岩崎城・岩崎御岳山(愛知県日進市 131m)


岩崎城は、天正12年4月(1584年)小牧長久手の合戦において羽柴秀吉方の池田恒興隊に攻撃され、城代丹羽氏重以下三百余人が討ち死にして落城。その後、関ヶ原の戦いがあった慶長5年(1600年)、城主丹羽氏が三河国伊保へ1万石の大名としてその居城を移したため廃城となった。その後、城跡は竹薮などの雑林に覆われたことが幸いして遺構がよく保たれ、昭和62年に城跡公園として整備された。
一方、岩崎御嶽社は萬延元年(1860年)、明心行者・明寛行者の二人が、夢のお告げにより木曽の御嶽大神を岩崎に勧請したのが始まり。岩崎御嶽山には、山全体に神霊碑が建っておりその数は3000基以上だそうだ。私が訪れた時は大勢の信者さんが正月の準備で忙しそうであった。この本殿の北西400mの地点には御嶽山の分山があり、山頂には御嶽社奥の院が祀られている。

コース:P駐車場→6分→@の地点(岩崎城)→5分→P駐車場→8分→Aの地点(妙仙寺)→
     8分→Bの地点(菊水の滝)→14分→Cの地点→20分(本殿往復を含む)→Dの地
     点→12分→Eの地点(御嶽社奥の院)→13分→Fの地点(弁天池北)→12分→Gの
     地点(弁天池南)→5分→駐車地点
日付:平成19年12月16日(日)
天候:晴れ
所要時間:1時間43分(休憩時間は含まない)
歩行距離:6.5km

    コース地図を開く  ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
            (初期値は1/6000)        表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
                                 場合はこちらの「8」参照

                                 なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。


  (移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
 
1.この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
  データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。

2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、先
  ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
  窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくださ
  い。
  地図の呼び出し方について、詳しくはこちら

6.留意点
 (1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
   ある。
 (2)上記地図の経緯度線は「世界測地系」(GPSではWGS 84)に従い、目安として手書きで表示したものであり、各地
   点の表示は「秒」までに止めた。青線の間隔は10秒(横は約250m、縦は約300m)ごとである。
 (3)高度表示については、約5m〜10mほどの計測誤差がある(ほとんど低めに表示されてい る)。
 (4)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。

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(各地点の説明)

   P 駐車場【北緯35度08分47秒 東経137度02分30秒】。岩崎城址公園の駐車場を利用。
   @岩崎城【北緯35度08分44秒 東経137度02分31秒 標高60m】。ここには資料館と天守
     閣が建っている。天守閣の展望台にはネットが張ってあるが展望はなかなかのものであ
     る。また、本丸跡には6世紀の古墳の遺構が残っている。
   A妙仙寺【北緯35度08分48秒 東経137度02分43秒】。樹齢400年と言われる「臥龍の松」
     はみごとである。
     また、寛政5年(1793年)に再建された楼門は市文化財に指定されている。
     すぐ、南にある慈眼寺は尾張城東西国三十三観音霊場の2番札所である。
   B菊水の滝【北緯35度08分58秒 東経137度02分25秒】。弁天池から流れ出す水音を頼り
     に舗装道路から狭い階段を下りると、右側に細々と流れ落ちる滝がある。水量は少ないが
     市街地のすぐ近くにあるという点で希有な存在と言えよう。
     少し戻って、左側の急な階段を登ると、霊神碑に囲まれて階段左側に大きな恵比寿・大黒
     の石像が眼に飛び込んできた。さらに、登ると平成展望台へ出る。神社の駐車場脇にはカ
     ラフルな弘法大師の座像があった。
   C御嶽社参道入口【北緯35度09分06秒 東経137度02分36秒】。御嶽山の山頂の座標は【北
     緯35度09分11秒 東経137度02分37秒 標高131m】。
     明寛行者は、俗名丹羽宇兵衛という。名古屋市東区古出来町の人で、御嶽登山の先達。
     安政2年(1855)に、霊感を得て御嶽山より分霊を迎えて御嶽山(御嶽本教心願講分祠殿)
     を開いた。
   Dの地点【北緯35度09分17秒 東経137度02分32秒】。Cの地点から林道を進むと山野ホー
     ルの横を通って舗装道路に出た。
   E御嶽社の奥の院【北緯35度09分21秒 東経137度02分31秒 標高133.9m】。本殿のある
     御嶽山より少しばかり標高が高く、展望が大きく開けている。三角点も確認できた。
     小説「徳川家康」に記述のある「六坊山」とは、この山のことか、それとも本殿のある山なの
     か。
   F弁天池北の信号交差点【北緯35度09分06秒 東経137度02分21秒】。弁天池を一周してみ
     たが、桜の若木がまばらに植えてあるのみ。
   G弁天池南の信号交差点【北緯35度08分55秒 東経137度02分23秒】

   【参考資料:「北区歴史と文化探索トリップ」(名古屋北ライオンズクラブ)】

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