天海大僧正銅像・板垣退助銅像

神橋前の天海大僧正についての説明板の内容

天海は比叡山で天台宗の奥義をきわめた後、徳川家に仕え、日光山の貫主となる。当時の
日光は、豊臣秀吉に寺領を没収され、荒廃の極にあった。家康が亡くなると天海はその遺言を
守り、久能山から遺骨を日光に移し、東照宮の創建に尽くした日光山中興の恩人である。天海
は寛永20年(1643)108歳で大往生した。
 この銅像は、日光出身の彫刻家、倉沢実の作。


神橋前の板垣退助についての説明板の内容

板垣退助は、「板垣死すとも自由は死せず」の名言で知られる明治の政治家。
明治の初期に自由民権運動を展開し、自由党を結成。土佐(高知)出身。
明治元年(1868)戊辰戦争の時、彼は新政府軍の将として、日光廟に立てこもった大鳥圭介ら
の旧幕府軍を説得し、社寺を兵火から守ったと言われる。
その遺徳を讃え昭和4年に建立されたが、最初の像は第2次大戦中に軍需に徴収された。昭和
42年に再建。
 彫刻家 新関国臣の作。


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