静岡県数教協のあゆみ 新幹線の駅が熱海から浜松まで6駅も県内に抱える肴岡はなかなか全県での取り組みはやりにくいので、地域に別れて活動してきました。 ※古い資料がなくなってしまっているので正確ではないのですが・・・ ★中部(静岡市周辺) 静岡大学に見えた馬場先生を中心に活動していました。馬場先生が帰郷されてからは中心は小長谷先生など。静岡市や久能山で何回も地区大会を開催しました。 ★東部(沼津、三島、富士) 古くは佐木先生、間々田先生など、活発なサークル活動もありましたが、一時期低迷。最近は野村先生・滝先生などが頑張っています。 ★伊豆 久保庭先生、市川先生がお元気な頃は、地域に根付いた総合サークルとして活発な西伊豆サークルが活動していましたが、久保庭先生のこ逝去のあとは・・・ ★西部(浜松) 藤田、岩瀬、榎谷、丸山、川合先生と地区創立以前からの数教協のベテラシを軸にサークルが続いていました。また、何年も続いた「お母さんの数楽教室」や「公民館講座」なども活発にやってきました。角田、佐々木、宇野先生の後に続く鈴木、鹿野、大塚、道端、小栗先生たちのこれからの活躍に期待しています。 ※静岡県は地区協結成前後はよく県数教協の大会をもっていたのですが最近は県単位の行事はほとんど持っていません。しかしこの間一貫して全国大会や地区大会にも大勢参加して、閉鎖的、孤立主義的な県内の数学教育に新風を吹き込み、算数嫌い、数学嫌いの子どもを少なくするために、水道方式や量の学習を中心にして、「楽しい教学」「元気が出る教学」を目指して活動してきました。 ※「手作りの教具」もさらに工夫し、「21世紀を切り開く数学」を目指して、これからもー歩 一歩 歩み続けていきましょう。 (角田先生の原稿メモをもとに事務局で構成) 岐阜県協の歩み 30年前には岐阜県協といっても組織だったものがあるわけではなく数教協会員として県下各地に点在するだけでした。誰かが呼びかけて数人が顔を合わせた記憶があります。メンバーの中心は丹羽一哲前地区委員長と藤本祐男・由紀子夫妻など。故人となられた祐男さんは中学で、奥さんの由紀子さんは小学校で、民主的とはいえない西濃の地で地道に実践を積み重ねていらしやいました。丹羽先生もいろいろ工夫した実践をされ、全国大会にも参加、発表もされていました。また、全国大会では東海地区で活躍されていた土屋先生とお会いしたことも記憶に残っています。時折、官製研修で「これは数教協の実践だ」と思われる発表があったり、また県教研集会の発表には数教協の成果がかなり取り入れられていました。 岐阜の地でサークルができたのは、93年の第41回長良川大会のあとでした。全国大会を岐阜の地で行った成果です。初回は日光コミュニティーセンターで、丹羽、今井、堀部、太田の4人が集まり今井さんの実践を学び合い、岐阜の地にもサークルが誕生したんだと感動したものです。以後、隔月に定例化して現在も細々と続いています。その後岩佐さんや、さらに昨年からは県協期待の新人・加納さんも参加され、いろんな面で刺激を受けています。現在はアメリカの教科書の日本語訳に取り組んでいます。(うまく行くといいのですが・・・)例会ではそれぞれの実践を交流していますが、残念なことに記録を取ってなく、また、まとめたものをサークルニュースとして発行していないこと。今後はニュースも発行して、メンバーの拡大をめぎしていきたいと思っています。今年は久しぶりに新任が多く、また鳥羽大会にも10人近くの人が参加しましたので、ひょっとしたら、サークル員の数も増えるのでは・・・と期待しています。 (太田 郁) * 岐阜県下にはこのほか 亀井さんを中心とした 木曽川サークルが不定期にもたれています。(私学の先生が多い) また、かって活発に活動していた 『西濃サークル』 (藤本夫妻が中心)や『中央線サークル』 (早川・土屋先生が中心)はともに長い冬眠状態に入ってしまっていることが残念です。 この間、ず−と県独自の合宿研究会や講座などももていません。長良川大会の後、当時の県委員長・藤本祐男先生を40代の若さで病魔に奪われたことが、大きな痛手となっています。 <事務局> 名古屋算数サークルのあゆみ 名古屋算数サークルの第1回例会は、1971年12月11日に開かれています。10月の愛知数教協結成記念集会を受けて、「すべての子に理解できる算数を!算数を不当な差別選別の道具にしない!」を合言葉にもたれたのです。事務局は滝広太郎さんが担当しました。 私<渡辺>が機関紙を担当するようになったのが、73年10月号からで、01年7月現在190号になっています。その通信でサークルのあゆみを振り返ってみます。 初期の頃の例会は、いつも10数人で行われています。報告の常連は、賀川さん(現、戸城)、佐藤さんで、その他、今では他のサークルで活躍している堤さん(体育同志会)、松崎さん(仮説)もよくレポートしています。ちなみに、滝さんは全生研、渡辺は歴教協と、言わば、寄せ集め集団でしたが、みんな若くて生き生きしていました。まだ大した実践もありませんでしたが、公開講座や算数教室も目白押しで、模擬授業もよくやりました。、夏休みなどは3〜4箇所の算数教室を受け持ち、各地を飛び回るという感じでした。子ども参加による授業が可能になるように父母会員制度も設けていました(多い時は70名程の登録があった)。名古屋市も革新市政となり、時代の流れに乗っていたとも言えます。 悩みはサークル例会の会場さがし。国鉄会館(名駅)・単一会館(金山)・三喜神社(池下)などを転々としていました。また、寄せ集め集団でしたので、遠山啓『量と構造』などをテキストにして、理論学習会を賀川さんの下宿で欠かさず行っていました。 その後、愛知でも、いろんなサークルの活動が活発になり、例会への結集も悪くなり、80年頃より例会会場も個人宅(弥富の戸城宅、後に北区の渡辺宅)としました。今 考えると、会場を個人宅にしたことは、常連の参加者には都合がよくても、新しい人は参加しにくいものです。結局は参加者を固定させてしまったようです。ただ、例会は少人数になりましたが、実践の積み上げもでき、対外的な情宣に力を入れました。「ゲーム集」(74年)や「楽しい学校を創ろう」などガリ刷りでの発行を手始めに『東海の実践と研究』発行に挑戦しました。 79年 第1集「教師の生活と生きがい」 星野和夫 83年 第2集「5−2遵法による繰り上がりの指導」佐々木忠栄 「子どもたちと作るかけ算」 岡崎行雄 「小数授業プラン」 森五郎 「資料」 渡辺靖敏 85年第4集「がまんだがまんだうんちっち」尾張旭算数研究会」 88年第5集「四角形」 水野克則 89年第6集「たいしょう島の探検」 伊藤育雄 さて、90年代、ここ10年間のサークル活動は停滞している。 新たな試みとして、「サークル通信」を通して実践交流を深めようと実践報告を中心とした通信づくりに力を入れた時期もあったが、うまくいかない。サークル員間をメールでやりとりする時代も近いとは思うが(もう、『近現代授業づくり研究会』ではやっている)、今や例会案内だけの「ハガキ通信」に落ち込んでしまっている。 でも、毎月1回、顔を合わせるのが楽しみで細々と例会は続いている。 かつてのように、例会を活発化させるには、算数教室や公開講座を開き、その活動内容を知ってもらうことがポイントであると考えています。 でも、少し呼びかければ、人が集まった時期とは違い、人を集めたりする手間にエネルギーを注ぎ込む気力がないのが、現状かな? サークルの例会会場には 『数学教室』が創刊号からそろっているよ。 小学校の教師には魅力の資料もいっばいあるよ。 みんな、来て見て!!!!! サークル代表 ・水 野 克 則 事務局 渡 辺 靖 敏 例会日 毎月第3土曜日 例会場所名古屋市北区東味鏡2丁目2810番地 052−901−0291 《渡 辺 靖 敏》 名古屋中学校サークルのあゆみ ロ1972年6月3日 8名のメンバーでサークルが発足しました。戸城、相馬、橋庸、川原、奥村、杉野他。若い教師や学生を中心に生きた活動を開始しました。 ロ1974年1月22日 「名古屋すうがくサークル」の通信第1号を発行。『すべての子どもにわかる数学を!たのしい授業の創造を!』のスローガンを掲げました。戸城さんを中心に金山の<スワロー>に集まってサークルを開いて実践交流を進めていました。 ロ1974年10月 サークルを活性化するために事務局を発足させました。事務局として戸域、奥村、後藤、川原、内田が参加し、サークルの持ち方を@例会は月1回行う。A会場は千種の喫茶店ロニカB学年別の会も月1回行うなどと決めて活動することになりました。1年のメンバーは前田、後藤、鈴木、久保、2年は水畑、戸城、岩田、内田、小笠原、3年は奥村、川原、相馬でスタート。 ロ1975年3月20日 サークル通信NO8には会員数15名という記録が有ります. ロ1977年4月9日 サークルの総会が開かれました。参加者は:水畑・杉野・内田・山田・清水・前田・川原・奥村・後藤・保坂・樋田・前田武の12名。 □1977年8月 集1回サークル合宿研究会開催。参加者11名。 □1979年 サークルの会員数は21名。 口1982年5月 杉野直紀先生ご逝去 □1993年 <東海の実践と研究>シリーズで『すぐに作って遊べる楽しい図形』を発行。サークル活動を進める中で、何度も自分たちの実践をまとめようと話が持ち上がりながらなかなか進みませんでした。それまで全国大会などに参加して、学んできたことや、自分たちの実践をバラバラにしておかないでまとめようとの声があり、とりあえず、図形の模型を中心にまとめました。 □1996年 私立高校の入試問題を改善するようにサークルとして私立高校や関係機関こ「要望書」を送り、入試問題の改善に取り組みました。 (私立高校の推薦入試などの問題に「確率・標本調査」の単元の内容が出題されていたが、中学校の授業ではこの単元は推薦人試時期より後に行うことになっており生徒こ不安を与え、現場に混乱をもたらしていました。》 ロ2001年9月 現在サークルは9名のメンバー(奥村・山森・水畑・山田・野々垣・内田を中心として)で月1〜2回、東社教センターで実践交流をしています。飲み会などのときが一番参加者が多いのが実情ですが・・・ (内田) 西三数学サークル サークルの沿革 ★1971年2月 に西三河地区の青年教師を中心に発足。刈谷の私塾を会場に教科書分析などを行う。 ★1974〜6年 授業が成り立たない状況が全国に蔓延する。これに直面した数教協(数学教育協議会)の教師たちが、幼稚園から大学までの一貫カリキュラムの構想を棚上げして授業変革に取り組むのと平行して、サークルの教師たちも投げ込み教材・生徒がのってくる教材の収集・開発するところから、授業変革を試みるようになった。 ★1978年 数教協の全国大会が蒲郡で開かれ、(故)遠山啓、森毅、銀林浩各氏をはじめとする全国の研究者や授業の名人(職人)に触発される。 ★1982年 それまでサークルのメンバーが授業で使ったアイディアを集めて「手作りの教具・教材82年度版」として発行。赤字覚悟で300冊を恐る恐る出したところ、数教協の大会をはじめ、組合の教研究集会などで評判がよく、アッという間に完売。以後冊子発行を一つの目標として「83年度版」「85年度版」「87年版西三サークルの本」「89年度版」を発行。いずれも好評を得る。 ★1984年 安城市で「市民のための手づくり数学広場」、碧南市で「こどものための手づくり数学の広場」を開催。 ★1987年 安城市中央公民館で文化講座の一つとして「市民のための手づくり数学講座」を受け持つ。「数あそぴ」「モビールをつくろう」「フィボナッチ数列」「折り鶴と数学」「ネパールの数学教育」などのテーマで、各会員が交代で講座を担当。 ★1990年 ユニークな教材作りを続ける東京の黒田俊郎さんと一緒に、あゆみ出版より「楽しくわかる数学100時間(上・下)」(黒田俊郎・小林昭編)を著す。 ★1993年5月 豊田市土橋小でおやこ劇場主催の子供科学広場「みなみ・おやこであそぽまい」に協力、参加。94年5月には豊田市大林小での「パートU」にも協力、参加。 ★1995年2月 豊田市若園公民館講座「手づくり算数を楽しもう」の講師担当。95年10月には 同「科学でワクワクお菓子つくり」の講師担当。 ★1997年5月〜11月 安城市桜井公民館講座「親子で楽しむ算数・数学教室」(10回連続)の講師を担当。 ★2000年9月 西三サークルのHP開設 URL[http://www.seisan-math.net/] サークルの活動 例会は、原則として隔週金曜日(年間15回くらい)夜7〜9時、安城市文化センターで開かれる。参加者は西三河地区の高校の教員を中心に、知多、名古屋東三、大学、中学、小学校からも参加があり、毎回10名前後。内容は授業レポートや教具の紹介、教学に関係した新聞・雑誌の切り抜き、書籍の紹介、授業やHR、文化祭でつかえるおもちゃやアイディアの紹介・斡旋などで、サークルは教学に限らす、教育や社会全般にわたる情報のネットワークの場となっている。サークルでは、出席、レポート提出、発言などの強制はいっさいぜく自由が保証されている。(例会後に、近くの喫茶店で2次会。こちらは各種非公開情報の交流の場である) 毎回、サークル通信を発行。配布は例会参加者、西三河地区の県立高校の教員(高教組の会議で配布依頼)および通信会員。 学期末には会食をかねた例会を持つ。また、年度末には講師を招いて合宿研究会。例年30名くらいの参加がある。 各種研究会には、会員が自主的に、積極的に参加できる手立てをする。レポートを頼まれたときは、会員がお互いに都合をつけて積極的に応じている。 数教協の登録サークルとして、事務局は東海地区数教協の会議に参加している。 西三数学サークルの本 *のみ在庫あり 1982年 「82年度版手づくりの教具教材」 1983年 「83年度版手づくりの教具教材」 「ピタゴラス+ヨシタ号」(82年度授業実践記録) 1985年 「85年度版手づくりの教具教材」 「サークル通信 第1集」 1987年 「87年西三サークルの本」 1989年 「89年度版手づくりの教具教材」 1990年 「楽しくわかる数学100時間上・下」(あゆみ出版) 1992年 「西三サークル通信 第2集」* 1994年 「数学・数楽」(小林昭遺稿集) 1997年 「97年度版手づくりの教具教材」* 「西三サークル通信 第3集」* 西三サークルへの問い合わせは 広田(Tel 0566−75−6757) またはヽ竹中(Tel056-52−2285) までお願いします。 西三サークルの活動については HP(http://www.Seisan-math.net/) をご覧ください。 愛知数学≪MATH!≫の歩み 1988年10月に、算数・数学教育にさまざまな関心を寄せているアマチュアのお母さん方が臆せず実践を発表し討論し合える場として、私達のサークルは誕生しました。 当初は、メンバーの特徴と要求をそのまま表した《愛知父母算数サークル》が正式な登録名称でした。けれども、年を追うごとに、我が子だけでなく算数・数学でつまずいている地域の子どもたちを対象に、サークル活動の中で得た成果を還元していこうするメンバーの数が増えていきました。10年目には、すでに<一父母>の立場としての参加ではなくなり、実践レポートの内容も<算数> ばかりでなく <数学> の領域へと広がり続けることが明瞭になりました。そこで1998年5月に、その体を表すべく、現在の名称《愛知教学サークル》に改めました。そのような変遷はありましたが、通称の《MATH!》(さあ!数楽しよう!)に表されている気風は一貫していると自負しています。 私達のサークルには会則はありませんが、「数学教室」を定期購読することと、月例会でのレポート発表や発言を積極的することが申し合わされています。前者については、数学教育協議会の全国会員ではないメンバーも、この組織を支え、各地の研究成果に学ぷ姿勢を持ち続けるためです。後者については、特定の指導者を作らず、全員がサークル活動を進める主体として働くことを大切にしたいと考えているためです。このの2つの申し合わせが守られることによって、メンバーの誰もが持てる力を発揮して、サークル活動に寄与するカラーが作られてきたのだと患います。 月例会には、2〜3本のレポートや新作の教具などが提出されます。討論では厳しく辛辣な発言が飛びかいますが、「子どもにとってどうか?」という立場を堅持したこの徹底討論にこそ、私達は心から沸き上がるような楽しみを感じています。午前10時から午後2時までの4時間では収まらす、翌月に継続することも少なくありません。 サークル通信は、8月を除いて毎月1回発行しています.2001年7月現在で、142号までになりました。内容は月例会の報告が大半を占めています。欠席したメンバーにも例会での討論のようすがリアルに伝わって、「来月はぜひ行こう!」という気持ちになってもらえるようにと努めています。その他、数教協の催しの案内などを掲載しています。 こうした活動の中で、次に列挙するような発表のチャンスなどを与えられてきました。 1989年 数教協高知大会 教具展に出展 1990年 数教協仙台大会 教具展に出展 1991年 愛知民教連春の集会 算数講座担当 数教協有馬大会 教具展に出展 。 1992年 愛知民教連春の集会 算数講座担当 数教協函館大会 教具展に出展 1993年 数教協長良川大会 教具展に出展 障害児分科会・幼児分科会でレポート発表 1994年 絵本「えんそくのあさ」発刊 遺稿集「遠山孝行の仕事」発刊 1995年 数教協湯沢大会 分科会で教具紹介 「数学教室」2月号に教具紹介投稿掲載 1996年 数教協阿蘇大会 教具作り分科会を担当 父母分科会でレポート発表 1997年 数教協和倉大会 教具展に出展 父母分科会でレポート発表 教具作り分科会を担当 教具「割合ゲージ」商品化 1998年 数教協三沢大会 小学校分科会・父母分科会でレポート発表 1999年 数枚協琴平大会 小学校分科会でレポート発表 2001年 東海数教協研究会義 教具作り分科会を担当 数教協鳥羽大会 ポスター展に出展 以上の他 1990年10月−1992年9月 公開講座「昔、子どもだった人のための数学再入門講座」主催 今年10月に発足13年目を迎える《愛知数学サークル》ですが、東海数教協の皆様方のお支え、特に公開講座をお引き受け下さった故小林昭先生とのご縁から生まれた西三サークルの方々の長年に渡る交流とお励ましに対して、感謝申し上げたいと存じます。 (文責:事務局 山科) |