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     第
14話

    1982年  元祖渓流の仲間   (H19・12・1 記)


 
1982年の渓流最終回はいつもの小鳥川釣行となりました。“元祖渓流グループ”の6人がこの時点で揃いました。以来25年、いまでも変らず親交が続いています。 
 
元祖中の元祖、Kさんとは30年の付き合いと言うことになりますが、友達の友達は友達で、他にも色々な人と一緒していますが、ずっと永くグループを組むことになったのが私を含めてこの6人です。

 どちらかと言いますと良識のある人間揃いでありますが、それぞれに個性があって自ずと釣りスタイルも違っています。ま、いろいろ違いがあって永く付き合っていられるのかもしれません。
 私の釣行記録には大方このメンバーが登場します。一度紹介しておきましょう。(全員がほとんど年子のような年令構成ですが、人生の先輩順に紹介します。参考までに私は昭和22年生の団塊人間です。

 M(ミー)さん・・・グループの年長者で経験に物を言わせて“飯盒でメシを炊く”時の火の番には欠かせない存在です。三河の田舎に育ち、質素倹約、質実剛健?は持ち上げすぎか。食べ物にあまり講釈は言いません。食事を残すことはもちろん罪悪です。「残したら目が潰れるゾー。」「それは分かっとるけど、胃袋が小さいもんで勘弁してちょー!」
 私も初心の頃、渓流釣りの身なりはかくあるものかと思った頃もありました。鼠色の作業着風上着、よれよれのズボン、つば付きよれよれ帽子、破れたカッパ、ゴムのり修理跡がいっぱいの胴長。そうですよね、渓流釣りの鉄則はまず魚に気取られないような地味な色の、周りの景色に溶け込んでしまうような服装でした。あとになって半分は誤解であった事を理解しました。「Mさん、エー加減にこのファスナーの壊れたクーラー、買い換えたら?」「イカンイカンもったいない、まだ使える。」
 年長者は尊敬しなければいけませんでした。竹細工の手ほどきをしてくれたお師匠さんでした。私が現在いろいろな趣味を持てたのも師匠のお陰です。

 Ka(カー)さん・・・いいかげんな事を言っているように見せて、実は緻密な心配りをしていることが私にはありありと分かります。私もそうだからです・・?
 この人を語るに酒なしには参りません。私も酒は好きで、人並みよりやや頂く方です。但し、アセトアルデヒド分解酵素が○×タイプですので、好きとは言ってもすぐに顔が赤くなって、そこそこで酩酊します。Kaさんは桁が違います。私が分析したところ分解酵素が○○のタイプでしょう。つまり、2合や3合では口を湿した程度のことのようで、頼もしい限りです。
 キャンプでイワナを火にかざし、まだ焼けんのかと一杯やり、なんとも焚き火の赤い色は心が落ち着くと言っては二杯やり、飯盒の飯は炊けたかと三杯やるにつれ酔いが回ってまいります。何杯飲んだのか分からなくなり、ボツボツ寝るとしましょうかと言えば、「ナニー  ナーさん、酒、もう終わり?付き合い悪りーナー、これから飲むんだがー。」
 ま、この人のご努力で我がグループの平均酒量が格段に向上したことだけは間違いありません。
 渓流釣りに酒は似合います。雪の河原で、夏草の土手で、車の中で、魚が釣れなくっても酒あって友と語らえばそれで十分です。この楽しさはKaさんが教えてくれました。

 Y(ヨー)さん ・・・名古屋の近在に居住、田畑も耕しています。合間に渓流に通い、合間に職場に通うと言うスタミナの持ち主です。もともと彼は新潟の山奥の出身です。ご幼少の頃から親父や兄貴に連れられて、よくイワナ釣りに山へ入ったとか。後年(第10話と11話)、彼の案内で郷里を訪ねたとき、以前読んだ渓流釣りの本(高木国保著)に出てくる“秘境釜川”が目の前に流れる、新潟県津南町から10キロ程山に入った「大場集落」が彼の生れ故郷であることを知りました。
 現在にいたるまでYさんには釣技で勝ったことがありません。その釣りに打ち込む情熱には並々ならぬものがあります。誰かさんのように(誤解の無いように、Kaさんではありません。私のことです。)ちょっと釣れンとすぐに「酒でも飲もまいか!」とは言わず、獲物を求めて黙々と打ちこむ姿は、執念が胴長を履き竿を振っているようにも思えます。
 彼の故郷では、イワナ釣りは日常生活の一部であったことを思えば、なるほど釣り姿も様になっていようと言うものです。
 ここ4、5年前からどう言う訳かアユに狂いだしました。アユに関しては20年以上も前から竿を握っている私(但し年に1、2回、握っているだけ。)としましては、「指導してもいいよ、」などと言っておりましたら、何の事は無い、こちらの腕もあっさりと抜き去られました。

 私、N(ナー)さん・・・一見神経質そうに見えてその実エーコロ加減だとか、熱中しやすく冷めやすいとか色々とご評価を頂きますが、本当は諸事全般に柔軟に対応しながら人生送っています。適当にです。
 渓流を始めた当初、釣るもの見るものみな新鮮で、“よし、釣りは渓流で通す、”と誓ったものですが、海にも行くし、船にも乗ります。アユもやります。そんなことで今ひとつプロになりきれませんが。
 渓流を始めて何よりの収穫は、色々な遊びが増えたことでしょう。もともと手先は器用な方で、なんでも“Do it yourself”が大好き人間です。ヤマブドウでワインを造り、それならと、庭にブドウの樹も植えました。果樹園芸が好きになりました。庭に実の成る樹がいっぱい植えてあります。釣った魚を燻製にすること、燻製器は昔のブリキの衣装缶を改造して作ること。電熱器を温度調整しやすく改造する事、(昔は電気少年でした.)。などなど。
 Mさんに手ほどきを受けた竹細工で渓流ビクを何十個と作り仲間に配りました。最近では花籠などの竹工芸に挑戦しています。細工から工芸に昇格です。お陰で土曜・日曜など暇をしたことがありません。貧乏暇ナシ? ・・・いいです儲からなくても。心の中を裕福にしていたいです。

 Ng(ガワ)さん・・・うしろ姿を見て、「仏様が竿を握っているのかと思ってしまう。」ほどにおおらかで優しい性格の持ち主である。他の全員が給与所得者ですが、この人だけは伝統企業の社長さんです。家業の表具師を営んでいて、せこせこした勤労者生活の我々とは気持ちのゆとりにきっと差があるのでしょう。メンバーで遊んでも、仲間より少しでも多く釣りたい、いい場所に入りたいと思うのが凡人釣り師の心情と言うものですが、「私はどの場所でもいいですから、皆さん好きな所に入ってください。」 なかなか言える言葉ではありませんですね。私もそう言いたい気持ちが無い訳ではありませんが、結局言ったことがありません。自分に素直な性格が邪魔します。
 腕は立ちます。最後に紹介するKiさん共々どちらかと言えば本流狙いの正統派渓流釣師です。
  ・・・と、言う事は?「私は腕に自信がありま・・・? どうぞ皆さんは好きな場所へ、、」 なーんだ、そうだったのか。 仏様でなくてお狸様なんだ。

 Ki(キー)さん・・・ガンコの? 違った、元祖のKさんです。そもそも私が渓流で遊ぶようになったのは若い頃、彼の誘いが始まりです。
 口数は多いですがなかなかの気配りがあります。「おみゃーさん、おみゃーさん」と、怪しげな名古屋弁を操る職人釣り師と言えるでしょう。
 「おみゃーさん達は何しに来たのか、アマゴ釣らずに酒ばっかり飲んでヨー!」。
 Ng(ガワ)さんとはご町内で育った仲の人です。本流釣りを旨とし、糸は0、何号とか、ハリはどこそこの、水温は何度で餌は川虫の・・・と、さすがは“釣る思考”の持ち主、研究熱心で彼の釣技には私など及びもしません。
 ひとつ気の毒なことに、ご家族はあまり川魚を好まないそうで、ついつい冷凍庫にいついつのアマゴ、いついつのイワナなんていうパックがゴロゴロ。奥方に叱られているそうです。
 「私にチョーだい、いくらでも処分するデ。」 この際、釣師のプライドなんてものは持ち出しません。とりあえず口に入った方が嬉しく思います。

 ・・・以上6人を紹介しました。くしゃみが出たらご勘弁を。