西山(愛知県と岐阜県の県界 712.4m)
中馬街道の鶴里町付近について調べているうちに「鶴岡山」という名称を発見した。鶴里町は「鶴岡山の山麓に開けた里」との説明であった。地図を調べてもそんな名前の山は見あたらない。参考資料の地図によると、どうやら「西山」がそれに当るらしい。そこで、どんな山か鶴里町側から登ってみることにした。それが紫線であるが、道はなく結局山頂にたどりつけなかった。この際の移動軌跡が、この山の中の様子を知る手がかりになるかもしれないと思い参考までに掲載した。
次に改めて、旧小原村側から登ってみた(赤線)。こちら側からは、はっきりした道があり簡単に登ることができた。尾根道の一部には太い針金を張った跡が残っており、駐車地点に明治30年に建てられた常夜灯があることや、さらにそこから500mほど南東に道しるべを兼ねた大きな道祖神などを考え合わせると、嘗てはこの山道が小原村と鶴里村の連絡路の一つであり、同時に秋葉神社(静岡県周智郡春野町)へ参詣するための信仰の道だったのではなかろうか。
山頂には、西山(曽良山)との標識があったが、「鶴岡山」という名前は発見できなかった。田代町西山という地名があるので、「西山」は小原村側の呼び名であろう。鶴里町側からの登山道がなくなった今は「鶴岡山」は地図から消えたということか。ただし、土岐市統計書「土地」の項目には市内主要山岳として「鶴岡山」は掲載されている。
コース(赤線):P 駐車地点→10分(600m)→@の地点→16分(700m)→Aの地点(双子岩)
→5分(200m)→Bの地点(西山山頂)
日付:平成21年11月26日(木)
天候:晴れ
所要時間:31分(片道)
歩行距離:1.5km(片道)
コース地図を開く ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
(初期値は1/8000) 表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
場合はこちらの「8」参照
なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。
(移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
1.この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。
2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくださ
い。
地図の呼び出し方について、詳しくはこちら
6.留意点
(1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
ある。
(2)上記地図の経緯度線は「世界測地系」(GPSではWGS 84)に従い、目安として手書きで表示したものであり、各地
点の表示は「秒」までに止めた。青線の間隔は10秒(横は約250m、縦は約300m)ごとである。
(3)高度表示については、約5m〜10mほどの計測誤差がある(ほとんど低めに表示されてい
る)。
(4)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。
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(各地点の説明)
P 駐車地点【北緯35度16分59秒 東経137度16分06秒 標高619m】。墓地の駐車場と思わ
れる。車はここから先へは進めない。
こんなひと気のない場所に意外や常夜灯がある!基壇の文字は明治30年2月
田代安全
と読める。
@の地点【北緯35度17分01秒 東経137度15分48秒 標高647m】。溜め池の保守管理などに
利用されていると思われる林道はここまで続いてる。終点には「西山登山口」の新しい案内
表示があった。
A双子石【北緯35度16分51秒 東経137度15分31秒 標高690m 】。道を間違えたばっかりに
偶然赤いペンキで「双子岩」と書いた2つならんだ岩を発見した。
B西山山頂【北緯35度16分51秒 東経137度15分37秒 標高712.4m】。山頂にはごく小さな平
らな部分があり、周囲は樹木に囲まれ展望はない。
二等三角点の標石のそばに、西山(曽良山 712.4m)の表示があった。
鶴里町誌によると、「山頂には師岩という高さ5m、上面積10平方メートルくらいの大きな
岩がある。昔、弘法大師が鳳来山方面からここを行脚し、この岩に足跡をつけられたのが
師岩である。70センチ位の窪みがあり、四方を弘法様がみられた場所と伝えられている珍
しい岩である。小原村田代から鶴岡山を越えて細野へ向かう途中には、疣岩という上面積
が畳10枚くらいの大岩がある。これも弘法大師がその岩に手をついて、一服されてから大
きな窪みとなり、その窪みに水がたまっていて、真夏でも水が枯れたことはない。細野の人
はこの水を皮膚につけるとよく皮膚病が全治し、また疣もよく治ると言う。」とある。
山頂ではそんな大きな岩を発見できなかったが、確かに、この山には大きな丸っこい岩が
いくつもあったが、どれがどれだか判らなかった。
山頂には、西山(曽良山)との標識があったが、鶴里町誌には「曽木の人々はこの山を『空
山』<そらやま>と呼んでいる」との記述があったので、曽良山=空山ということだろう。
(参考)・・・紫線の説明
P 神社の駐車場?【北緯35度16分41秒 東経137度14分27秒 標高431m】。農業集落研修
センターの向側の広っぱに駐車。
@の地点【北緯35度16分36秒 東経137度15分14秒 標高540m】。無理すればここまで車
を乗り入れることができる。ここからまず、谷川沿いに登ってみた(Aの地点方向)。
Aの地点【北緯35度16分39秒 東経137度15分18秒 標高567m】。しかし、すぐに道が消えて
しまったし、方向もずれているようだったので、一旦引き返してBの地点へ向かった。
Bの地点【北緯35度16分25秒 東経137度15分22秒 標高606m】。@の地点からしばらくは
道がはっきりしていたが、Bの地点に到達する直前にクマザサをかき分けて進む羽目にな
った。クマザサを抜けると広っぱになっており、峠の方向に林道が伸びていた。
Cの地点【北緯35度16分20秒 東経137度15分27秒 標高622m】。峠を越して、舗装道路へ
出る直前に北東(Dの地点)へ進む山道があったので、登っていくうちにすぐに道は消え
た。そこで、尾根へ上がってみると、樹木はそれほど密集していないので、道はないがその
ままDの地点方向へ進んだ。
Dの地点【北緯35度16分35秒 東経137度15分11秒 標高668m】。Cの地点からDの地点へ
向かう尾根は支尾根が多く、何度もあらぬ方向へ進んだ。やがて突然切通しの上に出た。
しっかりした東西の道があるではないか!Dの地点まで下ってみたが、目指す山頂から離
れる一方なので県界をまたいでEの地点まで西進し、大岩の付近から再度尾根へ戻った。
Eの地点【北緯35度16分36秒 東経137度15分36秒 標高662m】。ここからも切通しの南側と
同様に道はないものの、樹木は密集しておらず歩くことはできた。しかし、馬の背状の狭い
尾根ではなく、平に広がっているので迷いやすく、GPSを頼りに慎重に進んだ。
Fの地点【北緯35度16分50秒 東経137度15分38秒 標高708m】。一見、頂上風の平らな場
所なので、三角点等を探したが見あたらず、歩き回るうちにやがてGの地点方向へ下りは
じめた。
Gの地点【北緯35度16分53秒 東経137度15分44秒 標高687m】。このまま下れば@の地点
付近へ出ることができたのかもしれなかったが、不安になって引き返した。わずかなところ
で山頂にたどりつけなかった。
帰りはEの地点から、しっかりした道だと安心して@の地点方向へ向かったが、途中でぷ
っつり道がなくなった。その先は、背の高い木はなく、開けてはいたが、背丈ほどの木が密
集しており進めなかった。そこで、北側の森の中を強引に谷川に沿って下った結果、無事
に@の地点に出たので、ほっとして弁当を広げた。
コース(紫線):P 駐車地点→32分→@の地点→4分→Aの地点→3分→@の地点→11分→
Bの地点→4分→Cの地点→25分→Dの地点→3分→Eの地点→18分→F
の地点→3分→Gの地点→5分→Fの地点→17分→Eの地点→26分→@の
地点→29分→P 駐車地点・・・・往復所要時間は3時間(迷ったロスタイムを除く)
【参考資料:「鶴里町誌第3巻通史編上・下」(鶴里町誌編纂委員会)、「愛知県の山」(社団
法人 日本山岳会東海支部)】