| 1室 行書 | 2室 篆書 | 3室 隷書 | 4室 楷書 | 5室 Drawing | 6室般若心経 |
| 7室 問題点 | 8室 書研究 | 9室 社中展 | 10室 学生部 | 11室 入会 | 12室 LINK |
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下記に問題点を列記しましたが、そのつど記事を継ぎ
足してきましたので、下段から上段へ記事が新しくな っております。下段より読んでいただければ、時代に 沿った流れが把握できると思います。 |
2009年8月記述
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「先生の選択方法 」 私共の高校生から、ホームページの「先生の選択には 注意するように」と書いてありますが、一般の人には その選択方法は解りませんとの、指摘がありました。 確かにその方法は難しいとは思いますが、注意点の 一部として、下記に明記しておきますので参考にして 下さい。 1、 菓子・アメ・ガムなど、食べ物でつっている教室。 (指導に自信のない先生が、生徒留保の為、よくやる手段です。) 1、 お子様の手本に、コピーを利用している教室。 1、 ましてや他人の書いたテキストを、手本としている教室。 1、 人前にて手本を書かない先生は要注意。 1、 先生1人に対し、満足の指導できる範囲は、子供の場合、 10人までが限度と思います。 それ以上には助手が必要で、助手がいれば、1度に30人程度まで なら指導可能。それを目安に。 以上が注意点です。慎重にお選び下さい。
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2009年3月記述
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「近代詩文」への挑戦
漢字作品には、伝統ある漢字作品の素晴らしさ、又かな作品には、伝統 ある「かな作品」の素晴らしさがありますが、残念ながら漢字かな混じりの 「調和体」と言われる作品は、決して芸術性のある作品とは言えないので はないでしょうか。 私は、今まで「調和体」を数度、書いたことがありますが、やはり単調で 芸術性にはほど遠く、魅力に欠けてる作品でしかなく、今後の研究課題と 思っております。今回、木村先生が数点書いてくれましたが、これを参考 にして挑戦しみたいと思っております。
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へj 2006年9月記述
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「これからの書道展」 5年ほど前より通常の書作品とは別に、遊びの作品として「墨戯展」 を社中展とは別会場にて実施してきましたが、場所も悪く、来客者の 反応を見ることが出来ませんでしたが、今回は1年の総決算としての、 社中展の1コーナーにその作品を陳列してみました。 「色彩を使った作品」・「文字の素材を墨ではなく、玉子の殻を使った 作品」・「今までにはない、額に趣向を凝らした作品」・「化粧品を利用 した色彩豊かな作品」など趣向を凝らした様々な作品(第9室参照)を 陳列したところ、今までの書作品には目もくれず、墨戯作品にお客が 集中し、驚くほどの反響がありました。 我々も書道展の人気のなさに苦慮しておりましたが、今後へのわずか ばかりの光明が射したのではないかと思われます。
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j 2002年4月記述
「書道の先生の選択」
あなたの近所の書道教室の中で本当に「美しい書」を書ける先生が何人
いると思われますか。
正直に申して、驚くことに8割〜9割の先生は全くの素人と言ってよいでしょう。
かって、我々の会へ紹介にて入会された先生の中で、「近代詩文」の世界では
賞も取られ中堅の先生でしたが、実際は何も書けず、又、子供の手本すら
書けない事に驚き、我々の会から退会していただいたことがありました。
残念ながら、それが書道会の現状と言ってよいと思います。横線1本も書け
ない先生が多くいることに驚きです。「片岡鶴太郎」が左手で書いた字の
影響でしょうか、「面白い文字」が一般に普及しておりますが、やはり、
根底には「美しい文字」を追求してこそ、本来の書道ではないでしょうか。
勿論、面白い文字は大いに結構です。それが100%では書道ではないと
思われます。それが私の持論です。
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「逆に、これからがチャンス」 上記のことがまかり通る書道界は、残念ながら衰退の道を滑り落ちる 事は間違えなく、多分、今後10年後には日展にも「書」の部門が削除 される問題が持ちあがり、15年後には、多分削除される運命になって いると予想されます。 今のお子様達にとって、それが逆にチャンスかもしれません。今までの ように 多数の人が書道をやるより、次世代の人は、限られた少数の人 が書の勉強する事によって、他人に出来ないことを会得すれば、当然 特徴ある人物となり、貴重な存在となることは請け合いです。 今後、 芸術的な作品より、実用文字がいかに大切なことであることを認識し、 指導しなければならないと思います。
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j 2001年5月記述
「見直される手書き文字」
ワープロからパソコンの時代へと移行し、我々の周りには活字が溢れ、
実に、変化の無い文字に囲まれております。
先日、新しい墓地へ行く機会があり、そこには、100個程度の墓石が
立っておりましたが、同じ墓石屋によって立てられた為か、全ての文字
が、パソコン文字に統一され、味気ない墓地で、ここまで活字がはびこる
時代かと残念に思いました。又、最近の年賀状はパソコンによって作ら
れる年賀状が多く見られますが、やはり、そこには、人間味がなく、心
が伝わらない年賀状となっています。
そこで、私は、子供達に、小筆で書く「実用文字」は必ず教え、会得する
ことによって、将来、その子供が、小筆を使える社会の希少価値の存在に
なってもらうよう、指導に励んでおります。
ただ、小文字は非常に根気のいる練習の為、低学年では我慢が出来ない
のが欠点で、高校生程度を対象にしているのが現状です。
この手書き文字は近年、かならず必要な時代になることは断言できますし、
見直されているのが現状である。これからの子供達の中で本格的に書道を
会得した人は貴重な存在として重宝される事は断言できます。特に実用文字
を会得される事を推奨します。
2000年1月記述
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反省 下記のように「漢字」と「ひらがな」との調和は絶対に無理と結論づけましたが、 今年の日展の作品の中に、かな部門の座馬井邨先生が「漢字とひらがなは (変体仮名は使はず)このように調和させるのだ」とばかりに、見事に調和させた 作品(下段)を書かれ、その見事さに驚き、私の間違った先入観を見事に覆して くれました。作品を目の前にしてゆっくりと眺めていたところ、ひらがなが元の 漢字に見えたのは驚きでした。 カナの先生のすごさを、まざまざと見せつけられた思いです。カナの基本をしっかりと 勉強すれば、ひらがなと漢字の調和が出来るものだと確認する事が出来ました。
上の作品は、木村清鐘先生の作品で、漢字とひらがなとの調和を実に 上手く合わせた作品です。このような素晴らしく調和した作品を私が見た 作品の中では、以前、座馬井邨先生の作品を見て以来、2度目の作品と 言ってよい。 さすがに力量の違いか、実に上手く書き上げた作品と関心しました。
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j 1998年6月記述
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「白い紙と黒い墨」 先日、或る人から「書道界はいつまでたっても明治時代の名残を追い求め、 何の進歩も無ければ、新しいことへの挑戦もしない世界で、衰退していくのは 当然である」との指摘に、書家である私は実に恥ずかしい思いをしました。 確かにその通りである。新しいものと言えば、近代詩文と言って、「読める作品」 が多くなってきましたが、それは”ひらがな”を”漢字”に合わせる作風であり、平安 時代から切磋琢磨し、最終的に行き着いたところが、「漢字を崩して」「かな書体」に 合わ せる「かな」の世界を完成させた。その逆の「近代詩文」は、「ひらがな」を 「漢字」に 合わせることは、歴史的に絶対に無理という結論が出ております 先人たちが研究を積み重ね、その結果完成した「かな」というすばらしい分野は 実に美しく、何かを訴える書体であることは、万人の認めるところであります。 そこへ「ひらがな」を「漢字」に合わせる工夫をしたところで、先人たちが既に「無理」 と判断し,歴史的にも実証されているものを、無理をして作っても意味がないと言う ことである。作品を見てもお分かりのように、決して良くもなければ、美しくもない。 ただ、「面白さ」だけが取得か?それ以上に汚い作品。それを遊びで楽しむことは 大いに結構である。私も時々遊びの作品として書くことはありますが、「書」として書 いたことは ありません。それを専門 にして書作品として発表することには疑問を抱 かずにはおられませんし、書いている本人達が自問すれば結論が得られるはずです。
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我々書家は、紙・墨から考えなおし、若い人たちのセンスでもって、我々には考えられ
ないような思い付きを求め、何かをアピールすることを考え出さなければならない
時期に来ていると思いますが、 如何でしょうか。勿論、書道の基本である楷・行
草・篆・隷・かな・篆刻の基本だけは絶対に残した作風でなければならないと思い
ます。
それの良い例として、暗く・物悲しい旋律の「津軽三味線」を若き吉田兄弟が見事に
明るく・楽しい旋律に変え、子供から老人までの心を捕らえたことは賞賛に値する。
曲を聴けば、「津軽三味線」の基本は残し、現代風にアレンジした、彼らの功績は
偉大で書道界にも革命児が現れることを期待したい。
先日、高校の英語の先生から、ローマ字と漢字を組み合わせた作品が出来ないものか
とのメールがあり、挑戦したのが最近の私の作品です。これも一つの挑戦でありますが、
勿論良い物とは言いません。
又、ある顧客から、「白い紙に黒の墨で書いた作品なら見たくも無い」との一般の考え
に、我々プロはその意見を受け止めるべきであり、今までの常識を破った書道へ挑戦し
なければならないと、あせる毎日である。
最近何に書いたら良いか、又墨以外で何を使用して書いたら良いか、私も暗中模索
といったところです。誰か、よい案を提供して下さい。
1997年12月記述
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「書道とパソコン」 今から15年ほど前、ワープロの普及にて、手で文字を書くことがなくなり、 我々書道界の危機が来るのではないかと、討論をしたことがありました。 その際、私はそのことを最も懸念ありと主張した一人でありましたが、その 時点ではあまり影響はありませんでした。 一方、パソコンは、一部のマニア と企業が、趣味的に、また仕事上のみに利用し、 パソコンの利用価値が 一般的には理解されておりませんでした。ところが、1995年windows95が 発売されると同時に一般にも普及し家庭にも入り込んできました。 文字を書く時代からキーを打つ時代へと移行し、しかも企業では、書類の 移動からメールの交換・保存へと変化してきました。その結果文字を書くと いう作業が省かれ手で文字を書く機会が少なくなったことが、書道界に大き な影響を与えた原因である。
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「外国人から見た日本の書道界の評価」
50歳を過ぎた私が、パソコンを覚えた昨年よりホームページを公開した結果、
海外より、私に多種の意見をメールにて寄せられ、その内容は意外にも日本の
書道界を冷静に、しかも的確に見つめていることに驚きました。
たとえば、「日本の書家の作品評価において、日本では名高く評価されているのに
外国(英国人)では、日本での書家の作品評価は当てになりません」との意見を私に
寄せられたことがありました。これは非常に残念ではあるが、事実として受け止め
なければならないのが現状ですし、彼らのほうが、的確なる、見る目を持っている
ことには驚かされれます。
上手く良い作品は良い、又、下手で悪い作品は悪いと評価しない日本の書道会は
全く恥ずかしい限りです。これは、今まで引き継いできた書道界の古い体質が招いた
結果であり、衰退の運命にあるのは自業自得であると同時に書道界の責任である。
政界・相撲界・書道界・そして最近古い体質のままの企業等は全て衰退の一途である。
その共通点は、「過去の栄光にとらわれた年寄り集団」がいつまでもはびこる世界で
ある。
「年寄り集団」のはびこる業界は、何の進歩も無い世界であり、ただ消え行くのみで
ある。 書道会の救世主を期待するのみである。
1997年9月記述
「書道界の問題点」
書道界は、今まで地域子供達を指導し、その教授料にて生計を立てながら作家活動を
してまいりましたが、子供の減少、パソコンの普及により書道の存在がむずかしい時代と
なってまいりました。
書家を目指す昨年度の中日書道会の「新規加入者」は、100%近くが女性です。
このような状態では、女性中心の「生け花」・「お茶」のような趣味的なお稽古事に終始し
本格的な切磋琢磨した、書道の追及がなくなる時代へ突入してきました。昭和初期から
続いている、書道界の金権体制により、書道そのものの「美術的価値」が世間に認めら
れず、書道界という小さな世界のみに甘受しつづけてきました。今後はその体質に拍車
がかかり、金権体制のみがさらに進み、横行する社会と懸念されます。
そして、次に懸念されることは、悪習である「世襲制度」である。書道界はまだそこまで
古い体質と組織形態ではないが、衰退時期には必ず台頭してくるのが世襲制度である。
「芸術・芸能には絶対に世襲制度はありえない。あったら、それは誤魔化しである」
微力な私達の出来ることは、地域の人々への書道の継承と、このパソコンを利用し
「ホームページ」による理解者を増やすことしか出来ないのが残念です。一人でも多
くの理解者が出来ることを期待しております。
「今後の書道界の予想」
パソコンの出現によって書道界が苦戦を強いられてきましたが、私もパソコンを愛用した
一人としてその感想は、パソコンは便利であるが、あくまでも、機械文字であり、続けて
いれば必ず飽きが生じ、手文字の良さが再確認される時期が必ず到来するものと思わ
れますし、又、手文字が必要に迫られる時期が到来するものと予想されます。
例えば、葉書一枚でもパソコン文字では、「ダシ」のない味噌汁のように、実に味気なく
又、心の通わない文字では相手に失礼と思われる時期が必ず到来し、手文字が見直さ
れる時期が来るものと確信しております。その為にも、今の子供達(中学、高校生)には
徹底した「臨書の勉強」と、「実用文字」の習得が必要であり、我々指導者が次世代へ
継承する使命でもあると思われます。
私のような未熟者で、生意気ななことを書きましたが、今後、指導者不足の時代が必ず
到来することを懸念し、あえて記載させていただきました。
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