平成9年ネ第154号(被控訴人 準備書面)


準 備 書 面(一)

平成九年(ネ)第一五四号 公共下水道設備工事同意等請求控訴事件

準 備 書 面(一)

控訴人有限会社◯ ◯ ◯ ◯
被控訴人翠松園道路対策組合

  平成九年七月一〇日

        右被控訴人訴訟代理人弁護士
川   端       浩

名古屋高等裁判所民事第二部 御中


             記

  控訴人の準備書面(一)記載の主張につき、次のとおり主張する。
一 控訴人の地役権の消滅時効の主張について
1 原判決認定の地役権はいわゆる「継続地役権」であって、控訴人主張のごとき不継続地役権ではない。
 右両者の区別は、地役権の行使が時間的に間断なく継続しているかどうかによる区別である。継続地役権とは、たとえば、承役地に通路を開設している通行地役権や用水路を敷設している引水地役権、眺望を妨げるような建物をたてさせない観望地役権などのように間断なく権利の内容が実現されているものを指し、通路が開設されていない通行地役権や汲水地役権のように権利の内容を実現するためには、個々の行為を必要とするものは不継続地役権と解されている。概して一定の設備を設けることを内容とする地役権や不作為地役権は前者であり、設備を設けない作為地役権は後者であると解されている。
 そして、本件地役権は継続地役権に該当するものと解すべきである。
 すなわち、原判決理由に説示するとおり「朝倉らは、明治四五年七月一二日に本件旧土地を取得してこれを共有し、大正末頃から本件旧土地を郊外型住宅地として分譲する計画を立て、昭和の始め頃から数度にわたり、本件旧土地を百余筆に分割・分譲し、すべての分譲地が幅員四メートルないし六・五メートルの道路に接面するように道路部分(二七七三番四二、二七五八番二八二、二七五八番二八三がその大半を占める。)を予定した。
 そして、右道路予定地部分は、右分譲の対象から外され、二七五八番二八二(以下「旧二八二土地」という。)については昭和一四年八月二八日に二七五八番三八一ないし二七五八番三八六が分筆されるまで朝倉らないし朝倉の家督相続人である朝倉銚太郎と谷口による共有状態が続いた。そして、右共有状態継続中の昭和五年頃には、旧二八二土地の一部分である本件土地は、第三回分譲地区画図(甲第二一号証)において、分譲地部分とは区別して道路部分として表示されており、分譲地番号、坪数、単価、価格の記載もされておらず、分譲対象から除外され、道路敷地部分として予定されていた。
 右のとおり翠松園内の道路予定地とされた部分は、当初から外形上も分譲宅地用の区画とは区分され、道路の形状に整地され、将来の公道化が見込まれていたのである」(原判決書理由二九頁六行目から同三一頁一行目まで)
2 以上のとおり、翠松園内の本件土地を含む道路予定地とされた部分は、当初から外形上も分譲宅地用の区画とは区分され、道路の形状に整地され、将来の公道化が見込まれていたのであり、道路予定地部分はU字溝等の道路付帯設備の設置を伴うものではなかったが、道路部分として樹木を伐採、抜根し、車馬の通行可能な地盤に整地した幅員四メートルないし六・五メートルの平坦部を設け、道路を開設したのである。
 右道路予定地部分は当初から将来の公道化が見込まれていたのであるが、当時は公道化するための手続きが整備されていなかったため、昭和一四年八月二八日に二七五八番三八一ないし二七五八番三八六が分筆されるまで朝倉らないし朝倉の家督相続人である朝倉銚太郎と谷口による共有のままおかれたのであって、朝倉ら本件旧土地の分譲者は、その分譲事業の実施にあたり、分譲宅地部分と道路予定地部分を外形上も明確に区分して道路の形状に整地して造成を行っており、右道路予定地部分を分譲宅地部分のための道路として確保するため、その所有権を分譲者に留保していたのである。従って、それまでの間は、右道路予定地部分は、実質的には分譲地を取得した者全員の共有に属していたものというべきである。
 その後、朝倉らは、右道路予定地部分につき、愛知県守山市(現在の名古屋市守山区)に対し、公道としての寄付采納を求める手続きをしたのであるが実現するに至らなかった経緯もあるのである。
3 そうすると、「戦後、本件土地を含む相当数の道路予定地が投機の対象とされて、所有権が転々と移転するに至」(原判決書理由三一頁)るまでは右道路予定地部分については、通行地役権のごとき要役地と承役地の関係は存在しえなかったのであるが、その後、道路予定地を取得した所有者らと翠松園居住者らとの間に道路としての使用を巡って一連の紛争が生じ、その過程で通行地役権の存否が始めて争点となったのであるが、前記のとおり、本件土地を含む道路予定地は、当初から、道路の形状に整地され、道路として開設されていたことが明らかであって、民法二九一条所定の継続地役権に該当する。従って、その消滅時効の起算点は、その行使を妨げるべき事実の生じた時であるから、これを本件土地のごとく通路の開設されている通行地役権についていえば、事実上通行しなくなっても、それは時効の起算点とはならず、承役地所有者または第三者により、あるいは天災等により通路が破壊された時をもって起算点とするのである(我妻ほか「判例コンメンタール2(物権法)三三八頁」、中尾英俊「注釈民法7四四九頁」等参照)ところ、本件土地を含む道路予定地に関しては、右消滅時効の起算点と認められる事実関係は全く存在しないのである。
4 のみならず、原判決理由に認定説示するとおり、「本件土地は、北側が行き止まりの地形であって、一般通行者の利用の必要性が少ないこともあってか、隣接宅地に建物が建てられるまでの間に次第に雑木が生える状態になっていたが、昭和六〇年頃、本件土地の隣地である二七五八番七五四に早川正俊が家屋を新築した際、原告組合員らで組織する町内会組織翠松園会の一一番街町内会が、本件土地上にあった雑木を伐採し、土をいれて整地する作業をしたことがあるほか、その後も同会では毎年本件土地に砕石を入れて整備するなどの管理を行ってきた。そして、右早川正俊は、◯◯◯◯が本件土地を取得したころには既に本件土地の中央部やや北側に排水用のU字溝を設置しており、また、昭和六一年三月頃には、右翠松園会が、本件土地の北東角に排水桝を設置しており、周辺民家から集まった排水は、この排水桝を経由して北側の県有地に導かれ、更に北側の県道下に埋設した雨水桝と排水管を通って県有地小幡緑地へと流れている。」(原判決書理由三六頁)のであって、本件土地は前記のとおり宅地分譲が開始されたころから道路用地として区画整備されてきているのみならず、本件土地を含むA流域と称する地域においては、本件土地は最も低地に位置しているため宅地分譲が開始された当時から現在に至るまで、右地域の雨水や汚水は低地である本件土地に向かって流れ、本件土地を通過して県有地小幡緑地に排水されているのである。なお、原判決認定の県道は、近年、県有地小幡緑地が整備され、盛土造成して設置されたもので、現在でも小幡緑地は本件土地よりも更に低地に位置しているのである。
そうすると、本件土地には、A流域分譲地を要役地とする流水地役権が継続して存在していたというべきであり、これが継続地役権に該当することは多言を要しないところである。
二 以上のほか、控訴人の準備書面(一)記載の主張については、否認又は争う。
以    上 

註:当事者からの申し入れにより、当事者名の一部については匿名としました。


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