君が塔伝説

曽木温泉の遊女お君の墓と伝えられ、「君が塔伝説」がある。
 これは、建久2年(1191)源頼朝の臣加藤次郎景兼がこの地を領有していたが、その臣遠山氏が主となってこの地に延命地蔵堂を建てた。その堂下より湯が湧出し、当時は菜湯として珍重した。湯屋も各所に設けられ、その湯屋にお君という遊女が来ると益々繁盛した。
 ある日、一人の武士が来て逗留しお君と一夜の契りを結ぶが、その後二人は親子の間柄であることが判りお君は慙愧に堪えず自殺してしまった。父である武士はお君の霊を慰めるために五輪の塔を建て、祀った。その後武士も自らを恥じて自害した。
 間もなくその母が訪ねてきて、父子共に最期を遂げるに至ったこの温泉が一家の滅亡を来した憤怒の余り、この温泉を枯渇させようとし、白馬、白犬の糞便を投げ込むと不思議に湯が噴出しなくなった。慶長年間になって再び湯が噴出したがそれは温泉ではなく鉱泉だった。
 昭和6年頃、お君の霊を慰めるために同村の住民等が慰霊祭を行って現在に至っている。
 下から方・円・三角・半円・宝珠を積み上げた五輪塔である。火輪、空輪、風輪の部分が欠失している。二基の五輪塔を一基に積み上げたものである。反花座の彫ってある基礎方形の地輪、やや押しつぶされた安定感のある球形の水輪、風輪と思われる縦楕円形が本体である。鎌倉末期から室町の作風である。(NPO曽木町まちづくり協会)

この説明板を見て、「かつて曽木温泉に多くの武士が湯治のためにやってくるようになり、その勝手な振る舞いにたまりかねた百姓たちが温泉を埋めてしまった。」という記述をどこかで読んだことを思い出した。この史実に衣を着せた伝説かもしれないと納得したが、ちょっと無理があるかな。

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