名古屋市名東区史跡散策路(高針・牧野池コース)


名古屋市のホームページで紹介されている市内の史跡散策路のうち、名東区史跡散策路の一つ「高針・牧野池コース」を歩いてみた。
出発地点の牧野ヶ池緑地は非常によく整備された公園である。新緑・紅葉を楽しむことができ、ゴルフ場・野球場・児童園が整備され、スポーツ・レクリエーションの場として親しまれている。
また、蓮教寺付近は戦前のままではないかと思われるような、狭くて曲がりくねった道が却ってとても新鮮で、大発見をした感じだった。
なお、史跡等の解説文の一部は上記のサイトから引用したものである。


コース:P 牧野ヶ池緑地駐車場→1.1km→高針街道(@の地点)→0.15km→宮島考古資料館(A
     の地点)→0.25km→蓮教寺(Bの地点)→0.4km→高牟神社(Cの地点)→0.2km→済松
     寺(Dの地点)→0.5km→東勝寺(Eの地点)→1.0km→ 神岡公園(Fの地点)→1.8km
     →勝野太郎左衛門頌徳碑(Gの地点)→1.8km→P駐車場
日付:平成25年12月5日(木)
天候:晴れ
所要時間:1時間45分(見学時間を除く)
歩行距離:7.1km

    コース地図を開く  ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
            (初期値は1/10000)      表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
                                 場合はこちらの「8」参照

                                 なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。


  (移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
 
1.この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
  データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。

2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
  先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
  窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくださ
  い。
  地図の呼び出し方について、詳しくはこちら

6.留意点
 (1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
   ある。
 (2)上記地図の経緯度線は「世界測地系」(GPSではWGS 84)に従い、目安として手書きで表示したものであり、各地
   点の表示は「秒」までに止めた。青線の間隔は10秒(横は約250m、縦は約300m)ごとである。
 (3)高度表示については、約5m〜10mほどの計測誤差がある(ほとんど低めに表示されてい る)。
 (4)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。

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(各地点の説明)


   P 牧野ヶ池緑地駐車場【北緯35度08分40秒 東経137度00分50秒】。この公園の中心となる
     牧野池は、面積約17ヘクタール、周囲約3キロメートルの愛知県第3位の大池です。正保3
     年(1646年)尾張藩の郡奉行勝野太郎左衛門が当地の窮状を知り、数年間を費やし完成
     したものである。
   @高針街道【北緯35度09分10秒 東経137度00分41秒】。ここで高針街道の一部歩くことに
     なるが、この街道は飯田街道のバイパスとして造られた街道で、中馬街道とも呼ばれ、岩
     崎を経て日進市で飯田街道に合流する。そのコースについては orukさんの投稿のルート
     ラボ参照。
     「史跡散策路地図」には、ここから西へ400mほどの地点に、信濃馬の宿跡として記載さ
     れているが、今はなにも残っていない。多分、白い塀の大きな邸がその地点だろうと推
     測される。
   A宮島考古資料館【北緯35度09分15秒 東経137度00分44秒】。個人の居宅で、東山古窯
     跡の土器(縄文式・弥生式等)や、刀剣を主に収容・展示されているということだが、考古資
     料については、わざわざ予約して見せてもらうほどの興味は持っていないので、入口の看
     板を確認したのみ。
     ここから蓮教寺へ向かう道はとても細く、くにゃくにゃと曲がりくねっている。かつての猪高
     村のままではなかろうか。
     途中、大鐘宅の玄関脇にヤマモモの巨木がある。
   B蓮教寺【北緯35度09分23秒 東経137度00分43秒】。真宗高田派の寺で、創始は長徳年
     間(995年から998年)といわれている。現在の本堂は宝暦8年(1758年)に建立され、また
     山門は本堂の50年程後の建造である。境内には同寺の塔頭である梵音寺も残っている。
     山門に通じる石段下に立って、紅葉の鮮やかさ、ひっそりした山門の佇まいを眺めている
     と、今年の紅葉は充分堪能した気分になった。
   C高牟神社【北緯35度09分26秒 東経137度00分35秒】。昭和25年までは八幡社と呼ばれ
     ていた。現在の社殿は平成8年12月26日に再建されたもの。
     道路をはさんで南側には高帝龍王神が祀られている。
   D済松寺【北緯35度09分24秒 東経137度00分31秒】。臨済宗妙心寺派のお寺。創始は明
     らかでなく無住時代が多く、瑞松院として称していたが、享保3年(1718年)済松寺と改めた。
     その後、また無住となりましたが、知多郡大府の鷹羽知観尼が移り住み再興しました(尼
     僧寺の開基)。現在の本堂・庫裏は大正10年に再建されたものです。
     現在は「花園保育園」が開設されており、境内には入らなかった。
     かつての高針城はこの付近にあったとか。
   E東勝寺【北緯35度09分24秒 東経137度00分23秒】。天正3年(1575年)高針城主の弟加
     藤勘右衛門(藤原信眤)が顕如上人に帰依し祐伝と号して屋敷内に伝忠坊を移し東照寺と
     改号(のち東勝寺と改める)したといわれています。
     現在の本堂は天明7年(1787年)に再建されたもの。境内には市の保存樹クロマツ・クロガ
     ネモチ等が繁り趣のある寺です。門前にも一対のマツの巨木があったと思われるが、片方
     は枯れてしまったのか、根っこのみが残っていた。
   F神岡公園【北緯35度09分23秒 東経137度00分00秒】。この公園の木々もすっかり色づき、
     デッチョ池にはカモが泳ぎ、気持ちがやすらぐ風景を見せていた。
   G勝野太郎左衛門頌徳碑【北緯35度08分59秒 東経137度00分20秒】。牧野池掘削の大恩
     人である勝野太郎左衛門の偉業をたたえて大正8年に「忠於民」と記された碑が牧野池西
     方池畔の丘陵に建立されている。


   
    【参考資料:Web page: 名東区史跡散策路「名東区まちめぐり」
   
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