美濃路<新揖斐川橋〜垂井宿>(大垣市〜垂井町)

美濃路(美濃街道)は東海道宮宿から中山道垂井宿までの途中に7宿を結ぶ脇街道で、全長はほぼ58kmである。東海道の海 路・七里の渡しを迂回する安全な陸路として多くの旅人に利用された。関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が凱旋した道で、御吉例(おきちれい)街道ともいわれた。
揖斐川を西へ越えると、東側より道は広く、車にそれほど煩わされずに歩くことができるようになった。
大垣の市内を歩いたのは初めてだが、水が豊富でしっとりした落ち着いた街だ。
帰りは垂井駅からJRとバスを利用した。
なお、地図上の紫線は後日垂井宿に立ち寄った際に歩いた移動軌跡を参考までに追加したものである。
                                  (このコースについては「美濃路の旅」のサイトを参考にさせていただきました。)

  
コース:駐車地点→1分→@の地点(佐渡常夜灯)→14分→Aの地点→5分→Bの地点→47分
     →Cの地点(名古屋口御門跡)→10分→Dの地点(大垣城址)→13分→Eの地点(大垣
     宿本陣跡)→6分→Fの地点→3分→Gの地点(奥の細道むすびの碑)→7分→Hの地点
     →16分→Iの地点(塩田常夜灯)→10分→Jの地点(久徳の一里塚)→60分→Kの地
     点→9分→Lの地点→7分→Mの地点→14分→Nの地点→5分→Oの地点(追分橋)→
     3分→Pの地点→4分→Qの地点(JR垂井駅)→7分→JR大垣駅→12分(名阪近鉄バス)
     →Rの地点(ソフトピアジャパン)→27分→駐車地点

  (参考)・・・紫線の分
    Pの地点→16分(1km)→Sの地点

日付:平成19年2月3日(土)
天候:晴れ
所要時間:4時21分(休憩、乗り物利用時間および紫線の区間を含まない。)
歩行距離:17.8km(紫線の区間を含まない)


    コース地図を開く  ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
            (初期値は1/10000)      表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
                                 場合はこちらの「8」参照

                                 なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。


  (移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
 
1.、この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
  データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。

2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
  先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
  窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくださ
  い。
  地図の呼び出し方について、詳しくはこちら

6.留意点
 (1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
   ある。
 (2)上記地図の経緯度線は「世界測地系」(GPSではWGS 84)に従い、目安として手書きで表示したものであり、各地
   点の表示は「秒」までに止めた。青線の間隔は10秒(横は約250m、縦は約300m)ごとである。
 (3)高度表示については、約5m〜10mほどの計測誤差がある(ほとんど低めに表示されてい る)。
 (4)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。

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(各地点の説明)

    P 駐車地点【北緯35度22分15秒 東経136度39分14秒】。揖斐川右岸の堤防道路から一段
     低い道路のふくらみに路上駐車。
   @佐渡(さわたり)常夜灯【北緯35度22分17秒 東経136度39分14秒】。佐渡の渡しに設置さ
     れた常夜灯で、佐渡川(現揖斐川)で隔てられた美濃路を佐渡村(現大垣市東町)の渡船
     場と対岸の西結村(現安八町西結)の渡船場を結ぶ渡しであった。
   Aの地点【北緯35度22分12秒 東経136度38分43秒】。専勝寺の入口には「教如上人御旧
     跡」の碑が建っている。
     後に東本願寺初代法王となった教如上人が関東より京へ向かう際、それを阻止しようとす
     る陣営から専勝寺住職「了栄」は上人を命を惜しまず守り抜いた。
     以前、安八町内の岐阜千本松原公園自転車道(Oの地点とPの地点の中間)を歩いてい
     た時「教如上人遭難記念碑」を見かけたが、一連の出来事だろう。
   Bの地点【北緯35度22分12秒 東経136度38分30秒】。鎌倉街道「小野の長橋」。各所方角
     抄に「長橋は橋の長さ五町ばかりなり・・・此橋は蘆須なり」とある。雅世卿の「富士紀行」や
     尭孝の「覧富士記」の中の歌に詠まれている。この付近は湿地帯であったので、橋というよ
     りも木道のようなものだったのだろう。
   C名古屋口御門跡【北緯35度21分48秒 東経136度37分12秒】。道路脇に碑があり、小公園
     風になっている。
   D大垣城址【北緯35度21分42秒 東経136度36分58秒】。天守閣は戦災で消失し、昭和34年
     4月に再建された。
   E大垣宿本陣跡【北緯35度21分29秒 東経136度37分00秒】。現在は「竹島会館」という看板
     がかかっており集会所?になっている。Fの地点へ向かうコース近くに飯沼慾斎(1783〜
     1865)の邸跡の碑がある。彼は江戸時代の蘭方医、植物学者。
   Fの地点【北緯35度21分26秒 東経136度36分47秒】。この付近は水都公園になっていて、
     虹の橋、西総門跡、船町の道標などが集中している。
   G奥の細道むすびの碑【北緯35度21分21秒 東経136度36分45秒】。俳聖・松尾芭蕉は元禄
     2年(1689)の秋、約5か月にわたる「奥の細道」の漂泊の旅を大垣で終えた。
   Hの地点【北緯35度21分21秒 東経136度36分23秒】。Gの地点からこの付近まで(袖)うだ
     つのある古い商家や土蔵が立ち並んでいる。
   I塩田常夜灯【北緯35度21分22秒 東経136度35分45秒】。明治13年に建設されたもので、
     高さは4.3mもありとても風格があり、りっぱなものである。
   J久徳の一里塚【北緯35度21分33秒 東経136度35分34秒】。片側だけだが、まだ榎が残っ
     ている。
   Kの地点【北緯35度22分05秒 東経136度33分31秒】。喫茶「綾戸」にはセスナ機が空中に展
     示してあった。おまけに、風で?回転している。
     ここからLの地点までの600mほどの区間は道路がせまく、歩道もなくしかも交通量がと
     ても多い。
   Lの地点【北緯35度22分11秒 東経136度33分08秒】。ここから西は歩道があるので安心して
     歩くことができる。
   Mの地点【北緯35度22分19秒 東経136度32分48秒】。松並木の東の端。西の端までほぼ
     1kmほどあるが、威厳がなく、ちょっとさみしい松並木だ。
   Nの地点【北緯35度22分22秒 東経136度32分10秒】。松並木の西の端。この付近では松は
     かなりまばらになっている。
   O追分橋【北緯35度22分23秒 東経136度31分53秒】。ここで美濃路と中山道が合流してい
     る。道標があり。
   P東の見付【北緯35度22分20秒 東経136度31分47秒】。見附は宿場の入口に置かれ、宿の
     役人はここで大名などの行列を迎えたり、非常時には閉鎖した。ここから766mにわたり垂
     井宿の街並みが続き西の見付に至る。
     また、ここは人足渡跡でもあった。相川は昔から暴れ川であったので、江戸時代初期には
     人足渡しによる渡川が主であった。
   QJR垂井駅【北緯35度22分11秒 東経136度31分53秒】。帰路はここから大垣まで列車を利
     用。
   Rソフトピアジャパン【北緯35度22分03秒 東経136度38分18秒】。大垣駅からここまでバスに
     乗り、駐車地点まで歩いた。
 (参考)・・・紫線の関係分
   S八尺堂地蔵【北緯35度22分13秒 東経136度31分19秒】
   S-1の地点【北緯35度22分30秒 東経136度38分50秒】。樽見鉄道の東大垣駅を下車して東
     海道線の下を南へくぐり抜けた(歩行軌跡の表示は省略した)。このトンネルは「乙大門西
     橋梁」と表示があり高さは180cmほど。古いレンガ造りで、さらに100mほど東側にも類似
     のトンネルがあった。注意して確認しなかったが「甲大門西橋梁」とは工法は違うようだ。

                                                       垂井町観光関連パンフレット
  

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