→ネイ島IN宿
 
 与えられた部屋は海を一望出来る窓を備えていた。何もない島ゆえ、これを売りにしているのだろうとテッドは思い、
 窓から離れ、ベッドに越しかけた。
 霧の船から出てそんなに月日が経った訳ではないが、船の上の生活をしていると、この風景に感動も有り難味もない。
 もしかしたら、そうではなく自分の心と言うものが既にそう言うようなものを感じなくなってしまったのかもしれないと、頭の隅で考えたが、どちらでも良いと切り捨てた。
 ベッドに掛けておいた弓と矢を入れてある筒ごと持ち、筒のほうを自分の横に置く。携帯していた手入れ用のセットを取りだし、その中の布で一度埃を拭い、それから(この地域ではこれを使用するらしい)椿油をつけ、薄く、斑のないように丹念に磨いていく。
 その姿を、対のベッドに腰掛けているアルドはじっと眺めていた。同じ弓使い、特別な事をしている訳でもないテッドを見て何が楽しいのか、見られているほうのテッドには理解が出来なかったが、敢えて尋ねる事はせず、気付かない振りをしていた。
 弓が終わり、次は弦の点検に入る。海の中に住んでいるという印象を受ける群島諸島では麻ではなく鯨の筋を使って弦を作っているために、正直テッドは慣れない。調節の仕方も張りもが誰かから教わる気にはなれず、つい最近まで全て打った時の感覚でその度調節をしなければならなかった。
 湿気に強いらしく、上手く使えば300は打てるのは評価できるところの一つだ。船に乗ってからは気にしなくても良くなったが、生き物を材料としていわりには安いというのも良い。
 慣れさえすれば悪いものではない。
 
 「―――――――――――テッド君。」
習慣で周りの気配に気を配りながらも作業に集中していたテッドは、名を呼ばれて反射的に手を止めた後、目だけで声の方を見た。そのには始めた時と同じ格好のままのアルドがいる。
曰く、アルドは手入れをしているのを見るのが好きらしい。その人がどれだけの愛着を持っているかが判るからだという。
「テッド君にとって幸せって何?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
アルドが突拍子もない発言や質問をするのは今に始まった事ではなく、大抵その的になるテッドは既に驚きもなく、また作業を始める。
アルドも無視をしたような態度のテッドに慣れたもので、気にせず話を続ける。
「テッド君って、弓の手入れの時あんまり楽しそうじゃないね。まめにしてるのに。」
「武器は狩るため、身を守るためのものだ。愛着なんて関係ない。手入れをするのは必要な時に支障が出ては困るからだ。」
口から出るのは最低限度の返答。本来なら無視を決め込むところだが、アルドが相手では諦めるという言葉を知らないらしく、幾らでも問いかけなおし、何時までも返事を求める。
流石に耳障り故に、いまでは一応返事をする。なるべく、話が切れるように。
その間も、テッドの目線は手入れをする手のほうに向いている。
(・・・・・・・っと。)
矢を仕舞う際、ベッドの起伏により矢筒より僅かに顔を出していた柄を持たない刃のみの細剣を気付かれないように奥へと押す。
矢がなくなったときの暗器はこれだけではない。他にも体の各所に隠し持っているが、正直なところこれの整備が一番厄介だ。
専門ではないから道具もやり方も知らず、しかし人に任せることなんて言語道断。しかも人に見られたり勘付かれたらその暗器はもう役には立たないと思うしかない。

 ふっとアルドが立ち上がった気配がした。どこかへ行ってくれるなら願ったり叶ったり。テッドは特に顔を上げるようなことをしようとは思わなかったが、足音が近づいてきたのと影が自分に
掛かってきて、上げざるをえない。
かちあった視線を保ったまま、アルドはしゃがみ込んでテッドよりも低い目線になり、手を伸ばした。
その手が自分の前髪に触れようとしているのを何となく察したテッドは辿り着く前に、伸びてくる手を払った。
「邪魔をするな。」
「テッド君の幸せって何?テッド君は今、幸せ?」
見下すように睨み付けても、アルドは顔色一つ変えず―――後で思い出すと、むしろ聞こえていないようで少し気味が悪かった―――払われた手もそのまま宙を漂ったまま、アルドはテッドに訊いた。
「答える義務はない。」
「義務とか、そんな難しいものじゃないよ。僕はただ・・・・・・・・・。」
弾かれた手がまたテッドへと伸ばされる。今度は、髪ではなく頬へ。その手は、またも触れることなく、今度は手首を捕らえられた。
「俺に触れるな。」
「テッド君は、触られるのが嫌いなの?僕は好きだよ。人って温かいよ。」
「生暖かい、血を浴びたような気分になる。・・・・・・・・・・・・・・・嫌いだな。」
「悲しいね。・・・・・・・・・僕は人と一緒に入れることが幸せだよ。この船に乗れて、いろいろな人がいる。テッド君がいる。僕は今、すごく、幸せだよ。」
「お前の幸福論に付き合う気はない。個々に違う感性を持つ人間に対し、自らと同じ幸福論を押し付けるのか、お前は。」
「そうじゃないよ、テッド君。僕はただ、自分の幸せを言ったまで。テッド君の幸せは何?」
「―――――――言ったはずだ。答える義務がない。勝手に喋っておきながら等価交換とでも言うつもりか?」
責めるような言葉に、アルドは初めて顔を歪ませ、俯いた。テッドの捕らえていた腕も力なく垂れたのを見て、手を放す。
放された手は反対の手と同様に膝の上に収まり、アルドは俯いたまま、緩く顔を振った。
「そんなんじゃない。そんなんじゃないよ、テッド君。」
「どうであろうと俺には関係のない話だ。それじゃ、俺は先に寝かせてもらう。」
まだ寝るには早い時間だったが、やることはないし、なによりアルドの気配でいつも以上に浅い眠りになることはわかりきっている。
ならば、明日のために早く寝ていくのは当然のことであろう。
弓と矢をベッドから下ろして脇に置き、それから上着を脱いでクローゼットに仕舞う。その間も、アルドは石のように動かない。
テッドは気にせず、部屋を照らしていた蝋燭の火を消し、窓から差し込んでくる明かりを頼りにベッドへと戻る。
「そこにいても何か変わるわけではないだろう。さっさと自分のベッドに戻れ。」
布団をかぶり、ただ一言だけ、彼に向けて呟くように言った。
それでも暫くアルドは動こうとしなかったが、意識が軽くまどろみ始めた頃、動く気配を感じた。









→オベル船INテッドの部屋

微かに聞こえてくる波の音、子供のはしゃぐ声、全てが日常的な中この部屋だけが世界から切り離させた感覚を、テッドは感じていた。
久しぶりに長く話した所為か、それとも自分の精神的な所為か、どちらにしろ、ひどく喉が渇いている。
「これで、わかっただろ。もう俺に近づくな。」
目線はアルドを見ることを避け、何も飾っていないクローゼットに向いていた。なんでもよかったのだ、アルド以外ならば。
「心配してくれて有り難う、テッド君。でも僕は今まで通り、君の傍にいさせてもらうから。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・いい加減にしろよ・・・・・・。誰がお前の心配なんかするか!!!!!!」
どうしてそう、めげないんだ、プラス思考に持っていくんだこいつは、と声にならないほどの怒りがテッドの中に湧き上がってきた。
「俺はお前が迷惑なんだよ!だからこの紋章について話したんだ!!・・・・・・・・・後数日もすればお前もわかるだろう。自分が言った言葉の愚かしさに。」
「何日経ったって同じだよ。僕の答えは変わらない。」
こんなときにきっぱりと返してくるアルドが忌々しかった。殺意すら、芽生え、無意識に右手に魔力が集まっていく。
「何度も言わせるな。迷惑だといっているんだ。お前は以前に俺と共にいることが幸せだと言ったが、そのための生贄か?俺は。」
「そうじゃないよ。それに、テッド君だって、人といるの、嫌いじゃないでしょ?だから、無理してまで「偽善だな。」
言い募るアルドの言葉を、テッドは吐き捨てるように遮った。
「それはお前が作り出した俺という幻想だ。幻想の俺がどうだか知らないが、それを俺に押し付けるのはやめろ。迷惑も甚だしい。」
「幻想だなんて!!そんなんじゃないよ。」
「俺は子供だからな。加護の対象に見えたんだろ?一人になりたいって奴は俺だけじゃないのに俺を選んだのは、そういうことだろ。」
「テッド君・・・・・・・・・。」
「子供なら自分のほうが優位だものな。いい人ぶって、自分より弱いものを見下して、さぞかし良い気分だろうよ。」
「テッド君違う、そうじゃないよ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「聞いて、テッド君。」
言い聞かせうるように肩に乗せられた手は熱く、服越しに伝わる熱が鳥肌が立つほど気持ち悪い。しかし、テッドはそれを我慢し、ただアルドを睨み付けた。
「たしかに、君が言ったことは否定できないかもしれない。全て否定することは、僕には出来ない。でも、君の傍にいるのはそれだからじゃない。」
「最初はただ君がどうしてそんなに人を拒絶するのかが不思議で近づいた。冷たい態度をとる君の考えが理解できなかった。でも、クールーク兵と戦うとき、いつも急所は避けてたし、
それに、右手の紋章を使ったあと、悲しそうだったから。」
「悲しそう?俺がか?」
はっ、とテッドは鼻で嘲った。聞こえてくる周りの奴らの言葉を知らないとでも思っているのか。
何度バケモノといわれたか、顔色ひとつ変えないと、何度指を指されたか。誰だって人間、慣れはあるだろ。
「僕は、ずっと君の背中を見てきた。」
ポツリ、とアルドは呟いた。
「自分の背中は他人のほうがよく知ってるんだって。背中はね、目と同じくらい時には語ってくれるんだよ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・。」
「テッド君。自分の背中は、気にしたことなかったでしょ?」
返すことが出来ないテッドににこり、と微笑むアルドが自分を小馬鹿にしているように見え、テッドは奥歯をかみ締めた。
激情を蓄積しているテッドの顔を見て、アルドは笑みを苦笑に変えた。
「僕の我侭だったって思ってくれてもいい。でも、これからも、君の傍にいるからね。テッド君。」
穏やかに言い聞かせるようなアルドの口調にテッドは返す言葉がなく、怒りのまま肩に乗っていた手を振り払った。
そして、近くにあったアルドの胸倉を掴みあげ、唸るように言葉を吐いた。




「お前のような奴は・・・・・・・・・・・・・・・・・・喰われてしまうがいい。」




言い終わると同時に胸倉を離すと、自分の部屋にもかかわらず、テッドは部屋を飛び出した。向かうは甲板。
自分の中に渦巻く激動を、誰にも見られることなく流すために。
信じたくなんてない。
150年にして、生まれて初めて、人が喰われる事を望んでしまった自分なんて。








→グレッグミンスターINマクドール宅

テオ・マクドールの嫡男、ユエの部屋のドアが音を立てて閉じた瞬間、テッドは彼のベッドに倒れこんだ。
「あーーーーーーーーー、死んだーーーーーーーーー。」
「亡霊になるのは構わないけど、机の片づけくらいしてからにしろよ。」
「既に遅し。」
「はあ。全く。」
うつろな目で天井を見ているテッドに、呆れたとばかりにため息をついて、ユエは自分の机の上で広げたままになっている本や筆などを仕舞う。
「それでよくあの頑固爺さんの鍛冶屋で働けるもんだね。以外に見る目ないのかな、あの人。」
「おい、こらまて。」
真剣に考えるような仕草をして自分を馬鹿にするユエの言葉にストップをかける。
「鍛冶の助手と勉強とで使う集中力を同じだと思うなよな。」
「じゃあなに?向こうのほうが使わないの?」
「馬鹿いうなよ。逆っつうの。」
まったくこれだから箱入りのお坊ちゃんは、とわざわざ上半身を起こして肩透かしをするテッドに、ユエはむっとする。
「ならなんでそんなに疲れてるわけさ。」
「そりゃお前、興味の度合いの違いだろ?」
「だったら勉強内だっていえるじゃん。」
自分だって科目の好き嫌いはある、と口外で言うユエに、仕事の話を持ち出したのはお前だろ、とテッドは言葉で突いた。
「うーーー。でも意外だな、テッド、思想史が苦手なんて。」
「人それぞれだって。俺は他人のそんな小難しい考えなんて好きじゃねえし。第一、生きていければいいんだよ。」
「・・・・・・・・・・テッド。それ究極すぎ。」
大雑把過ぎる傾向のある親友に、ユエは2度目のため息を吐いた。口元は少し笑っていたが。
「まあ、テッドらしいけどねー。」
「ふっふっふ。俺らしいだろー。」
得意げな顔をするテッドに対し、褒めてるわけじゃないんだけどな、と心の中で呟く。
その時、ドアの向こうから声がした。
『坊ちゃん、テッド君。お茶が入りましたから、来てください。』
「お?待ってました!」
へへへっとベッドから立ち上がるテッドには既に疲労の影などなく、調子が良いんだから、とユエは聞こえないように言う。
「どうしたんだよ。早く行こうぜ。」
「ああ、わかってるよ。」
ほれほれ、と背中を押すテッドに促されて部屋を後にする。後ろ手でドアを閉めるテッドからするりと逃げ、ユエは話せるように横に並ぶ。
「テッドって人の背中押すの好きだよね。自分の方が何かと爺臭いくせに。」
「だれが爺臭いだって?それに、お前行動がのろいから親切心で押してやってんだろ?むしろ感謝しろよな。」
「誰がのろいって?テッドがせっかち過ぎるんだよ。――――あ、もしかして高血圧?血管切れないようにほどほどにね。」
ふふふっ、と袖で口元を隠しながら言うユエの頭を軽く小突く。
そうしているうちに、すぐにリビングに到着。ドアを開けるのは近くの方にいるユエの役目だ。
その背中を見て、先ほど言われた言葉を頭の中で反復する。
(そりゃ、あれだ。)
300にもなって、ようやく孤独とも適当にやる手段を見つけた今になって、どうしようもなく自分を引き付けた相手。
もうすぐ帝国のために働くようになるお前の背中を押してやれない自分。
だから、今のうちに。
押せるだけその背中を押してやる。行き詰ったときに、思い出してくれたらと、甘い期待を持ちながら。
あなたの傍にずっといれない寂しさも込めて。
























君よ、永久にあれ。








東 智明

自分のものなのに、感情は思いのままにはならない。消したくても消えなかったり、守りたくても消えてしまったり‥。
愛することの悲しさ 想う事の優しさ 温もりの寂しさ そして恋する事の素晴らしさが、深々と伝わってくるとても素敵なお話。
東 智明様、ありがとうございました。2005/06/19