届かないハガキを待つ

 数箇月が立った今でも、わたしは届かないハガキを待ち続けている。諸般の事情を考え合わせても、わたしは自ら出した自分宛てのハガキが届かない理由を見つけることができない。

 わたしは旅先でしばしば書簡を書いた。その結果を知りたいこともあって必ず自分宛てのハガキを出してきた。このことの効用は大変良好であるということだけ、ここでは言って置こう。ともかく旅先からわたしは飽きもせずに自分宛てのハガキを出し続けてきた。この数年来中国各地を回る機会に恵まれ、わたしは訪問先から自分宛てのハガキを出しつづけてきた。そのお陰で中国の郵便制度が立派に機能していることを確認することができた。

 今回、待ち続けているハガキがどこでどう迷子になったかについて考えてみた。わたしが中国から郵便物を送り出す方法は、決まっている。投函する際、いつも郵電局に出向くか、宿泊先のホテルに頼んだ。結果は期待通り順調に目的を果たしてくれた。それは北京や上海などの大都会に限らず、西安、南昌、成都、重慶などの奥地の都市でも例外はなかった。中国のどこから郵便物を発送しても間違いなく宛名どおりに届いた。では、なぜ今回に限って中国から発送したハガキが、日本やアメリカに届かなかったか。

 第1に思いつくのはなにか間違いが起こったことである。「美中不足」という類のものだ。人間のやることだから、どんなに注意してもミスはあるものだ。しかし、この説明ではわたしを納得させることができない。自分宛ての分が届かなくても、わたしが大事にしている人に発送したハガキも届かなかったことを私は確認済みである。

 次に考えるのは、郵電局に出向いてハガキを出さなかったのがわるかったことだ。しかし、やや長期間の滞在を除いて、わたしはいつもホテルの係りに郵送を依頼してきた。今度も宿泊先の「星級」ホテルの係りに頼んだ。届かない予兆は感じなかった。係りは親切丁寧に接してくれた。わたしが手渡そうとした人民元の角が切れているという理由で、別の紙幣を要求したほか、とくにトラブルらしいことも起こらなかった。係りの態度から彼と彼女がわたしから受け取ったハガキを郵送してくれなかったことは考えられない。その時突き返された人民元はすぐ売店でコーヒー代の支払に使用した。

 第3に料金不足のケースを考えてみよう。中国で郵便物を出す際、戸惑うことの一つに料金計算がある。郵電局では問題ないが、ホテルなどでハガキの発送を依頼する場合、一枚のハガキを外国に郵送する料金を知らない係りがいたりする。その時、郵便局に問い合わせてくれるものもいれば、概数で料金を請求する係りもいる。今回も料金は概数によって請求された。お金を要求どおりに支払っても安心できないケースである。旅先で何かを郵送する場合、日程上の制約もあり、わらをもつかむ心境で言われた通りにするしかなかった。場合によっては、料金不足で、航空便で頼んだハガキが船便で届くかもしれない。もっとも今までそのような郵便物を一度も受け取った経験はない。

 最後に、郵送過程のことが考えられるが、現在の中国および日本の郵便システムでは郵便物が紛失するようなケースはごくごく希なことで、到底考えられない。とくに複数の郵便物を異なる国宛てに発送しているから偶然にしては重なりすぎる。したがって、届くべきハガキが届かないのは不思議だ。

 このような次第で、わたしはいまでもその時に航空便として郵送を依頼したハガキを待ち続けている。

林善義、8 January 1998


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