資  料 No.1


第2次分譲時パンフレット

翠松園土地分讓御案内


輓近都市の膨張は著しく發展し、京阪や東都の郊外が如何に住宅地として開發せられたかは今更言ふ迄もなく、我名古屋市も近時中京の大名古屋と誇り得る事となり、都市計畫に秩序整然たるの日も近く既に文化住宅とか、郊外住宅地として土地分讓の聲は所々にかなり大きく、曰く何、曰く何、と、特筆はするものゝ、果して然るか否かは實地の問題であります。
故に此の翠松園分讓地は、近くて便利で高燥で然かも風致に富むのは論より實地を御一覧の上、是非御賛成を願ひたいと思ひます。然りながら、少しは土地の模様も御話しせんければ御一考の材料にもなるまいと思ひまして、便利と風致や眺望の一端を簡單に述べ、御案内を致します。

   一、風致や眺望の翠松園分讓地
東は猿投の朝霞から、赤津瀬戸の山々も見え、南は猪子石鍋屋上野覺王山杯の翠岱に白布を展べたる矢田川の流も清く、西は大名古屋を一眸に收め、金城は旭に輝き、大廈高樓魏々として壯觀を極め、北は龍泉寺の多寶塔を隔てゝ小牧山本宮山尾張富士、遠くは江州の伊吹加賀の白山木曾の御嶽と眺め見飽かぬ高臺であります。
然らば翠松園分讓地の周圍はと、御尋ねなれば、此處は昔しながらの小幡ケ原、彼の有名な秀吉信雄の長久手合戰に、家康と池田勝入との戰で名高い、茶臼山松林鬱茂の間に突飛し、其南には今尚ほ外壕の跡もある。一名城山を隔てゝ各務ヶ原飛行隊の小幡着陸場もあり、名古屋飛行學校の毎日の練習飛行は居乍らに見え、古老の傅ふる二ツ池の水は紺碧に澄み渡り、春は四圍の小山に躑躅の花も奇麗に、小鳥の囀るあり、野邊は蓮華草に色どられ、夏は松樹をくゞる涼風に熱さを忘れ、夕に螢狩の興もあり、秋は茸狩、月夜の眺め吟歌を競ふ虫の聲音、冬は雪の銀世界四期を通じて何不足なき分讓地其の景色は神秘とも謂ふべき仙境の感があります。

   二、交通の便利としての翠松園分讓地
名古屋堀川端から名古屋城の外壕を廻りて瀬戸に逹する瀬戸電鐵の沿道で、喜多山停留所より僅か三丁であります。其處で名古屋からの連絡としては市電の循環線片端の景雪橋本町大津町久屋又は大曾根行の森下から瀬戸電へ乗り換るのが便利で、中央線大曾根驛なれば驛前停留所から御乘車になればよろしい。
然し瀬戸電としての便利はと云へば堀川小幡間約五分乃至七分毎、堀川印場間は十五分毎、瀬戸へは三十分毎に發車しておりますから、凡そ森下からは十五分で分讓地へ行けます。複線工事完成の上は一層便利を加へ特に分讓地域内のお方には年限を定め乘車賃の割引の便宜を與へらるゝ筈です。
自動車の便は森下瀬戸間乗合自動車が出來まして午前六時より午後十二時迄三十分毎に運轉して居りますから至極便利です。

   三、土地の高燥と飮料水としての翠松園分讓地
前に述べた眺望と風致を有するより今更高燥なる土地としての説明の要なく、吹く松風も幽邃閑雅に而かも南受けの暖かさ、空氣の流通も惡しからう筈なく、飮料水は翠松園に清き井水の湧き出でゝ居るからは郊外住宅として、衛生上にも經濟上にも、一点の不足なしと思ひます。

   四、京都東寺の名古屋別院
京都東寺は眞言宗總本山にて弘法大師の根本道場で名高き事は皆様の御承知の事であります此東寺が世潮人心の傾向に鑑みられまして名古屋別院を建設する事になりました、昭和二年五月地鎭祭を執行され愈堂宇の計畫成り目下基礎工事中であります。
第一回分讓を昭和元年十二月に發表致しました處、一大歡迎裡に全部賣盡しの盛況を呈しまして、御求の各位の住宅も追々出來まして愈々發展の機運に向ひました。然るに各方面の方々より分讓の御希望が續々ございましたから第二回を決行する事に致しました。
何卒地圖と實地を見較べて理想樂園の御住宅なり、浮世離れの御別莊として御賛成下されん事を



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