山崎城について

○ 現地名・・・・・ 瀬戸市品野町8丁目
○ 激戦の跡、いまは通称「五輪山」という。
○ 所在地・・・・・品野交番前の信号を東へ国道363号に入り、中品野バス停の西から北へ入る。
  水野川を渡り右折し最初の路地を左折(北)し、突き当たりを左折しながら、その突き当たりの
  家の塀(焼き物のロの字ブロックを積み上げた塀)に沿って、狭い民家の路地を通り北側の小
  丘に登る。
○ 平山城・・・・・旧春日井郡中品野村
○ 城主・・・・・竹村長七郎長方(織田方の部将)
○ 城が活躍した時期・・・・・16世紀後半

(略史)
 山崎の付城といい、品野城・桑下城のやや西にあって、品野城を攻略するための織田方の向城
として築城された。永禄元年(1558)品野城の守将松平家次を猛攻したが落とせず、豪雨の夜逆
襲されて織田方は惨敗、城将竹村孫七以下50余人が討ち死に、残るものたちも北方へ去ったと
ある。

○ その他・・・・・天保12年の古絵図にはない。

(現況)
 五輪山の頂き近くには、敗将の供養塔と伝えられる五輪塔のほか、山神も祀られている。
南麓の民家の一隅に切石を積み上げた「おがたの井戸」と呼ぶ井戸の跡が、わずかに残る遺構
であろうか。雑木の茂る山容からは旧城の遺構は何も見いだせそうにない。(2002年10月)

【参考資料:「中世城館址研究 瀬戸の古城」(篠山 忠 著)】


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