飯田街道(伊奈街道)その7<念仏平〜ゴール>

ゴール地点の飯田市は、古くから三河と信州とを結ぶ中馬街道の宿場町として栄え、同時に飯田城の城下町として発展した。町の整備にあたっては、京都の町並みに倣い、碁盤の目のように道路が造られ「信州の小京都」といわれる所以である。しかし、昭和22年の大火により、その歴史ある町並みの大半を焼失してしまった。
その後、復興事業の中で、新たに設けられた幅30mの防災道路は、「りんご並木」として脚光を浴びることとなり、飯田市のシンボルになった。
りんご並木の北側にある人形時計塔の音楽を添付してみました。

飯田街道のスタート地点である名古屋から飯田城本丸跡まで、歩いた距離は170kmである。ただし、車を利用し小分けにしてのウォーキングであったので、その都度、車に戻る必要があり、単純にその2倍は歩いた計算になる。
今まで旧街道を色々歩いたが、当時の賑わいを偲ばせる面影を残している旧街道は少ない。近年、都市化の波に呑まれ、そうした貴重な町並みがどんどん消えていく中で、今回歩いた飯田街道は、古き時代に繋がる歴史遺産をもっともよく残してくれている街道の一つといえよう。
その意味で、百年前、二百年前へのタイムスリップを期待する旅人の心を満足させてくれること、請け合いである。

コース:念仏平(@の地点)→3.2km→長岳寺(Aの地点)→4.5km→白隠石(Bの地点)→
     4.2km→増泉寺(Cの地点)→5.0km(育良神社立ち寄り)→柏心寺(Dの地点)→
     1.6km(駅方面は含まず、この区間の最短距離を採用)→飯田城本丸跡(Eの地点)

     
日付:平成25年9月18日(水)ほか
天候:いずれも晴れ
所要時間:5時間05分(見学、休息時間を除く)
歩行距離:18.5km(寄り道した分の距離を含む)

    コース地図を開く  ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
            (初期値は1/10000)      表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
                                 場合はこちらの「8」参照

                                 なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。


  (移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
 
1.この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
  データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。

2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
  先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
  窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくださ
  い。
  地図の呼び出し方について、詳しくはこちら

6.留意点
 (1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
   ある。
 (2)上記地図の経緯度線は「世界測地系」(GPSではWGS 84)に従い、目安として手書きで表示したものであり、各地
   点の表示は「秒」までに止めた。青線の間隔は10秒(横は約250m、縦は約300m)ごとである。
 (3)高度表示については、約5m〜10mほどの計測誤差がある(ほとんど低めに表示されてい る)。
 (4)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。

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(各地点の説明)

   @念仏平【北緯35度26分44秒 東経137度43分18秒】。100mほど手前の水場で喉を潤し、
     この峠の涼しさにほっとした。ところが、すぐ近くの高速道路を走る車の騒音ですっかり興
     ざめというより、何か腹立たしかった。ここに並ぶ石仏達を冒涜すようにさえ感じたからだ。
     その名の通り、ここには何体もの馬頭観音、庚申碑、墓石などが立ち並んでいた。
     中でも、「奉納大乗妙典六十六部」と刻まれた、善光寺詣の途中で亡くなった「童女ふじ」
     の供養塔が哀れである。願主は作州津山とあるので、岡山県からの旅人だろうか。
   A長岳寺【北緯35度26分33秒 東経137度44分50秒】。この寺は県歌「信濃の国」にある「尋
     ねまほしき園原や旅の宿り」として、旅人の宿として建てられた平安朝貴台、日本社会事業
     の発祥の寺として有名である。境内には、野田宇太郎の碑、新田次郎の句碑、沙羅双樹の
     説明、山本慈昭翁像、土屋文明の歌碑、諏訪痴花女の句碑、武田信玄公灰塚供養塔、
     またぎ石など多義にわたる碑、石仏などが多数ある。
     中馬街道とこの寺へ通じる道路との分岐点にある「樗(あふち)の碑」の解説板
   B白隠石【北緯35度28分05秒 東経137度45分44秒】。白隠様・秋葉様は江戸時代より250
     年の間、この地域の人たちの「災難からのお守り、厄除け」の石碑として祀られてきた。
     この度、三遠南信自動車道建設のため、この地に移転された。
   C増泉寺【北緯35度29分38秒 東経137度47分06秒】。1200年の歴史ある寺
     で、境内には樹齢約300年の天蓋桜と呼ばれるみごとなエドヒガン桜がある。
     また、飢饉を救った「籾蔵」の管理運営を委譲され、それを支えた村民270人の顕彰のた
     めの二百十七名記念碑が建っている。
     さらに、道路の面して、大きな馬頭観音碑、法華塔がある。
   D柏心寺【北緯35度30分53秒 東経137度49分09秒】。慶長2年(1597)に現在地に移築
     されたといわれ、本堂は寛文10年(1670)ころの建造と推定されている。
     山門はこの本堂より古いとみられ、飯田市指定文化財である。
     また、菱田春草、日夏耿之介の墓がある。
   E飯田城本丸跡【北緯35度30分43秒 東経137度49分58秒】。本丸跡には、長姫神社、
     柳田館、日夏館などが建っている。遺構は柳田館と美術館の間の空堀跡、神社裏の石積
     土塁跡、観耕亭の碑のみである。
     二の丸跡には美術博物館および飯田消費生活センターが建設された。

    【参考資料:Web site「ちまき亭」さんの名古屋近郊の旧街道のルート】

    
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