東海道(関宿西の追分け〜鈴鹿峠)<三重県亀山市>


関宿の西の追分けの駐車場に車をとめて、歩き始めた。
一部、交通量の激しい国道1号線沿いに歩いたが、道路の拡幅工事の際、作られた歩道があり、安心して歩くことができた。
コースの中頃にある坂下宿は、慶安3年(1650)の大洪水により壊滅し、1キロほど下流に移転し、現在の場所に復興した。坂下宿は、東海道五十三次の江戸から数えて48番目の宿場町として鈴鹿峠を往来する人々で賑わった。
全コースにわたり、山間の市街化していない地域のためばかりでなく、住民の努力もあり、昔のなごりが色濃く残っていて、うれしくなった。
片山神社の前から鈴鹿峠に至る道は、いわゆる山道で、杖がほしいくらいの急な坂道だった。昔の人はこの道を荷物を背負ったり、馬を引いたりして登ったのだろうが、その苦労が偲ばれる。


コース:P 駐車場→2.3km→@の地点(筆捨山解説板)→0.5km→Aの地点(弁天一里塚阯)
     →1.7km→Bの地点(鈴鹿峠自然の家)→1.8km→Cの地点(石家十一面観音)→
     1.9km(片山神社、鏡岩立ち寄り→Dの地点(鈴鹿峠)
日付:平成25年11月26日(火)
天候:晴れ
所要時間:2時間20分(見学時間を除く)
歩行距離:8.2km(片道)

    コース地図を開く  ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
            (初期値は1/10000)      表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
                                 場合はこちらの「8」参照

                                 なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。


  (移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
 
1.この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
  データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。

2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
  先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
  窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくださ
  い。
  地図の呼び出し方について、詳しくはこちら

6.留意点
 (1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
   ある。
 (2)上記地図の経緯度線は「世界測地系」(GPSではWGS 84)に従い、目安として手書きで表示したものであり、各地
   点の表示は「秒」までに止めた。青線の間隔は10秒(横は約250m、縦は約300m)ごとである。
 (3)高度表示については、約5m〜10mほどの計測誤差がある(ほとんど低めに表示されてい る)。
 (4)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。

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(各地点の説明)

   P 駐車場【北緯34度51分21秒 東経136度22分56秒】。西の追分けの駐車場を利用。本来は
     関宿の見学者のための駐車場と思われる。トイレもある。
     スタート地点から600mほど進んだ右側の駐車場の中にある「ころび石」は、大昔、山の頂
     上にあった巨石がいつしかころがり落ちてきて、不気味な音をたて、人々を恐れさせた、と
     いう。通りかかった弘法大師が供養したところ、石は静かになったと伝えられている。   
   @筆捨山解説板【北緯34度52分11秒 東経136度22分11秒】。江戸時代から名勝として世に
     知られ、坂下宿を描いたほとんどの浮世絵に、この山がみられる。
   A弁天一里塚阯【北緯34度52分09秒 東経136度21分56秒】。鈴鹿峠に向かって進むと、道
     路左側の電柱のかげに、ひっそり標柱のみが立っている。むしろ、道路右側の巨木が聳え
     ている小山が、一対の内、片方の塚跡のように見えて仕方がないのだが。
     さらに鈴鹿峠方面へ進むと、正面に三子山がきれいに見えてくる。
   B鈴鹿峠自然の家【北緯34度52分56秒 東経136度21分36秒】。昭和13年に坂下尋常高等
     小学校として建設されたもので、昔ながらの校舎の佇まいがなつかしい。昭和54年3月に
     廃校となり、現在は青少年のための研修施設として利用されている。天体望遠鏡のドーム
     が設置されている。
     向側には、鈴鹿馬子唄会館があり、館内には馬子唄が流れ、鈴鹿峠の歴史文化について
     常設展示されている。
   C石家十一面観音【北緯34度53分23秒 東経136度20分49秒】。小さな門扉を開けて、樹木
     に覆われた参道を進むと、高さ18mの巨岩に穿たれた岩窟に、万治年間(1658〜1660)
     に実参和尚によって道中の安全祈願のために阿弥陀如来、十一面観音、延命地蔵の三
     体が安置されている。ただし、開扉は毎月3日と18日につき、拝観できなかった。
     なお、お堂の左側には小さな「清滝」が、細く流れ落ちていた。
     峠のすぐ下にある片山神社は1999年に焼失し、今は境内の隅っこに仮の社殿があるの
     み。
     神楽殿は廃屋のまま放置されていた。鳥居のある入口の豪華さから推測するに、由緒の
     ある神社だっただろうに。復元が待たれる。
   D鈴鹿峠【北緯34度53分38秒 東経136度20分12秒 標高378m】。鈴鹿峠を越える初めての
     官道は「阿須波道」(あすはみち)と呼ばれ、平安時代の仁和2年(886年)に開通した。
     八町二十七曲といわれるほど、急な曲がり道の連続するこの険しい峠道は、山賊に関する
     伝承が多く伝わっており、箱根峠に並ぶ東海道の難所であった。
     峠から案内標識に従って、南東方向へ5分ほど進むと「鏡岩」がある。説明板によると、「珪
     岩が断層によってこすられ、露出面が鏡のように艶が出たもの」とあるが、ツヤツヤした面
     は確認できず、明治元年の山火事で鏡面の輝きは失われてしまったという。
     木立の下をくぐり抜け、県境の標柱のところに立つと、「みごと」という表現がぴったりする
     茶畑が広がっていた。
   

   【参考資料:坂下宿イラスト案内図(亀山市文化部まちなみ文化財室)】

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