笠原線跡を歩く(岐阜県多治見市)

駄知線跡に続いて笠原線跡を歩いた。
中央線多治見駅構内南端にあった新多治見駅と笠原町を結ぶ4.6kmのミニ路線は昭和3年、笠原鉄道として開通した。その後昭和19年には、駄知鉄道(のちの駄知線)と合併して東濃鉄道笠原線となり、以後、沿線の窯業製品の積み出しや原料の搬入、地域住民の足として愛され親しまれてきた。
だが、昭和40年代から旅客輸送は並行する同社バスに乗客を奪われてしまい、昭和46年に旅客営業を休止、貨物営業も道路整備でトラックにバトンを渡し、電化されないまま、昭和53年10月31日限りで半世紀にわたる灯を消した。
廃線跡は駄知線跡と同様、サイクリング道路兼遊歩道として整備されており、駄知線と比較すると道幅が幾分広く、桜並木も所々あるので、特に桜の季節には楽しいサイクリングやウォーキングができそうである。
残念なことに、Bの地点の解説板と鉄橋の台座以外には笠原線跡を偲ばせるものは見つからなかった。

コース:多治見駅(@の地点)→0.2km→Aの地点→0.8km→Bの地点→1.4km→市之倉口駅
     跡(Cの地点)→1.3km→滝呂駅跡(Dの地点)→1.0km(神明社立ち寄り)→陶彩の橋
     (Eの地点)→1.0km→笠原駅跡(Fの地点)→0.3km→狐塚古墳(Gの地点)→0.2km→
     神明神宮(Hの地点)
日付:平成22年11月9日(火)
天候:晴れ
所要時間:約1時間30分(休憩時間を除く)
歩行距離:6.3km

    コース地図を開く  ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
            (初期値は1/10000)      表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
                                 場合はこちらの「8」参照

                                 なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。


  (移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
 
1.この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
  データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。

2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
  先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
  窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくだ
  さい。
  地図の呼び出し方について、詳しくはこちら

6.留意点
 (1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
   ある。
 (2)地図上での経緯度線の表示は省略した。
 (3)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。

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(各地点の説明)

       @多治見駅【北緯35度20分05秒 東経137度07分16秒】。今回はJRを利用し、多治見駅か
     ら出発し、まず駅前の有料駐車場内を西へ進んだ。
   Aの地点【北緯35度20分02秒 東経137度07分09秒】。この付近に新多治見駅のホームが
     あったのだろうか。
     この先のカーブした道路上に線路があったと思われるが、すぐに東濃鉄道関連のタクシー
     会社や事務所、アパートに突き当たったので、左折して迂回し陶都大橋を渡る。
   Bの地点【北緯35度19分48秒 東経137度07分21秒】。ここには堤防下の道路を跨ぐ鉄橋
     の台座が残っている。遊歩道「陶彩の道」の表示板に笠原鉄道の歴史が掲載されている。
     本多治見駅跡を過ぎると右側に多度神社の鳥居が見える。その向い側には佐倉宗五郎
     大明神が祀られており、お堂の隣に、「牛わばんば」(地名)にあった嘉永7年(1854)の
     道標が移設、保存されている。道標には「右 山道 左 市之倉水野道」とある。
   C市之倉口駅跡【北緯35度19分14秒 東経137度07分54秒】。今はその痕跡はなにも残って
     いない。
   D滝呂駅跡【北緯35度18分48秒 東経137度08分36秒】。現在は「滝呂中央公園」になって
     いて、駅跡と言われれば確かにそんな雰囲気は残っている。
     すぐ東側に神明神社があり、その南側を流れる笠原川沿いの意味ありげな岩の上に天保
     15年(1844)の常夜灯が立っている。
   E陶彩の橋【北緯35度18分32秒 東経137度08分52秒】。ここで遊歩道は終わるが、近くに
     新しい橋が建設されているのでもう少し笠原駅跡方向へ延ばす予定かもしれない。
   F笠原駅跡【北緯35度18分15秒 東経137度09分09秒】。東濃バスの広い車庫になっており
     正門付近に「笠原駅跡」の木製の説明板が立っているそうだが、生憎気づかなかった。
   G狐塚古墳【北緯35度18分07秒 東経137度09分11秒】。道路脇の案内板に従って横道に
     入ると小さな古墳がある。その説明板によると、この古墳は古墳時代後期の7世紀前半の
     もの、とある。
   H神明神宮【北緯35度18分05秒 東経137度09分16秒】。神社の祭礼については多治見市
     のホームページ参照。
     神明神宮の正面に立つと、神戸区公民館(旧役場)の前に大楠が聳えている。
     また、その手前には庚申堂がある。

    【参考資料:鉄道廃線跡を歩く(宮脇俊三著 1995年11月1日刊行)、東濃鉄道(清水武著)】
          

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