風邪の特効薬

7月竜

朝まで残った雨に足止めされた日の午後、上がらない気温を白い息が知らしめていた。
「兄さん…なんか、ヘンじゃない?」
「何が?」
「顔、赤い気がするけど…」
「…頬が熱いからかな」
「熱…あるんじゃないの?病院へ」
並んで歩いていたエドワードはそこでやっと足を止めた。横に立つアルフォンスを見上げる。
「この街に来た俺達の目的は?」
「図書館に保管されている秘蔵書の閲覧」
「図書館の閉館時間は?」
「あと1時間あまり…」
エドはその返事を聞くとまた前を向いて歩き出した。
「兄さん!」
アルは無理にでも病院へ連れて行こうとエドの右手を掴んだ。
「馬鹿野郎!せっかく…」
振り返ったエドの言葉は最後まで発せられず、彼は眉を寄せてゆっくりと地面に倒れこんだ。
「兄さん!」

〔どうしてこんなになるまで放っておいたの?〕
〔済みません〕
〔肺炎に到ってなかったからいいようなものの、風邪は怖い病気なのよ〕
〔はい。これから気を付けます〕
〔あなたが気を付けてあげないと…お父さん〕
〔あ、いえ、僕は…〕
〔?、でも保護者でしょ!?〕
〔保護者は倒れたチビの方ですよ〕
ナースセンターに現れたハボック少尉にアルの表情(勿論、この場にいる誰にもわからなかったが)が僅かに明るくなる。手早く入院の手続きをするとハボックは親指でアルに外へ出るよう促した。
「お騒がせして、こんなところまで済みませんでした。僕じゃ手続きが上手くいかなくて…」
ハボックは掌をかざし、アルを黙らせると煙草に火をつけた。
「それはいいんじゃないの〜!?大佐嬉々としていたし、俺は堂々と仕事サボれるしな」
ハボックの口から吐き出された煙と紫煙が混じりアルを取り巻く。
「らしくないな」
「済みません」
「ま、お前さんが謝る事はないさ。お前さんじゃ体調の変化とか、分らないだろうからなぁ。おっと、失礼」
「いえ…本当の事ですから」
ハボックはアルを見たが鎧からは気持ちが読み取れない。既に日は沈み暗い窓に向かってふぃ〜と息をつくとハボックは話題を変えた。
「で、なんで奴さん、無理してたんだ?」
「箝口令の情報を街であった少女が危険を顧みずで教えてくれたんだ…」
「へぇ〜そういう年頃かねェ。女がらみとは」
苦い回想をするような口調のアルに、わざとハボックが軽口をたたく。それへ軽く首を振って応えると、アルは口調を戻して続けた。
「だから処分される前に、こっそり、急いでその情報を確かめたかったんです」
「その情報は…」
あーっそこのあなた!何やってるんです!病院内は禁煙ですよ。あぁ灰がこぼれる
恰幅のよい看護師さんがズカズカと迫ってきた。
「あ、すんません」
その勢いにハボックが慌てるが、きょろきょろしても禁煙なのだから灰皿はない。その間にも煙草から灰がこぼれおちる。
「少尉」
アルの呼びかけに振り向けば、彼はハボックから煙草を受け取り自分の右掌に押し付けた。それから床にこぼれた灰を腰布で拭う。
「……お前」
ハボックの呟きは小さく、アルは気付かず洗面所でそれらを処分した。

洗面所から出てくるとハボックの姿が見当たらず、アルはナースセンターを覗いてみた。看護の時間かほとんどの看護師が出払っている。
「さっきの軍人を探してるの?」
残っていた若い看護師が気付き苦笑を浮かべた。
「貴方の御連れの病室に行ったわよ」
「ありがとうございます」
病状もだが、国家錬金術師と判明し、エドの病室はナースセンターの近くにある。アルがエドの病室前に来ると中からハボックが出てきた。
「少尉?」
「お前さんは今日はここに泊まるんだろ!?」
「そのつもりでしたが、看護師さんからその必要は無いと言われました」
「どうして?」
たった一人の身内なのに、とハボックがぼやくのにアルは苦笑する。
「僕では役に立たないから…大きくて邪魔になるだけですし」
どう答えて良いか分らなかった。アルの状態も、看護師が知らない為言いそうな事もハボックには分る気がした。
『だが、こう言う時大事なのは客観的事実じゃなくて我が侭なんだよな〜』
ハボックはドアを開けてアルを病室に押し込むとその背中に咳払いをして宣言した。
「たまにゃぁ素直になんの可愛いぜ!?」
ウィンク1つサービスして、ハボックは病室の扉を閉めた。
その足でハボックはナースセンターに寄った。総指揮の婦長(軍関連ということで婦長自らが任務についていた)を呼び出す。
「病棟救急室のふたり。しばらくそっとしておいてくれます?落ち着いたんでしょ!?状態」
「しかし国家錬金術師の方になにかあっては」
「手当てって字、知ってます?」
婦長が眉を顰めるのにハボックはニカッと笑ってみせた。
「東の方の語源らしいんですが、詳しい同僚がいてね。そいつが言うには、手には不思議な力が合って、ただ撫でるだけでも痛みが和らぐらしいんスよ。で、手を当てると書く」
「でも、あのお父さんはお子さんが病気だって言うのに病室で鎧を脱ぎもしないじゃないですか。子供は大事な授かりもの。もっと大切にして頂きたいですわ。第一あの手で触られたらかえって冷えてしまいます」
婦長の言う事ももっともだが、ここで引き下がるわけには行かなかった。女性に優しいをモットーとしているハボックにしても。
「看病の看は見る・世話をするという事。国家錬金術師云々じゃなく今ここで一番親身に看病し手当てできるのは彼しかいませんよ。この先もあの”豆ッ返り”を見続けていけるのはね」
「…それは、”跳ねっ返り”の揶揄ですか?」
「いえ、ダウンしている内に言っとかないと次いつ言えるか、豆・チビ・ミジンコ…」
やれやれと婦長はハボックを眺めた。徐に申し送りノートを取りだし、エドの記録を書き換える。
「責任は取って下さいましね」
「女性に責任は取らせませんよ」

アルが病室に入ると、電気が晧晧とついていた。白光の元、エドが横たわっている。点滴は終わったらしく、左手は毛布の下にしまわれていた。
兄が汗をかいていないか、息苦しそうではないか確かめた後、アルは電気を落した。
「アル…か!?」
途端静かな個室に掠れた声が小さく響く。
「ごめん、起こしちゃった?」
エドは答えず視線だけを動かし、電気を付けて傍によるよう言った。
「兄さん…」
アルはベッドの横に洗面器とタオルがあるのを見、タオルを水に浸して…その水が冷たいのかわからない事に気付いた。
「水、かえてくるね」
明るく、でもそっと呟いたアルの手をエドが止める。
「ここに…居てくれ」
「うん、すぐ水をかえてくるからちょっと待っ」
だが、エドは手を離さなかった。首を振ってアルを見つめる。
「アルがいれば、いい」
「兄さ…」
「アルの手が冷たくて気持ちいい」
「…うん」
言われるまでそんな事にも気付かなかったとアルは苦笑した。座るにはイスが小さく、アルはベッドサイドに膝を付くと左手をそっと兄の額にのせる。
「のど、乾かない?」
応えはない。
兄が既に眠りに落ちたのを見て取って、アルは右手でエドの右手を取った。
その手を自分の頬に寄せる。祈るように。
「兄さん…」
エドが目を覚ますまで、アルはそのまま微動だにしなかった。

『身体が軽い…なんかすっげー寝た感じ。あ、でも、もう少しこのまま』
目を覚ます直前の恍惚をした浮遊感の中、エドは自分の右手からなにかが離れていくのを感じた。その喪失感がエドの瞼を持ち上げる。
「…?…!アル!?アルフォンスっ!!」
「大きな声を出さなくても僕はここにいるよ」
額から手を下し、アルは静かに立ち上がった。ゆっくりと顔を覗き込んでくる弟に、エドは一息つく。
「看護師さん、呼ぶよ!?」
「いいよ、かったるい」
「なに言ってるのさ、皆に迷惑かけて」
エドの顔色が戻って安心したアルにも遠慮無い口調が戻る。
ドアに向かうアルを目で追って、エドはゲスト用のイスが足元に置かれている事に気が付いた。
「アルっ、お前…」
強い声にアルが驚いて振り向くと、エドがベッドに起き上がろうとしていた。
「兄さん、駄目だよ寝てなきゃ」
素早く戻るとアルはエドを止める為、彼の目前に右手を広げ左手を背中に添えた。
「!」
だがその手を取って、エドは勢い良く上半身を起こした。
「兄さん!」
アルの非難は睨みつけてくるエドの金色に失われる。
「お前、これ、どうしたんだ?」
兄のいうこれが何かわからず、アルも自分の右掌を見た。
「あぁ、煙草を消した時の」
「煙草を消しただぁ〜!?」
急速にエド本来の頭脳が働き出す。
「その汚れはどうした」
「え?これは倒れた兄さんを運ぶ時に付いたんだよ」
自分の胸元を見下ろし、アルもエドが急に、どうして怒り出したか、頭を廻らせる。
「…腰布は?土汚れじゃないだろ、ソレ」
「これは…煙草の灰を拭いたから。ごめん、兄さん。せっかく兄さんが錬成してくれたのに、昨日手入れしなくて」
「そんな事を怒ってるんじゃない!」
僅かに俯いたエドの顔に前髪がかかりその表情を隠す。ただ、毛布の上に握られた両手が震えていて、彼の感情を素直に伝えていた。
「お前、昨夜、ずっと…」
「傍にいたよ!?」
「そうじゃなくて!…膝ついて」
兄が何を怒っているのか。思い当たったアルは鎧だから平気、と言おうとしてハボックの言葉を思い出した。
素直に・今一番伝えたい事、それは
「心配してくれてありがとう」
一瞬置いてエドの顔が真っ赤に染まる。
「馬鹿野ろっ、俺は!怒って、、んだよ」
そこへ騒ぎを聞きつけた看護師が飛んできて、二人はこってり絞られた。

「なんで連チャンで呼び出されてんの?俺…」
無理やり退院許可を奪ったエドに、支払いを済ませてハボックは溜息をついた。
「済みません。ハボック少尉」
謝るアルの回りを当のエドはタオル片手に忙しなく動いている。
「病み上がりだってのに、何してんだ?お前さん…」
返事の代りにキッと睨んでくるエドの様子で、ハボックは煙草の件がばれた事を悟る。
『婦長、口が軽いッスよ』
涙を流すハボックに、だがエドはそれ以上の事をせず、再びアルを磨き始めた。
「退院許可貰ってからずっとこうなんです。少尉も止めて下さい」
心配で怒り口調のアルにハボックは肩を竦めてみせた。
「ほんとにもう。兄さん、いい加減にしないと!また体壊すよ!?」
「アルの”手当て”は俺がする。看病も」
ボソッと返された言葉。
『軽口もたまにゃいいもんっスね、婦長サン』
ハボックは二人に背を向けると腹を抱えて大笑いを続けた。

朱鷺ハク様から頂いたお題(ありがとうございます)「風邪の看病」その1。アルが看病する部分と、エドがアルを看病する部分を書きたかったのですが、エドの部分がハボック少尉のかげに薄れてしまいました(笑)。