走り去った。
「あ〜〜〜‥」
ハボックは頭を掻くと、報告書作成の名目でアルを自分の宿泊部屋へと案内した。

「‥‥、兄さん?」
灯りの着いていない室内。昔なら気付く事のできる気配を、鎧の体では感じる事はできない。今のアルはエドの居るか居ないかを、声にして確かめるしかない。
ゆっくり静かに歩を進めるが、それでも金属音を消す事はできなかった。
「兄さん?寝てるの?夕飯、食べてないでしょ。食事はしっかり取らないと、背が伸びないよ!?」
丸まったシーツへ屈んで故意に明るく言った言葉に、シーツから伸びた手が、アルの冑からベッドへと垂れ下がっていた飾り毛を掴んだ。
「に、兄さんっ」
外れそうになる冑を手で抑えながら、アルはエドに引っ張られ、ベッドへと倒れこんだ。反対に素早くエドは体を起こすとアルを上から抑えこむ。
「兄さんっ」
アルは起きあがろうとして、エドが機械鎧で動きを封じている事に気付いた。本気だと言う事に。
黙って大人しくなったアルの広い背を、見下ろしながら、エドは空気を震わせた。
「俺は、もの欲しそうな顔をしてるか?」
「‥‥、ごめん。僕には‥分らないよ」
二人の間に落ちてきた沈黙を、次に破ったのはアルだった。
「あの貴女は、あれは売春に‥なるのかな」
「自分でコントロールできる俺があの女を買ったら、売春という犯罪になるな。」
「兄さん?」
アルが動こうとするのを許さず、エドは自分の下に鎧の背を縫い留める。
「俺にも‥そういう欲求はある。」
詰りながらも、恥ずかしい事ではなく当たり前の事としてアルは答えた。
「‥‥うん。そうだね。それが、普通でしょ!?」
エドはアルによく身を寄せる。肌を触れ合わせる。だが、今は。
伸ばした腕の分の距離を保ちながら、エドは淡々とした低い声を組み敷いた背に降り注ぐだけだ。
「お前は‥俺と熱を分かち合ってくれるか?」
「‥‥‥、ごめん、ごめんなさい。僕には熱を分かち合う事はできない。でも、あの貴女の言うように手伝う事はできるよ!?」
かかっていた重みが消えアルが上体を起こすと、エドが上着を羽織ながら部屋を出ていくところだった。
「兄さんっ」
「‥アル、手伝いなら、いらない。」
「に、、いさん」
「俺は、それこそ、そーゆーところへ行けば処理だけなら困らない。」
エドの背は、全てを拒否していた。


「ったく、お前等どうなってるわけ?」
夜明け前、飛び込んできたハボックに急き立てられ、アルはフュリーの運転する車に押し込められた。
「あのっ、兄さんが未だ‥」
帰って来てないんです、と言う前にハボックの指がアルの前に立てられた。
「エドのやつは夕べのうちに俺の乗ってきた軍の車をかっぱらって、帰っちまったよ。司令部の前に乗り捨てたれた車に驚いた憲兵から連絡があり、大佐からフュリーに俺らを引っ張って来いと、命令が下ったわけだ。」
寝不足この上ない表情で、ハボックは言い放つと座席にどさっと身を沈めた。
「済みません‥」
「なにか、あったの?」
運転席からフュリーが聞いてくる。その声も明かに眠そうで力が無かった。
「すみません」
「聞く権利、あるんじゃねぇか!?」
ハボックに再度問われ、アルは重い口を開いた。
「‥性欲は生物の根源にあって、そこに愛を求めたいと思ったりするが人の特性であるなら、性欲も愛欲も持ってない僕は生物でも人でもないのでしょうか」
「‥‥はぁ?」
ハボックは煙草に火を点ける手を止めた。
「あの貴女は五体満足の人からお金を貰って売春行為をしていました。これは犯罪です。でも。半身不随の人や目の見えない人、頭部を損傷し論理的に考えられない人の性処理の手伝いもしていました。人はやっぱり生物で、生殖欲を失う事は少ないんです。それを手伝う事は、目を背ける事なんでしょうか?」
「ア・ア・アルフォンス君、それはちょっと口にしていい事じゃ」
おたつくフュリーにアルは彼女の姿を思い出し、毅然と答えた。
「セックスって、でも本当は本能ですよね?それにお金とか、その、無理やりとか、そんな他の生物には無い事で人は生殖を犯罪に変えてしまうから本質が見えなくなる‥」
「あ〜、うん。その、悪い!そりゃ俺達の手に負えんわ。大佐に質問してくれ。」
ハボックは口早に言うと窓の外に目をやった。
『まっすぐだよなぁ、痛いぐらいに。』
自分もそんな頃があったんだろうか?
しかしハボックは首を振ると、改めて煙草に火を点けた。
だからって、それに答える術を今の自分は持たない。ハボックはフュリーを促し、車の速度を上げさせた。

   背を向けた兄を、どう引き止めればよかっただろう
   僕にはセックスを分かち合う事はできない
   彼女の行為を見てもなにも感じない
   兄さんの行為を見ていても、実感できる事は無い
   ただ、兄さんを気持ちよくさせてあげたいと思うだけだ
   誰かと、兄さんのセックスをみても興奮もしない
   なにも感じないわけじゃないんだよ
   寂しいと思うだけだ
   さびしいと

「難しい質問だな。」
執務室の自席に腰掛け、ロイは額をおさえた。
「君が訊きたいのは、自分は人間か、という事かね!?」
「!」
アルはハッとして項垂れた。
「済みませんでした」
立ちあがって出ていこうとするアルを、ロイの声が止める。
「待ち給え。爆弾を放りこんだまま行く気かね!?」
アルは立ち止まって、顔を上げた。
「兄さんが、錬成してくれたんです。命を賭けて、右腕を失って」
アルはゆっくりとロイを振りかえった。
「だから僕は、人間、です。」
『潔い事だ。』
ロイは口の端で笑った。
『だがそれは。兄の為に人であろうとふるまう事、兄の為に人であるという事以外のなにものでもない。』
   それを憐れというのか 羨ましいというのか
『勿体無い話しだ』
自分ではない人間に向けられた純心を、ロイは複雑な想いで見つめた。
「大佐?」
「いや‥、子供には難しい話だと思ってね。」
反論しかけて、アルは口を噤んだ。
『大佐の言う通りだ。僕は全然子供で、成長していない‥』
そんなアルの様子に、ロイは小さく息をつくと目の前に置かれてあるハボックの始末書及び報告書にサインし、脇に退けた。
「君は、自分の、エドワードに対する感情に名前をつけるとしたら、どう呼ぶかね?」
「え?」
「兄弟愛?」
「勿論そうで」
「それとも」
ロイはアルの返事を遮った。
「鋼に恋をしているかね?」
? 恋? 恋って!?
「君に他の兄弟が居たらどうしてた?3人で人体錬成の咎を分け合ったとしたら?」
「あの‥」
「君のお母さんやお父さんにも、そういう感情は抱けるのかね?」
「僕‥」
「鋼と兄弟でなく、血の繋がらない女の子だったら、結婚したいと思うかね?鋼と。」
「結婚って‥」
「結婚の本質は、そうだな、相手の独占かな。相手を自分だけが幸せにするという、独占。
伴侶となる相手は失くせない者になる。例えば家族ならどこに居ても離れていても幸せを分かち合えるが、束縛したい相手と離れている事は苦痛だからね。」
ロイは大人の顔でアルを見据えた。
「離れる事が、苦痛‥」
アルは再び項垂れた。
「兄さんが女の人で、血の繋がりが無かったとして、独占したいと‥結婚したいとは捉えにくいです。」
『おやおや、エドワードの方が女か。道程は長そうだな、鋼の。』
ロイは内心呟くと、弛む口元をその前で手を組む事で、アルから隠した。
「兄さんには幸せになってもらいたいんです!でも、それは僕じゃなくても、兄さんを幸せにしてくれるなら誰でも良いんです。
ただ、兄さんと離れるのは辛い。‥‥辛いです、ね」
ほんと、我ながら嫌になっちゃうほど子供なんだ、僕
自分の声が泣きそうなに響いて、アルは慌てて誤魔化すように頭を掻いて笑った。
「あ、でも兄さんは自分で幸せになれると言える人だから、誰かが幸せにするなんて言ったら怒るだろうな。」
「馬鹿者!そこが子供なのだ。お前達は!」
ロイが机を叩いたので、アルは飛びあがった。
「大佐?」
ロイがアルに声を荒げる事は滅多に無く、どうすればいいのかうろたえるアルに、ロイは目もくれず立ちあがった。
「相手がどんなに強い人間と分っていても、自分では役に立たないと知っていても、心配するのは当然だ!それは相手を信頼してないからじゃない。理性ではなく、感情の問題だからだ。それが人というものだ!だから鋼を心配する君も、人である事に変わりは無いんだ。」
「大佐‥」
アルが息を呑む。
ロイは大きく息をすると、ドカッと椅子に腰を下ろし足を組んだ。
「正直羨ましいくらいだよ。私も欲しいくらいだ。」
ロイの呟きに、アルは笑った。
「大佐にだってみえるじゃないですか。」
アルの声に、いつもより更に温かみが混じってる事に、ロイは気付いた。
「大佐の幸せを願ってやまない人。」
「‥‥、どこに?」
「すぐ近くにです。」
「‥近くって?」
「そっか。そーなんだ。大佐も自分じゃ気付かないんだ。」
「だから、誰かね?」
「僕、大佐大好きです!」
「え?いやそれは‥私も君を弟に欲しいもんだが」
「もう弟みたいなものですよ。僕も、兄さんもね。」
「!」
「また相談に来ます。」
「あっ、アルフォンス君?」
「答えをありがとうございましたー」
「ちょ‥」
呼びとめる間も無く走り去った青い風。
中腰で引きとめようとした体勢のまま、しばらくアルの出ていったドアへと手を伸ばしていたロイだったが、気付いたように咳払いすると、隣室に向かって呟いた。
「いつでも引き取るぞ!?」
その声に隣室から錬成光が溢れ、エドが見張っていたファルマン准尉を押し退け、乱暴に隣室から施錠してあったドアを蹴破った。
「手錠を外し退室する許可をした覚えはないが?」
ギロリとエドはロイを睨んだが、それ以上は構わなかった。
「礼ぐらい言って行け、果報者。あと、素直になれよ。」
執務室から出ていく小さい背をロイの笑い声が後押しした。


アルは駅前の彫像の前に座っていた。
「何してんだよ、こんなところで。」
近寄ってきたエドを、アルはゆっくりと見上げた。
「兄さんを待ってた。」
「‥来なかったら、どうするつもりだったんだよ!?」
「兄さんはこの街に落ち着ける人じゃないから、いつかは旅に出ると思ったんだ。それにせっかちだから、旅をするなら速くて、遠くまで行ける乗り物にするんじゃないかと思って。」
「なんだとっ」
「冗談だよ。反省が終わったら、大佐に教えてもらおうと思ってさ。」
「なお悪い!」
エドはアルの手を引いて立ちあがらせると、線路沿いに歩き出す。着いてくる足音を聞きながら、エドは先ほどのロイのセリフを思い出した。
『結婚は独占か‥、そうかもな。』
   なんで人は部屋でセックスすると思う?
取り澄ましたロイの声が聞こえた気がして、エドは不敵に笑った。
   愛の営みさえも独占したいからだ
伝わらないからって、拗ねてちゃ先に進めない
   そうだ。プライドに言葉を惜しみぐずぐずしてるなら私が攫ってくぞ
「冗談じゃない!」
「兄さん?」
「アルっ、俺は‥手伝ってもらいたいわけじゃないんだ。」
「兄さん‥」
「お前とは、分かち合いたいんだ。」
「僕‥」
「我が侭だって分ってる!酷い事をお前に言ってるのも。だけど」
エドは足を止めるとアルを振りかえって正面から見上げた。
「お前と分かち合いたいのは、譲れない。お前も気持ち良くならなきゃ、虚しいだけなんだ。ごめん。」
アルは首を振った。
「兄さんの望む事なら、叶えたい。でも、フリをするのは僕も嫌だ。兄さんを騙すのは‥」
「アル‥」
エドが目を見開く。
「今の僕に出来る事は、手伝う‥ううん。手伝いたいんだ。僕も兄さんを気持ちよくしてあげたい。その、僕は感じないから、兄さんの望む事とは違うけど」
「‥‥、ああ、そうか。そうだな。違わない‥きっと。」
「え?」
「うん‥。互いに気持ちよくしようと思うから、熱を分かち合える結果になるわけだし」
「兄さん?」
ひとり納得し頷くエドに、アルはおろおろする。
「なんでもねぇよ。」
そんなアルをパシッと叩くと、エドはカバンを担ぎなおした。
「いつだって、お前の存在は俺を気持ちよくしてくれてるさ。だから、今は我慢しておく。」
「僕も         」
後方から聞こえてくる汽笛に、アルの声が消される。だが、エドは笑った。頷いて、満開の笑みを浮かべた。
「おぉしっ、乗るぞ。」
エドは列車を指差した。
「ええ?こんなトコから?危ないよっ」
「早くしないと、また、煮詰まるから、な!?」
近付いてくる列車の音。
「いいよ。その時は僕が       」


「ママ、見て。小ちゃいお兄ちゃんが鎧にキスしてるよぉ」
女の子の指差す景色はあっという間に車窓から消え、列車に乗る誰もそれを確認する事はできなかった。

新聞の読書欄に載っていた紹介文を読んだら書きたくなったのですが、重い題材をこんなふうにしか扱えない己の才と道徳心が情けないです。人間とは難しくも優しくもなれる生き物で、相互の理解には幾万の言葉と目を逸らさない勇気が必要なのだと、そして理解する事を放棄したら、その手にになにか残るのか、何が残るのか‥。幾度立ち止まっても、また歩み出せる事。たくさんの言葉を重ねれば伝わるなら、言葉を惜しむ意味はない。そんな兄弟を隅の隅にでも感じていただければ幸いです(他力本願で済みません;汗)。反対にそれらを軽んじているように取れるなら、ごめんなさい。そんなつもりは毛頭ありません。
本自体は人を問う、感慨深い内容です。2004/08/15