名古屋算数サークル

サークル代表 水 野 克 則     事務局 渡 辺 靖 敏


名古屋算数サークルは、算数を中心に小学校教育全般にわたって実践交流しています。
例会は、原則として第3土曜日の午後です。
会場は、渡辺個人宅(名古屋市北区東味鋺)です。
     ※名鉄小牧線と地下鉄が2003年3月に連結しましたので、便利になりました。[味鋺駅東250m]

参加を希望される方は、渡辺までメールで連絡下さい。毎月案内を差し上げます。  【メールを出す


名古屋算数サークルのあゆみ


 名古屋算数サークルの第1回例会は、1971年12月11日に開かれています。10月の愛知数教協結成記念集会を受けて、「すべての子に理解できる算数を! 算数を不当な差別選別の道具にしない!」を合言葉にもたれたのです。事務局は滝広太郎さんが担当しました。

 私
<渡辺>が機関紙を担当するようになったのが、73年10月号からで、01年7月現在190号になっています。その通信でサークルのあゆみを振り返ってみます。

 初期の頃の例会は、いつも10数人で行われています。報告の常連は、賀川さん(現、戸城)、佐藤さんで、その他、今では他のサークルで活躍している堤さん(体育同志会)、松崎さん(仮説)もよくレポートしています。ちなみに、滝さんは全生研、渡辺は歴教協と、言わば、寄せ集め集団でしたが、みんな若くて生き生きしていました。まだ大した実践もありませんでしたが、公開講座や算数教室も目白押しで、模擬授業もよくやりました。 夏休みなどは3~4箇所の算数教室を受け持ち、各地を飛び回るという感じでした。子ども参加による授業が可能になるように父母会員制度も設けていました(多い時は70名程の登録があった)。名古屋市も革新市政となり、時代の流れに乗っていたとも言えます。

 悩みはサークル例会の会場さがし。国鉄会館(名駅)・単一会館(金山)・三喜神社(池下)などを転々としていました。また、寄せ集め集団でしたので、遠山啓『量と構造』などをテキストにして、理論学習会を賀川さんの下宿で欠かさず行っていました。

 その後、愛知でも、いろんなサークルの活動が活発になり、例会への結集も悪くなり、80年頃より例会会場も個人宅(弥富の戸城宅、後に北区の渡辺宅)としました。今 考えると、会場を個人宅にしたことは、常連の参加者には都合がよくても、新しい人は参加しにくいものです。結局は参加者を固定させてしまったようです。ただ、例会は少人数になりましたが、実践の積み上げもでき、対外的な情宣に力を入れました。「ゲーム集」(74年)や「楽しい学校を創ろう」などガリ刷りでの発行を手始めに『東海の実践と研究』発行に挑戦しました。

 79年 第1集「教師の生活と生きがい」      星野和夫

 83年 第2集「5―2進法による繰り上がりの指導」佐々木忠栄

        「子どもたちと作るかけ算」     岡崎行雄

         「小数授業プラン」         森五郎

         「資料」              渡辺靖敏

  85年 第4集「がまんだがまんだうんちっち」尾張旭算数研究会

  88年 第5集「四角形」             水野克則

  89年 第6集「たいしょう島の探検」       伊藤育雄

 さて、90年代、ここ10年間のサークル活動は停滞している。

 新たな試みとして、「サークル通信」を通して実践交流を深めようと実践報告を中心とした通信づくりに力を入れた時期もあったが、うまくいかない。サークル員間をメールでやりとりする時代も近いとは思うが(もう、『近現代授業づくり研究会』ではやっている)、今や例会案内だけの「ハガキ通信」に落ち込んでしまっている。

 でも、毎月1回、顔を合わせるのが楽しみで細々と例会は続いている。かつてのように、例会を活発化させるには、算数教室や公開講座を開き、その活動内容を知ってもらうことがポイントであると考えています。

 でも、少し呼びかければ、人が集まった時期とは違い、人を集めたりする手間にエネルギーを注ぎ込む気力がないのが、現状かな?

 サークルの例会会場には

    『数学教室』が創刊号からそろっているよ。

    小学校の教師には魅力の資料もいっぱいあるよ。

    みんな、来て見て!!!!!