笠寺観音およびその周辺(名古屋市南区)

名古屋市交通局開催の「駅ちかウォーキング」に参加した。参加人員ははっきりしないが「過去8回で1万人を越えた」と受け取った資料に記載されていたので、今回もかなりの人数だった思われる。
笠寺観音も見晴台資料館も今回初めて訪れたので、目新しいものがいっぱいで楽しいウォーキングだった。コースは短いがじっくり見学、参拝するには5〜6時間が必要であると思われる。しかし、それでは「駅ちかウォーキング」のゴール締切時間「午後1時30分」に間に合わないので、適当に切り上げた。
なお、コース付近の旧東海道を地図上に紫線の点線で表示した。


コース:地下鉄鶴里駅(@の地点)→12分→村上社のクスノキ(Aの地点)→7分→八幡社(B
     の地点)→8分→見晴台考古資料館(Cの地点)→10分→笠寺観音(Dの地点)→12
     分→戸部新左衛門之碑(Eの地点)→10分→富部神社(Fの地点)→35分(笠寺公園
     立ち寄り)→桜神明社(Gの地点)→3分→東宝寺(Hの地点)→6分→地下鉄桜本町
     駅(Iの地点)

日付:平成20年11月22日(土)
天候:曇りのち雨
所要時間:1時間43分(休憩時間を除く)
歩行距離:5.8km

    コース地図を開く  ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
            (初期値は1/10000)      表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
                                 場合はこちらの「8」参照

                                 なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。


  (移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
 
1.この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
  データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。

2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
  先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
  窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくだ
  さい。
  地図の呼び出し方について、詳しくはこちら

6.留意点
 (1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
   ある。
 (2)地図上での経緯度線の表示は省略した。
 (3)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。

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(各地点の説明)

   @地下鉄鶴里駅【北緯35度06分20秒 東経136度56分39秒】。地下鉄桜通線の「今池〜野
     並」間が開通したのは、平成6年3月30日である。
   A村上社のクスノキ【北緯35度06分14秒 東経136度56分30秒】。市の天然記念物に指定
     された樹齢千年を超える大クスノキ。根回りが13.2mもある巨木がどっかり鎮座する様
     子は手を合わせずにはいられないほどの迫力がある。
     この地は、室町時代以前は入り江になっていて、この樹の下が渡し舟の発着場になってい
     たという。
   B八幡社【北緯35度06分08秒 東経136度56分27秒】。このあたりは万葉の頃から歌に詠ま
     れた勝景桜田を眺望できた最適の場所であった。「桜田へ 鶴(たづ)鳴き渡る 年魚市潟
     (あゆちがた) 潮干(しほひ)にけらし 鶴鳴き渡る」の碑が建っている。
     また、境内には「桜田貝塚」の碑がある。ここから出土した魚形土器は弥生時代の後期の
     もので全国的にもめずらしく市の文化財に指定されている。
   C見晴台考古資料館【北緯35度05分57秒 東経136度56分23秒】。名古屋市見晴台考古資
     料館は、笠寺公園内にあり、見晴台遺跡や市内の他の遺跡の発掘調査を行い、調査の結
     果や出土したものを展示している。見学は無料。駐車場あり(21台)。本館東側には住居
     跡観察舎、濠再現コーナーがある。
     また、この高台は戦時中高射砲の陣地だったため、その台座が2基が残っている。
   D笠寺観音【北緯35度05分57秒 東経136度56分13秒】。笠寺観音の正式名は「天林山笠覆
     寺」といい、甚目寺、荒子、竜泉寺とともの尾張四観音の一つとして古くから親しまれてい
     る。
     もとは小松寺といい、天平年間(729年頃)に僧禅光が開いた。その後、荒廃し、延長8年
     (930年)に藤原兼平がこの地に復興し笠覆寺と名付けられた。
     ここには「玉照姫伝説」がある。・・・ある雨の日に、ずぶぬれになっていた観音像に自分の
     笠をかぶせてあげた玉照姫はたまたま通りかかった藤原兼平に出会う。兼平は心優しい
     彼女を見初めて、都へ連れ帰り妻とした。これが笠寺の地名の由来となった。
   E戸部新左衛門之碑【北緯35度06分02秒 東経136度55分54秒】。戸部新左衛門政直は、戦
     国時代の戸部城主であり、織田信長の計略にかかり三河吉田(豊橋)で今川義元に殺害さ
     れた。その霊を祀って、この地点から300mほど西にあった城跡に碑が建てられたが、後
     ここに移された。
     戸部城は別名松本城または笠寺城ともいわれ、昭和4年の耕地整理で削平され、痕跡をと
     どめていない(名古屋市のホームページより)。
   F富部神社【北緯35度06分16秒 東経136度55分53秒】。慶長8年(1603)素盞鳴尊を主神
     として祀られ、「戸部天王」とも「蛇毒神天王」ともいう。現在の本殿は慶長造立のもでよく桃
     山様式を伝え、国の重要文化財である。
     境内の山車蔵にある高砂車山車は、今日では曳行されることはなく祭礼に飾られるのみ。
     なお、以前「塩付街道」を歩いた時この神社に立ち寄ったことがある。
     <付近のポイント>
     ・道標・・・富部神社正面から100mほど東へ行くと、旧東海道に出る。その交差点に東海道
      と塩付街道の道標があり、さらに東海道を100mほど北へ進むと「東海道制定400年記念
      碑」がある。
         ・長楽寺・・・富部神社の北側には動物霊園を備え、清水稲荷と一体となった特異なお寺。
      寺の境内には、明国風衣裳の石仏がたくさんある。また、猫がたくさんいる。
     ・呼続公園・・・名古屋市が長楽寺から寄付された土地を整備して、曽池を埋め立て、小さく
      して昭和29年に開園した。
     ・旗掛けの松・・・呼続公園内の曽池の東側にあり、源頼朝が上洛する際に旗を掛けて休ん
      だと言われている松の巨木。
   G桜神明社【北緯35度06分18秒 東経136度56分03秒】。本殿は古墳の上に建っており、古く
     は「比米(ひめ)塚」とも呼ばれていた。比較的保存状態がよく、かつて墳丘上から須恵器
     が採集され、5世紀末頃のものと考えられる。
   H東宝寺【北緯35度06分17秒 東経136度56分07秒】。桜中村城の家老屋敷跡とも伝えられ
     るこの寺の境内に、「尾張徇行記」の著者樋口好古撰の石碑「櫻村固本碑」がある。碑に
     は、桜村の土地が荒廃し、村民は生活に苦しんでいた。村役人の村瀬藤九郎がこの状況
     を訴えて十年間の年貢の軽減が許された。おかげで生活が豊かになり、村民が喜んだと
     いう意味の文が刻まれている(名古屋市のホームページより)。
   I地下鉄桜本町駅【北緯35度06分32秒 東経136度56分12秒】。上記東宝寺付近から雨が
     降り出し、傘を差して歩いたが、ゴールに近かったのでほとんど気にならなかった。

    【参考資料:名古屋市交通局 駅ちかウォーキング「笠寺観音と見晴台」パンフレット、愛知の史
          跡と文化財(愛知県文化財保存振興会編)】
          

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