資  料 No.6


守山区小幡翠松園地区道路認定に関する陳情書

  昭和四十三年 月 日

守山区小幡翠松園地区道路認定に関する陳情書

陳 情 代 表 者
名古屋市守山区大字小幡字北山二七七三ノ一五九
翠松会会長 小幡連区翠松園
町総代小  島  義  隆
名古屋市守山区大字小幡字北山二七五八ノ三〇
翠松園道路対策組合
理事長渡  邊  忠  勝
                





  名古屋市長 杉 戸   清殿




名古屋市守山区小幡翠松園地区内左記道路敷を道路法第八条に基づき市道として御認定いたゞくようお願い致します。

             記
  地  番       地 積         地  番       地 積
            (平方米)                  (平方米)
2758の282    4525      2758の179     221
2758の283     958      2758の 57     188
2758の381    1520      2758の187     618
2758の382     112      2758の343    3599
2758の383     135      2758の442    8601
2758の384     892      2758の444     737
2758の385     495      2758の479      13
2758の167     535      2758の542      19
2758の171     105      2758の584    3553
2758の172      59      2758の592      62
2758の173      95      2758の594     710
2758の174      95      2773の 42  154041
2758の175     109      2773の 56     165
2758の176      89      2773の142     330
2758の177      23      2773の155     228
2758の178      52      2773の164     423
                      2773の166      46
 
                        総面積 44,458平方米




     理    由
翠松園内の道路敷の認定につきましては、昭和三十八年六月二十五日名古屋市会議長殿、名古屋市長殿に夫々請願書、陳情書を提出いたしまして、既に御審議をいたゞいていることと存じますが、次の理由により緊急に道路認定の御措置を賜わりますよう重ねてお願い申し上げます。
一、翠松園内道路敷の公道的既成事実
翠松園内の道路敷は、大正の末期朝倉千代吉、谷口藤次郎の両名が共有していた約四二九、七五二平方米の土地を住宅地として分譲する計画を樹て、分譲すべき土地が、いずれも巾員四米内至六米(側溝付)の道路に接するようにして百余筆に分割した結果生じたもので爾来四十年公私を問わず何人も事実上公的道路として善意、無過失、平穏、公然に且継続して使用されたものであります。翠松園内に建築する場合の建築基準法に基づく建築許可及当該道路敷に対する固定資産税の非課税等の例をとりあげてみましても園内の道路敷が住民は勿論のこと、県、市当局においても公的道路として既に認められていることは明らかであります。

二、翠松園地域内住民の生存権の擁護
当該道路敷は分譲地売渡しの際、分譲価格に包含して売買されたにもかゝわらず、分譲者、朝倉、谷口両名の共有として放置されたまま市当局への寄付採納の手続をすませていなかつたため昭和三十五年頃から所有者の所有権移転、地目変更等が逐次行なわれ昨今では暴利を貪る悪徳業者の手に渡り商取引の一対象物件にされてしまいました。
昭和三十五年七月二十四日突然園内二七五八の四四二に八六〇一平方米を所有する柳瀬為雄より当該所有地(道路敷、三十四年六月山林を宅地に変更している)に隣接した土地を買取つてほしい旨地元に通知があり、続いて同年九月十四日二七七三の四二の一五〇八七平方米を所有する朝倉丞作より地元に対し同趣旨の通知がありました。昨日まで公道であると信じ、園内に土地を求め住宅を建築し、日夜通行していた住民にとつて、この土地が囲繞地であつたと突然知らされた時の驚愕は察するに余りあるものがあります。
柳瀬、朝倉両名は地元住民が買取の請求に応じないとみるや、相ついで要所に通行禁止の立札をたて、有刺鉄線のバリケートを張る等住民始め総べての通行を阻害し、また翠松園の喉首ともいうべき主要出入口に建築着工の準備行為をする等の暴挙にで、あまつさえ居住者を戸別訪問し、買取強要のために、恐かつ的態度を示す等住民を不安のどん底に陥し入れました。
住民並に園内土地の所有者は、生存権擁護のため、直ちに、「翠松園道路対策組合」を結成し、交通妨害等の排除に努めましたところ、幸にして各関係官庁の御尽力により、バリケートは撤去され出入口の建築申請は却下となり、一先住民は日頃の平穏をとりもどした次第であります。昭和三十六年四月朝倉丞作は園内居住者(四十七名)並に中部電力、電々公社を相手どり当該道路敷の使用禁止、送電柱、電話柱の撤去の請求を名古屋地方裁判所に提起してまいりました。
昭和四十年十月十六日名地裁は原告朝倉の請求は私権の濫用であると、これを全面的に退け、住民の主張である無償通行権は認められ、電柱施設等の撤去の請求は却下され(控訴審にて、中電、電々公社は和解)完全に私共の勝訴の判決言渡しがありました。
朝倉は直ちに名古屋高等裁判所に控訴いたしました。
しかれども朝倉はその後、裁判の途中にもかかわらず自己の所有する土地を、他に転売し、翠松園地域内には、その所有地が皆無となり、あまつさえ裁判審理中において、これを放棄するが如き態度をとりました。
遂に昭和四十二年十二月二十七日に第一審判決は確定済みである旨の証明が下され私共の勝訴に終わり、ここに裁判の終決をみた次第であります。
道路問題こそ私共住民にとつて緊急且死活条件であり、このさい多年の訴えを一気に解決すべき時期がきたものと考えます。

三、翠松園住民の市民生活の確立
私達住民は従来より固定資産税、住民税、並に目的税である都市計画税をだれ一人として滞納することなく完納しております、にもかゝわらず名古屋市民としての何ら恩恵に浴していないばかりか日常生活さえおびやかされていることを誠に遺憾に思います。今日においては市内住宅地何処においても、上水道の設置は当然のことであるにもかゝわらず道路敷が私有地であり、しかも係争中であるがため住民の再参の要望も空しく未だ実現をみておりません。
渇水期における住民の困窮、火災に対する無防備等全く前世期そのままの状態で、日常生活を維持することは到底でき得ません。又地形は丘陵地であるため雨水による道路の損害も極めて大きくかつ、近来とみに園内を通行する自動車も増加し、道路の損傷も甚しく、住民はしばしば総出で道路補修をしております。その修理費、資材の購入並に施工費も年間参拾万円を要し、その経費は各戸毎に負担しております。当該道路の補修に当つて都市計画税を徴収している市当局が何ら配慮せず、いたずらに住民の労力奉仕と経費負担のみゆだねられているこの現実もやはり道路敷が私有地であることに起因するものと思います。

四、結  語
以上前述の如く公道として既に認定されて然るべきものを今尚私道として放置されているところに住民の生存権を阻害する問題が惹起されるゆえんであります。この上は当該道路敷を早急に市道として認定していたゞくことが重要且唯一の解決策であると確信致します。
何卒名古屋市議会、名古屋市当局におかれましては翠松園地域の現実を十二分に御調査いたゞき、私権を濫用し、暴利をむさぼる一悪徳所有者(不動産業者)の慾望を許すことなく、公共福祉の立場から市民の生存権を擁護し、併せて生活の向上のために緊急に道路法八条に基づき市道として御認定いたゞくようお願い申し上げます。



関 係 者 名 簿 (昭 和 四 十 二 年 四 月 現 在)

            ( 翠 松 園 居 住 者 )

一  組   十一名( 氏名 略 )
二  組    七名( 氏名 略 )
三  組   十八名( 氏名 略 )
四  組   十五名( 氏名 略 )
五  組   十二名( 氏名 略 )
六  組   十七名( 氏名 略 )
七  組   十三名( 氏名 略 )
八  組    九名( 氏名 略 )
九  組    九名( 氏名 略 )
十  組    九名( 氏名 略 )
十一 組   十二名( 氏名 略 )
十二 組    八名( 氏名 略 )
 
不在地主 池田達彦 他 約五〇〇名




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