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第1話

   19767 徳山村の野ウサギ


                      平成19年3月・記


 
岐阜県揖斐郡徳山村、今見ているアトラスの地図も相当古いものですが、徳山村の活字は見出せません。藤橋村に吸収され、徳山、戸入(とにゅう)、門入(かどにゅう)といった地名のみが記されています。徳山ダムが完成し、水が溜まればやがてこの名も消えるのでしょうか。最近、市町村合併で藤橋村の名前も消えました。

  まだこの地が徳山村であった頃のアマゴ釣行記です。

梅雨明けも間近、この機を逃さず今回は岐阜県揖斐川の源流部・徳山村まで足を伸ばしました。同行は大先輩の倫さん。車はブルーバード45年式。

 本流筋はアユ釣りで賑わっていましたが、支谷は静かなものでいい釣りが期待できそうです。ただ川相が案外開けていて明るく、もう一つと言ったところではありますが。・・・とまあ、当時としては一丁前のコメントがしてあります。渓流を始めて間もない頃で、アマゴの釣れるポイントが分かっていなかったのでしょう。今でも分かっていませんが。

  魚影は濃く、アタリはかなりありましたが型が小さいのは時期的に仕方ないようである。釣果は倫さん2匹、俺7匹、勝負あった。・・・なになに、言い訳するのですか? 川に濁りが出て調子悪かったって? それは好条件だろー、もうエー  もうエー、何も言わんでもよろしい。

  アルバムには、魚を釣らなかった分、noriさんは鳥の雛を捕まえたり、野ウサギを追っかけたり、・・・・  渓流釣りにはこういう楽しみもあるのです。と、記してあります。

さんは職場の大先輩で、年は私より13、4も上の人ですが、少し渓流釣りの先輩面をした私でした。 既に退役されて(只今平成19年)10年からになりますが、どこか気が合い今でも親しくお付き合い頂いています。この時倫さんは40代にのった頃ですので、若かったですねー。私はまだ嫁さん無しの独身でした。

さて、その野ウサギのことですが、竿を振るのを一休み、二人で林道に上がり握り飯など頬張りながら休憩していたのですが、遠くから郵便配達の赤いカブが登ってきます。なんとは無く眺めていたら急に車を止め、何やらあわてて山際の藪の中へ分け入りました。何(ナン)だろなー、あんなところに配達の家は無いし、そう思っていたら郵便屋、がっかりした様子でバイクに戻り、再び林道を登ってきました。

  「何かいたんかね?」「野ウサギを追っかけていたんだけど、見失ってしまった。」と、大変残念がりながら、先へ走っていきました。

  「おーおー、山ン中はのどかでエーナー、  郵便配達のオッサン、今晩は“うさぎ汁”にしようと思ったのに当てが外れて残念がっとるワー・・・ナー中チャン。俺らもちょっとあのあたり探してみよか!!

  “ウサギ追いしかの山ー、小鮒釣りしかの川ー”・・・・小鮒でなくアマゴ釣りでしたが、山の生まれでない我々にもどこか懐かしいメロディーが流れてきます。ゆったりした気分になりますね。

  近頃は郵政民営化で、当時のこんな“ゆとりある”情景は無くなっているでしょうね。

  それからアルバムにはこんなことも書いてありました。

もう何年かすると徳山ダムが出来てこのあたりもダム湖の底に沈んでしまうとのことです。・・・ちょうど30年前の記録です。徳山村は住民が散り散りになり村は無くなりました。徳山ダムもやっと完成し、水を貯め始めました。都市の将来にわたる水源の確保とそこで生活してきた人々の暮らし、難しい問題です。

  徳山村の写真を撮り続けた徳山のカメラばあちゃんこと、増山たづ子さんが昨年春に亡くなられたと報道されていました。

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