晴雲山隆崇院の由来

開創は寛永16年であって西山派に属するもので松平乗寿の開基するところにて転入和尚を開山とする。
元祖法然上人によって独創せられ本願念仏の寺としての歴史をもっている。本尊は阿弥陀仏を安置し、善導大師、元祖法然上人の像をまつる。現在の隆崇院は乗政寺遺物と大通寺観音堂遺物と隆崇院伝来のものと三寺を伝えているので重要な文化財を保管している。
1.乗政寺のものとしては同寺の本尊であった阿弥陀如来三尊像、三井親和筆、乗政寺額、松平乗政及び乗政公画像、身替観音像、涅槃図等がある。
2.大通寺のものとしては本尊正観音像、千体地蔵尊像等がある。
3.隆崇院としては恵心僧都作と伝えられて山越三尊、三幅対仏がある。
4.その他、山門は乗政寺の山門の遺構である。本堂の外陣の絵天井は狩野派のすぐれた筆で多数並んでいる。乗政寺は松平氏の菩提寺で祖先石川乗政が初めて、小諸城主となった時、同時に開創し二代松平乗紀が岩村に移り明治維新まで存在し、城主及び家中の菩提寺として繁栄したが、岩村藩が廃止と同時にこの寺も廃寺となり、寺宝等一切は隆崇院に移管された。

また、尾張藩から岩村藩へ嫁がれた徳川斎朝(なりとも)卿、第四女「釣姫」の墓も当山内にある。
松平乗紀(のりただ)は元禄15年(1702)信州小諸2万石より、美濃岩村に移る。
次の乗賢(のりかた)<延享3年>は1万石加増され、老中となった。

(隆崇院境内の説明板より)


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