近代中国の社会生活

社会生活史略年表


満漢通婚  「満漢全席」は清朝宮殿の豪華な宴席であることでよく知られている。しかし、清朝政府は人種差別政策を採用して漢民族を従属下においた。清末に至って同和政策のもとで、満州族と漢民族の相互通婚を認める法律が施行されるにいたった。
社会変容  清末社会は流動性がじょじょに増大した。社会的地位(上下・男女)や社会的因習(衣食住・信仰・格式)の面での変化よりも、社会生活の多様化が特に顕著となった。これには通信・汽船・鉄道の出現や新聞紙の発行、書籍の印刷・販売などの果たした役割が大であった。
近代消費輸入外国製品のほか、紡織・鉄鋼製品など日常生活品の生産により人々の消費生活が変容した。農村より都会生活の方が近代製品をより多く消費した。ガス・水道・電気など燃熱製品や新しい食材の利用はじめ、交通通信設備の偏りがあることは周知の事実である。
国産品愛用  中国人の目覚めの一形態として国産品愛用運動があげられる。これはとくに都会の住民運動としての性格が強い。普通、消費者は安くてよい製品を優先的に購入するのだが、この場合、このような合理的考え方と経済法則は問題にされない。国益優先の外国製品排斥運動の一環であるからだ。
新生活運動  国民政府主導の生活改善運動に新生活運動が知られている。勤倹節約を中心とする生活の合理化は生活向上よりも忍耐を要求する。耐乏生活を美徳とする運動は生産力の引き上げが保証されない中で実施された。


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