第23話

  2010年8月    馬瀬川アユ研究会        (H22・9・1記)


 岐阜県の馬瀬川はアユで知られた天下の名川、山紫水明の地で今年もまたアユ研究会と称して一泊二日のアユ釣りを楽しみました。

 メンバーは4人です、年寄りから順に紹介します。
 まずは名人神様のNさん、若い頃はアユを釣って学資を稼いだつわものです。まわりの者が釣れん釣れんと言っている時でも最後には必ず帳尻を合わせてきます。

 次にKさん、今も現役? のラガーマンで体力には自信があります。上(カミ)は清見地区から下(シモ)は西村の堰堤まで、馬瀬川を縦横無尽に走り回ります。もちろん腕も並みのものではありません。私のアユ暦は今はダムに沈んだ徳山村ですが、この人に初めてアユ釣りを教えてもらったのが始まりです。

 もう一人の先輩がTさん。いつも旅館の手配なんかの面倒を見てもらって感謝しています。もちろん腕は私より、、、十分上です。

 私、ナーさん。メンバーでは若輩ですが既に定年退職し、人生を達観することにしました。アユを幾つ釣ったかの数にはこだわりません。こだわれない程度の腕と言った方がいいのかもしれませんが、こう見えてもキャリアは古いんですよ。何しろ徳山村があった頃からですからね。

まあこんな訳で、私の楽しみは年に一度の久しぶりの顔合わせと、何と言っても旅館の料理とアルコールと言うことになります。宿は常宿にしている馬瀬村(現在は下呂市)の中切地区にある「丸八旅館 0576-47-2502です。私がこの宿に初めて泊まったのは1990年のことでもう20年になります。以来毎年欠かさず年一回の“アユ研究宴会”をやってきました。冒頭のNさんはもっと以前からの客です。これだけ永くお世話になれるのは立派な宿と料理の良さ、それから何んと言っても美人女将に尽きるでしょう。飛騨牛にアユの造り、アマゴの甘露煮とホウ葉味噌、涼しげな器に盛られて食欲も進みます。当然アルコールも進みます。

 最近ではおっ母さんに瓜二つ三つの、これまた美人三姉妹が手伝うようになりましたので、おじさん達は更に元気が出ようかと言うものです。Nさんなど、酒が入ると毎回毎回、「初めて来た頃は、あんた達がこーんな小さかったもんなー、、」と右手をかざして懐かしんでいます。20数年通えばそう言う事でしょうね。


 左から長老のNさんと長女、Kさん。右がTさんに三女、それにナーさんです。
 この日、次女はお休みです。

 肖像権を侵してはいけませんので、写真のサイズは小さくしました。


 美人姉妹に囲まれ酒も一段と進みます。「エーと、こっちがお姉ちゃんで君が妹だ。」昔の美人若女将が出てきた頃には随分と酩酊し、「あれ、4人目の娘さん?」なーんて言ったりして。

先代のおやじさんが元気にしておられます。空気がいいですからねー、私もこんな所に住みたい気分です。丹精こめて育てているトウモロコシなど土産に頂きいつも感謝しています。

そう言えば3、4年前おもしろい話がありました。我々4人、朝になると旅館の前で揃って記念写真を撮っています。毎年同じ場所で、同じポーズで撮っていますが、以前の写真と見比べだんだんと年をとってくるのがよく分かります。「若い頃の写真は、皆んな若いねー。」 それはさて置き4人が並んで、「誰かカメラのシャッター押してもらわなくては、」「あ、おやじさんおやじさん、ちょっと写真頼めるかなー、」
 おやじさん、何を勘違いしたかニコニコ顔で走り寄り、我々の列に並びました。「あれ、そんじゃー、あの客人に頼むとするか。」 その年の記念写真は5人が並んでいます。あくる年は若娘に並んでもらって元を取りましたけどね。
               

さーて、二日目のアユ釣りですねー。「皆さん今日はどこでやるの?」

達観している私としては、「先輩方の釣技など見学させて頂きながら、トマトでも買って帰るとす、、、」 20年やっても腕が上がらないわけです。


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