名古屋市西区歴史散策路(平田・比良方面)


名古屋市のホームページで紹介されている市内の歴史散策路のうち、西区歴史散策路の一部「平田砦散策コース」および「大乃伎・蛇池散策コース」にほぼ沿ってを歩いた。
織田信長が清須に城を構えた頃、平田周辺は豊かな農村地帯で、清須のすぐ東に位置するところから、ここに平田城(砦)が築かれた。
一方、庄内緑地公園から庄内川右岸沿いには、蛇池や桜並木、いくつかの古い神社や寺があり静寂な散策コースである。
なお、史跡等の解説文の一部は上記のサイトから引用したものである。


コース:地下鉄上小田井駅(@の地点)→0.5km→殉職記念碑(Aの地点)→0.6km→密厳寺(B
     の地点)→0.5km(白山神社立ち寄り)→浄蓮寺(Cの地点)→0.6km→十所社(Dの地点)
     →0.1km→寿宝院(Eの地点)→0.2km→ 平田城址(Fの地点)→0.3km→楽音寺(Gの地
     点)→0.2km→道仁寺(Hの地点)→1.0km→泉増院(Iの地点)→1.3km→上小田井駅(@
     の地点)→地下鉄で移動(1.3km)→庄内緑地公園駅(Jの地点)→1.4km→福昌寺(Kの
     地点)→0.3km→大乃伎神社(Lの地点)→1.4km→蛇池(Mの地点)→0.8km→光通寺(N
     の地点)→0.7km→六所神社(Oの地点)→0.2km→比良バス停(Pの地点)
日付:平成23年12月9日(金)
天候:晴れ
所要時間:2時間30分(休憩時間および地下鉄乗車分を除く)
歩行距離:10.1km(地下鉄乗車分を除く)

    コース地図を開く  ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
            (初期値は1/10000)      表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
                                 場合はこちらの「8」参照

                                 なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。


  (移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
 
1.この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
  データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。

2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
  先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
  窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくださ
  い。
  地図の呼び出し方について、詳しくはこちら

6.留意点
 (1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
   ある。
 (2)上記地図の経緯度線は「世界測地系」(GPSではWGS 84)に従い、目安として手書きで表示したものであり、各地
   点の表示は「秒」までに止めた。青線の間隔は10秒(横は約250m、縦は約300m)ごとである。
 (3)高度表示については、約5m〜10mほどの計測誤差がある(ほとんど低めに表示されてい る)。
 (4)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。

******************************************************************************

(各地点の説明)

   @地下鉄上小田井駅【北緯35度13分23秒 東経136度52分37秒】。今回の散策出発点。
   A平田橋事件殉職祈念碑【北緯35度13分31秒 東経136度52分27秒】。愛知エースネット
     のサイト参照。
     道路を挟んで、すぐ西には三面の馬頭観音(文化2年)が祀られている。
   B密厳寺【北緯35度13分39秒 東経136度52分13秒】。天台宗、、山号は十輪山。もと野
     田密蔵院末寺徳蔵坊と称した。本尊は弘法大師の作と伝えられる大日如来。本堂に安
     置されている地蔵尊は「躍りの地蔵」といわれ「てっちり踊り」という独特な踊りが伝えら
     れていた。明治30年頃までは、旧暦7月23日に地蔵祭が盛大に行われた。古くは地蔵
     尊が本尊で、、天文年間(1532〜1554)頃に大日如来を本尊とする密厳寺に改号した。
   C浄蓮寺【北緯35度13分40秒 東経136度52分08秒】。浄土宗鎮西派。山号は清慶山、
     名古屋光明寺の末寺とある。大永5年(1525)等誉泰山和尚の開山。境内に鎮守社秋
     葉宮がある。
   D十所社【北緯35度13分46秒 東経136度52分01秒】。俗に十所大明神という。祭神は大
     日靈尊(おおひるめのみこと){天照大神}、天児屋根尊(あめのこやねのみこと)、八剱神
     (やつるぎのかみ)、乎止与命(おとよのみこと)、火具土命(かぐつちのみこと)、誉田別命
     (ほむだわけのみこと){応神天皇}、日本武尊(やまとたけるのみこと)、稚足彦命(わかたら
     しひこのみこと){成務天皇}、大郎媛女命(おおいらつひめのみこと)、宮酢姫命(みやずひめ
     のみこと)の十柱である。以前は、神前より約180mの参道があって、その端に赤鳥居と鳥
     居につるす大注連縄が飾られていたが、現在は敷地の都合で境内東側に移されている。
     境内社は神明社と津島社があり、また役ノ行者堂、地蔵堂などもある
   E寿宝院【北緯35度13分46秒 東経136度51分59秒】。北名古屋市九之坪にある平田寺の
     末寺。創建は天文10年(1541)12月、躰月寛の開基である。もとは天台宗で寛永13年
     (1636)に曹洞宗に改宗した。本尊は十一面観世音菩薩、境内に秋葉堂がある。
   F平田城址【北緯35度13分41秒 東経136度52分01秒】。このあたりに、かつて平田城とい
     う城があったが、今では城内にあったと伝えられる井戸だけが残っている。
     かつてこの一帯は平田村で、村の北東を岩倉街道が通っていた。
     織田信長時代の城主は「尾州府志」に平田伊豆守とあり、また、「尾張徇行記」には、村人
     が平田和泉守といっていると記されている。
     城の規模は、砦かまたは大きな武家屋敷であったと思われる。
   G楽音寺【北緯35度13分36秒 東経136度52分01秒】。臨済宗妙心派。本尊は薬師如来で、
     織田家の家臣平田和泉守が祈念仏として安置したものと伝えられている。もとは天台宗で
     鎌倉時代の創建である。正保2年(1645)徳川三代将軍家光のときに臨済宗に改宗。
   H道仁寺【北緯35度13分35秒 東経136度51分56秒】。天文8年(1539)の創建と伝えられ、
     開基の大道法師は山田ノ庄の人で天台宗の僧であったが、後、親鸞聖人に導かれ真宗
     に改宗。本尊は、聖徳太子の作と伝わる阿弥陀如来の木像が祀られている。往時は宝
     林山と称していたが、鎌倉か室町期の作と伝えられる木像彩色の聖徳太子像が安置され
     ているため、昭和27年(1952)本堂再建時に太子山と改めたという。また、境内にある銀杏
     は万延元年(1860)東本願寺親鸞聖人六百回忌を記念して、蒔かれたものである。手洗石
     には文化8年(1811)の銘が読まれる。
     300mほど南にある金比羅堂はプレハブ造り?で、見落としそうな建物だが、開基は祖明
     という修検僧、自ら本尊を刻む。泉増院の末寺で船着神社ともいう。
     社頭の松に船を繋いだといわれている。また、大昔の古銭も出ている。このあたりを喬木
     山といい、湿地の中でも一段と高いところであって、泉増院のもとの山号の由来となってい
     る。
   I泉増院【北緯35度13分26秒 東経136度52分03秒】本尊は延命地蔵。寺伝によれば、真言
     宗小田井寺として創建され後に廃寺となったが、天文5年(1536)に宗菊和尚によって再建
     され、曹洞宗に改宗した。この際、織田家の重臣らの援助を得たことにより以後、織田家
     の菩提寺となった。歴代の藩主らが鷹狩りに出かける時に、当寺を休憩所にし、寺側も
     瑞龍院(2代藩主光友)筆の鷹の絵図を掛けて接待したという。しかし、明治維新に至り、
     織田家の縁者織田信房が世をはかなんで切腹したため、寺と織田家との関係も絶えてし
     まった。信房の墓は現在も境内に残っている。寺宝には晁殿可筆の弁財天之図などがあ
     る。梵鐘は何の覆いもなく野ざらしになっていたのが印象的であった。
   J地下鉄庄内緑地公園駅【北緯35度12分54秒 東経136度53分13秒】。上小田井駅より
      ここまで地下鉄利用が、わずか1.3kmなので徒歩可能。
   K福昌寺【北緯35度13分05秒 東経136度53分46秒】。天正4年(1576)大野木城主であっ
     た塙右近が草創開基。もと橋之内屋敷にあったが、水害で享保11年(1726)に今の地に
     移った。寺内には、塙団右衛門の生母の墓がある。信長が清須城内に祀った金城秋葉三
     尺坊大権現が祀られており、毎年12月19日に、御本身を祭り、ご祈祷が行われる。
     平成9年火災により本堂が焼失した。現在は近代的な本堂が再建されているが、当時の
     城門の4本柱を使った鐘楼門は撤去されてしまったが、両側に石仏や常夜灯、塙宗悦史跡
     碑などを配した長い参道は寺の威厳をとどめている。
   L大乃伎神社【北緯35度13分03秒 東経136度53分51秒】。俗に六所大明神といわれ「延喜
     式神名帳」にも明記されている神社である。名古屋城の北方鎮守の社であったため、古か
     ら信仰があつく城内御殿奉公女中が寄進した瀬戸焼の唐犬一対、神鏡二面などがある。
     社殿前にある菩提樹(しなのき科)の大木は、天然記念物として昭和53年に市が指定して
     いる。ただし、お釈迦様と関係あるインド菩提樹(くわ科)とは別種である。
     また、境内には神木のクスノキの古木、臥牛像などがある。
   M蛇池【北緯35度13分31秒 東経136度54分13秒】。庄内川の洪水のために十数カ所の池
     沼があったといわれているが、埋め立てられ現在残っているのは蛇池のみである。蛇池も
     かつては、数倍の広さがあった。
     説明板によると、
     「戦国のころ、この池で大蛇を見たという村人の話を織田信長が聞き、大勢の家来や付近
     の農民を集めて池の水をかい出させ、信長自身も池に入って探したがわからず、それから
     十日ほど乾かし続けたが、ついに見つからなかった。その後、この池を蛇池と呼ぶようにな
     ったという。
     また、助けられた蛇が、母を亡くした子を養育したという伝説に基づき、お櫃に赤飯を盛っ
     て蛇に感謝するという「櫃流神事」が毎年四月第二日曜日に行われている。」
   N光通寺【北緯35度13分50秒 東経136度54分06秒】。比良城は現在の光通寺一帯と伝え
     られている。
     天文年間(1532〜1555)に佐々成政の碑地成宗が築いた城で、東西68m、南北72m、
     二重堀が周りを囲んでいたといわれる。北は庄内川を臨み、清須城を守る重要な城であっ
     たが、天正3年(1575)廃城となった。
     成政は織田信長の家臣で、朝倉攻め、長篠の戦などの功により、越前小丸の城主となり、
     その後、越中に移った。天正15年(1587)肥後の領主となった。城址碑が墓地の奥に立
     っている。
     光通寺は曹洞宗に属する寺院で、山号は長寿山。寛永年間(1624〜1643)頃創建。
     本尊は、湛慶作と伝えられている十一面観世音菩薩である。
     境内には多数の観音像や六地蔵が祀られている。
   O六所神社【北緯35度13分52秒 東経136度53分54秒】。創建年月は不祥であるが、神社
     保存の神徳記の記載から天文年間(1532〜1554)以前の創建であろう。
     7月7日の天王祭と10月10日の例大祭には、南・北山車保存会による神楽囃子の奉納
     がある。
   P比良バス停【北緯35度13分54秒 東経136度53分51秒】。今回の散策のゴール地点。
   
    【参考資料:区制90周年記念「西区の史跡90選」(特色あるまちづくり西区研究委員会
      代表者 蜂須賀半一)】
   
トップへもどる