第19話

  1990年8月   愛知県下山村の平家の末裔

          (08年、H20・8・3 記)

 世の中夏休み真っ盛り、私も毎日休みで真っ盛り、暑い日が続きますねー。今年(平成20年)の夏は特に梅雨明けも早く、酷暑日だ、熱帯夜だ、雨降らんのだ・・・の毎日です。退職(20年3月)してからは、いろいろと遊びのメニューを組み合わせて楽しんでいますが、一つ誤算がありました。家にいると暑いのなんの、かと言って一日中クーラーつける訳にも参りません。勤務していた頃はタダで空調の恩恵に預かっていたという事です。まあ、暑い中農作業して、しっかり汗を流したらシャワーを浴びて、お決まりの冷えた缶ビールをグイー・・・の楽しみがありますが。

 世の中のお父さんたち、夏休みとなれば子供たちを、どこか涼しいところに連れて行ってやらなければいけませんね。
 
私はいつもどこか行こうとなると、まずは渓流釣り場の山の中が頭に浮かびました。我が息子達が小学生の頃、1990年8月、18年前の話です。その時のアルバムから・・・

・・・今年の夏休みはいつもの岐阜県小鳥川のぶなの木荘に代えて、愛知県東加茂郡下山村の山中に宿をとりました。一応竿は持っていますがあくまで家族サービスです。
 
親父の足が随分弱っていまして(当時、85歳)、近いところで涼しい、景色のいい山の中はないものかと思案の結果、紅葉の名所香嵐渓から巴川に沿って山手に入ると管理マス釣り場がありますが、その辺りで民宿を探しました。

野原川マス釣り管理場に問い合わせ、「山根家」という民宿を紹介してもらいました。「現在も電話が変わっていなければ・・0564−86−3470)釣り場から少々山の中に入り込んだ辺りにあります。名古屋から車で2時間、こんな近いところに別世界があることを発見しました。愛知県も東部地方は結構山深いンですね。

 道中、巴川で川遊びしました。

当方、総勢6名です。ジジ、ババに私と嫁さん、4年生、1年生の坊主二人です。
 
民宿の世話は主に若奥さんです。ご主人はお勤めのようで、先代のご主人が何かと手伝っているようです。
 
その先代さんですが、聞くところによれば血筋は平家の末裔とか。若い頃は(お歳を聞くのを忘れました。70歳ちょい前でしょうか?)山の中を駆け巡って、イノシシなんかを捕る猟師であったと。道理で強そうな腕っ節をしています。鉛筆の他には精々釣り竿しか持ったことのない私など、ひと捻りされそうです。

 
案内された部屋は別棟でしたが、夕食は母屋の仏壇のある立派な部屋で頂きました。ガラス戸を開け放ってあり、山に囲まれた田が一望できます。眺めの景色は全部この家の田畑です。こんなゆったりした景色を見ながらお酒をいただけるなんて最高ですね。

あれ何かな、先代ご主人が縁側に腰をかけなにやら人恋しげに見えます。おやじさん、こっち来て一緒に一杯やりませんかー、、、嬉しそうな顔して、失礼、お酒はいけるようです。当たり前ですよね、下戸の鉄砲打ちなんて聞いたことがありません。ほんとに?
 舌も滑らかになり、色々と話が弾みました。さっき言った末裔の話やら、冬は雪は少ないが冷え込みはきつく、マイナス15度にもなるとか。孫たちは(この家も男の子二人で、我が家の息子たちのそれぞれ1歳ずつ下。)今では学校が手配するタクシーで送り迎えしてもらえるそうですが、自分が子供の頃は10
km程の山道を歩いて通ったとの話など聞かせてくれました。なるほどねー、そうやって小さい頃から足を鍛えているのでイノシシ追っかけられる訳なんだ。となると、タクシー通いの孫さんたちやサラリーマンの息子様には猟師は勤まらんでしょうね。

 日が落ちて段々と薄暗くなり、外の景色が薄墨絵のように目に映ります。
 お風呂入ってゆっくり眠りました。山ン中は涼しいナー。


 あくる日、帰りににはピーマンやらナスなど野菜をたくさん土産に頂きました。山中唯一軒のお宿でゆったりした時間を過ごさせて頂きました。
 
アルバムはここまでです。

ところで、市町村合併であちこちの由緒ある地名が無くなってしまったのが残念です。

やまがの村へやってきて、ここは何処? と地名を尋ねたら、愛知県の山ン中、東加茂郡の・・・おうおう東加茂郡かイイネー、それから・・・下山村ですかー、何か懐かしいナー・・・となる訳です。私の古里でもないのですが、昔からの地名にはどこと無くそう言ったような事を感じさせる何かが含まれていたように思えます。今では豊田市になりました。自動車作ってるんだ。

先だってもアユ釣りで山紫水明の馬瀬村へ、こちらは岐阜県益田(マシタ)郡馬瀬村でしたが、下呂市になってしまいました。

 「アユ釣り行ってきたよ、下呂市の馬瀬川だけどね、」・・・全然イメージ湧きませんがね。


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