やっと戻ってきた世界。
やっと取り戻した日常。
やっと手に入れた平和。
やっと抱締められた、恋。

だけど、長くは続かなかった。


  かりて  
                                                       
7月竜


「エド?ねぇ、分る?」
「ん?」
「自分の名前がわかるか?」
「あ〜?バカにしてるのか?俺は、エドワード・エルリックだ。」
椅子居座りながらエドは踏ん反り返った。
「じゃ、じゃああの人は?」
ウィンリィが指差した先、部屋の隅を、エドは眉を寄せて眺めた。
「人?」
「ほら、アルもそんな隅にいないで、なにか言いなよ。」
「あ‥ 」
「アル?アルだって!?フザケんな!
「エド‥」
アルは、俺のアルフォンスはどこだ?どうしていないんだ!?
エドが肘掛に手をついて立ち上がろうとするのを、ブレダとハボックが抑える。ロイに呼び出されたノックスは、ずれてもいない眼鏡を人差し指で当て直した。
離せ!アルっ、アルーッ
エドの叫びに一瞬びくりとしたが、アルは部屋を出ていかなかった。
覚悟を決めたように一度拳を握ると、開いて力を抜き、エドの側によって椅子の前に膝をついた。
「兄さん。」
「兄さんだって?言っていい冗談と悪い冗談があるぞ。俺はお前に兄と呼ばれる筋合いは無い!
「エド、しっかりしてよ!目の前にいるのは、あんたの大事なアルじゃない!あんただけのアルなのよっ。
黙れ!こんなのがアルであるものか!アルは人間だ。俺の大事な弟なんだ。こんな、化物じゃない。
エドは汚らわしいものを見るようにアルから身を引くと、椅子の背にしがみ付いた。
「俺のアルはここにいない。アルは、きっと、いや絶対アルは家で俺を待ってるんだ。俺を家へ返してくれ!アルを俺に返して
顔を覆って泣き出したエドに、ウィンリィまで泣き出す。
「なに言ってんのよ。あんたがボケて、生活もままならなくなって。そんなあんたの面倒を見てるのは目の前にいるアルじゃない!?誰があんたにご飯を食べさせてるのよ!誰があんたを風呂にいれたりあんたのトイレを世話してるのよ。‥お願い、エド、しっかりして‥アルじゃないなんて、酷い事言わないでよ‥」
ウィンリィの泣き声に、耳を塞ぐエドの様子を見て、ロイはウィンリィの肩に手を置き首を振った。
「でも!」
「ありがと、ウィンリィ。ちょっと兄さ、エドと話させてくれる!?」
「アル‥」
アルじゃない!
アルという言葉にすぐに反応するエドの膝に、アルは手を置いた。
触るな!
あからさまに怯えるエドを見て、アルは名残惜しげに手を離した。
「僕は誰か、分りますか?」
「知るか!」
「僕は、えっと‥バニティー(vanity)って、言うんだ。宜しくね。」
「バニティー(虚飾)だって?なんだ、それ。」
薄気味悪そうに口を窄めるエドに、ロイは背を向け窓の外を見つめ、アルは小さく笑った。
『傲慢に虚飾が吸収される前の、八つの大罪だ。僕は、兄さんが認めなければ価値など無い、ただの飾りに過ぎない‥』
もっとも、鎧の体はその表情をエドに伝える事は無かった。
「宜しくって、なんだよ。嫌だぜ!?気味悪ぃ。」
アルはエドを見つめた。
「なんだよ。」
そしてエドの足元に手を付くと、頭を下げた。
「お願いです。僕に貴方のお世話をさせて下さい。」
「ダメだ!お前なんかいちゃ、アルが怖がるかもしれないだろ!?」
「お願いします。」
「気持ち悪いってぇの!鎧が喋るな。」
足元にある冑をエドが踏みつける。ガチャンと鎧が軋んだ。
エド!
叫びそうになるウィンリィをハボックが部屋の外へ連れ出す。
お願いします!
どうして苛立つのかも分らず、エドはついに冑を蹴った。外れた冑が転がり、戸口で関係者以外の立ち入りを見張るホークアイの足元で止まった。
ホークアイは黙って冑を拾うと、アルに被せる。
「‥済みません」
エドは空洞の鎧にも、それが喋る事にも驚きもせず、ただ顔を背けた。
「今日はこれぐらいにしておけ。」
ノックスが厳しく締めくくると、顎をしゃくって外へ出るよう促した。
「僕が傍にいると‥悪いでしょうか?」
部屋を出る直前、アルはポソリと尋ねた。
「これ以上、悪かなんねーよ。あんな面倒臭せー患者、おめぇ以外の誰が看れるよ。おめぇが責任持って見取ってやんな。」
「ありがとうございます。」
「まったくマスタングの野郎、俺は鑑定医だってぇの。分野外だぜ。」
「済みません‥」
「今んトコは笑うトコだぜ!?坊主。ま、頑張るんだな。」

見当識障害
加齢による認知症に現れやすいこの症状がエドに現れたのは、ライラの姿をしたダンテによって門の向うへと飛ばされ、異国のエドワードの命を使って門から帰ってきてわずかひとつき経たないうちだった。
エドとアルが再び回り逢えたこのひとつき。ダンテ率いるホムンクルスをアメストリスから排除し、新しい政権が国に生まれようとしていた。
なのに
「門とやらのむこうとこっちじゃ、時間の流れが違うんだろうよ。」
「しかし、外見は変らんぞ?」
「だから!専門外だ。だいたい錬金術はお前さんの分野だろう。てめぇらで調べな。」
「元に‥‥ 」
「さあな。だが、面倒看るんだろ?」
はい!
「それがゼロからか、十からの出発かって違いなだけさな。じゃあな、様態がちょっとでも変ったら連絡してくれ。検死報告書ぐらい書いてやらぁ。」
言葉と裏腹に心配してくれている検死医の背に、アルは深く頭を下げた。

「アル‥」
庭の椅子に腰掛けて、落ちる葉の向うにエドは笑いかける。
「そこにいるんだね、僕。兄さん‥」
たとえ今の自分を見てくれなくても。自分に気付いてくれなくても、自分の名を幸せそうに呼ぶエドに、アルは幸せを噛み締める。
『僕はここにいる。兄さんの傍に。ずっと』










                              

                               
                            2005/03/19





「エドぉ?何してんだ、お前‥」
朝っぱらから冷たいシャワーを浴びる息子を覗いてホーエンハイムは呆れたように呟くと、持っていた熱々のコーヒーに息を吹きかけた。
「覗くな!くそ親父っ」
冷水がかけられる前に、ホーエンハイムは浴室のシャワーカーテンを閉じた。
「発情期かぁ?」
間延びした声に、シャワールームから引き千切られたシャワーノゾルが飛んできてホーエンハイムの頭にヒットした。
『ったく。』
父親の言動に舌打ちしながら、溢れる水を元栓で止めるとエドは壁に寄りかかった。
「兄ちゃん、ぜってぇー早く帰るから。ボケたりする前に、絶対お前を幸せにするから。」
「風邪、ひくぞ!?」
頭を摩りながら、ホーエンハイムはほいっとエドにも熱いコーヒーを差し出す。
「流せたか?」
エドはカップを受け取りながら、片眉を上げた。
「夢ごとき、どーってことないぜ。」
「夢?発情じゃなかったのか?」
投げつけられたマグカップを器用に避けると、ホーエンハイムは
「床、拭いとけよ。」
と出勤していった。
「ぅっせー」
エドは口の中で呟きながら雑巾を手に取った。
『けど‥確かに発情かも』
アルに向ってエドは笑いかけた。

夢の中で自分を呼ぶ、いとしいひと。       現実                         愛しい
幻でも必要とされる事は幸せでしょうか?それが自分でなくても?それとも寂しいでしょうか?名前を呼ばれても?
どちらか分らなくて夢の最後だけ他人様の意見です。ごめんなさい。