7月7日の日記「おまじない」 『私たちに最も身近な「呪(しゅ=まじない)」は「名前」である』 お店の名前:「お客さんがたくさん来ますように」 食品の名前:「いかにも美味しそうに感じてもらえますように」 怪獣の名前:「強敵らしい迫力あるイメージが伝わりますように」 これが「わが子の名付け」となると親の「願い」や「夢」、「人間性」に「人生観」などなど、さまざまなものを託して、それを一生背負わせる事になる、実に重い重い「おまじない」となる訳です。 わが家の場合、生まれてきた子どもと実際に顔を合わせ、その印象から名前を考えはじめるという流儀ですから、「おまじない」を考える時間は出生届の提出期限である2週間しかありません。また、日本語の「語感」を生かした名前にしたいというのも、ウチの名付けの「ルール」です。 5年前は、生まれてきた子がまとっている、何やら「のほほん」とした柔らかい雰囲気から「ひなた」という名前にすぐに到達することができました。そして今のところ、「ひなた」はその「おまじない」に込めた「願い」の通りに育ってくれていますから、今回もまあ大丈夫でしょうと根拠もなく思っておりました。 ◆ ◆ ◆ ◆ そして6月26日、午後3時8分。 このいかにも強そうな子に、男女共同社会の到来を見据えて、あえて「男らしさ」を排除した名前の「ひなた」と兄弟らしいバランスの取れた名前をつけねばなりません。極論ですが兄が「ひなた」で、例えば弟が「剛蔵」だなんて選択はあり得ないでしょう。このバランス取りが、第2子の名付けの最大のハードルとなったのです。 思いついた名前をみきさん(入院→実家)にメールで送るたびに「女の子みたいで、しっくり来ない」とダメ出しが返信されてくることの繰り返し。そうだよなあ。ザクロさん強そうだもんなあ。でも、柔らかい語感の名前をつけたいんだよなあ。そんなやり取りをしているうちに日にちは刻々と過ぎていきます。 ◆ ◆ ◆ ◆ やがて生後10日目を迎え、いよいよ追い詰められつつある状況の中で、これまでに考えついた名前をリストにして眺めていました。すると中にひとつ、何やら「力」を感じる名前があることに気がつきました。その名前を心の中で繰り返して読むたびに、本人の持つ「雰囲気」と「名前」がいろいろな角度から結びついていき、そこからいろいろなイメージが湧き上がってきました。 これは5年前、「ひなた」という名前が降ってきたときと同じ感覚です。 「これだったんだ!」と、さっそく、みきさんに電話をすると、 ◆ ◆ ◆ ◆ みきさんに共感してもらえた所で、次は両家のじいちゃん、ばあちゃんへの報告です。 「ちょっとまって!」 そこで非礼を詫びながら、「弟」の名前の意味をごく簡単に説明したところ、 「じゃ、それでいいよ」 ◆ ◆ ◆ ◆ こうして、皆の祝福とともに決めることができたわが家の第2子の名前。
◆ ◆ ◆ ◆ 7月7日の七夕の日。退院以来みきさんの実家でお世話になっていた「いくるさん」が、初めてわが家にやってきました。 「いくるさん」は、どんな環境でも実によく眠ることができる落ち着いた赤子で、早くもそこはかとなく「大物感」を漂わせています(親馬鹿的解釈)。ひなさんは待ち焦がれていたのに、一日中ほとんど目を覚ますことのない「弟」に、ちょっぴり拍子抜けしながらも、やはり嬉しくてたまらないらしく、 手を握ったりしながら、楽しそうに「いくるさん」に話しかけています。 みきさんは相変わらず、マイペースの本能育児。 そんな風に、三者三様に相変わらずのわが家に、新たに加わった今は眠れる「いくるさん」が、どんな変化を呼び込んでくれるのでしょうか。 ひなさんならずとも本当に楽しみであります。
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