小幡緑地およびその周辺(名古屋市守山区・尾張旭市)

県営小幡緑地はその名の通り緑が豊富で、楽しく散策できる公園である。私は何度も訪れたことがあるが、この付近にはたくさんの散策・歴史スポットがあり、周遊コースを地図にまとめるのはなかなか難しい。
小幡緑地には広い駐車場があり、車で行くには便利であるが、「ゆとりーと」ができてから一層訪れやすくなった。公園(本園)を縦横に走る散策路を歩くだけでも、かなりの距離になるので、とりあえず外周のコースのみを地図に掲載した。
また、小幡緑地に隣接する八竜緑地内には貴重な湿地がある。湿地はフェンスで囲まれており、観察会がある時以外は中へ入れないが、ボランティアの人達が、湿地や新池の管理については熱心に世話をしているので、とてもよい状態で保たれている。
なお、作成した移動軌跡の地図は何回か訪れた結果をつなぎ合わせたものである。
また、地図上の南西部につては「名古屋市守山区南西部の散策」を参照。


コース:P 駐車場→1.2km→吊り橋(@の地点)→0.6km→記念碑(Aの地点)→1.0km→Bの地
     点→1.0km→記念碑(Aの地点)→1.0km→竜泉寺南交差点(Cの地点)→0.8km→竜泉
     寺(Dの地点)→0.9km→竜泉寺南交差点(Cの地点)→1.7km→東駐車場(Eの地点)→
     0.3km→水生園入口(Fの地点)→0.2km→野鳥園北口(Gの地点)→0.4km→野鳥園正
     門(Hの地点)→0.5km→吉定寺(Iの地点)→0.2km→八竜緑地北口(Jの地点)→1.2km
     →八竜緑地南口(Kの地点)→0.4km→雨池(Lの地点)→0.7km(池一周)→雨池Lの地
     点→1.6km→展望台(Mの地点)→1.1km→Nの地点→1.2km→東駐車場(Eの地点)→
     1.2km→P 駐車場

       注)行きつ戻りつしながら、しかも数回に分けて歩いたため、各地点間の所要時間をはっきり把握でき
           なかった。そのため、所要時間は省略し、キロ数のみを表示した


日付:平成20年8月6日(水)ほか
天候:晴れ
所要時間:推定4時間40分(休憩時間を除く。紫線を含まない。)
歩行距離:17.2km(紫線を含まない。)

    コース地図を開く  ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
            (初期値は1/10000)      表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
                                 場合はこちらの「8」参照

                                 なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。


  (移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
 
1.この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
  データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。

2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
  先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
  窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくだ
  さい。
  地図の呼び出し方について、詳しくはこちら

6.留意点
 (1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
   ある。
 (2)地図上での経緯度線の表示は省略した。
 (3)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。

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(各地点の説明)

       P 大駐車場【北緯35度13分01秒 東経136度59分00秒】。駐車場は無料で、とても広いの
     で春の行楽シーズン以外は駐車には困らない。ただし、夜は閉鎖される(4〜9月は8:30
     〜19:00、10〜3月は8:30〜17:30)。
     この公園のすぐ北側(ゆとりーとの「小幡緑地駅」の東側)の空き地に守山区スポーツセン
     ター?の建設が予定されている。箱物より優先して、市民の命とくらしに直接結びついた
     税金の使い途があるだろうと思うのだが・・・。
   @白沢渓谷【北緯35度12分51秒 東経136度58分30秒】。吊り橋の下は5メートルほどの
     滝がある。このような滝と吊り橋は名古屋市内ではほかにないだろう。
     白沢川は豪雨の都度、下流の村々に甚大な被害を及ぼす川であった。そのため明和5年
     (1768)に、当時小幡緑地(西園?)の方へ流れていた川を、堤を築いてせき止め、山を
     開削して現在のように北側の庄内川に水を落とした。(城土公園の「白沢川の碑」より)
     これにより下流では水害は免れたが、小幡地区一帯は潅漑に不便となり、最終的に砂防
     工事を行うことにより、明治37年に緑ヶ池から水を引くことができた。(緑ヶ池西側の「砂
     防の碑」より)
     なお、せき止められ、切断されたその先(西方)の白沢川がどうなったか、また次の項目の
     八ヶ村用水との関連については未調査。
   A八ヶ村用水導水路竣工記念碑【北緯35度13分01秒 東経136度58分27秒】。昭和25年8
     月に庄内川大出水のため大きな被害を受けた。その後、昭和26年3月に関係当局およ
     び地元民の必死の努力により復旧工事に着工、昭和29年9月竣工した。(同記念碑よ
     り)
   B庄内川の川原【北緯35度13分23秒 東経136度58分49秒】。竜泉寺まで歩けるかと思っ
     たが、川原は草が生い茂っており、先へ進めなかった。
   C竜泉寺南信号【北緯35度13分05秒 東経136度58分55秒】
   D竜泉寺【北緯35度13分23秒 東経136度59分03秒】。延暦年間(782〜806)に伝教大師
     (最澄)の創建といわれ、尾張四観音の一つで、青銅造馬頭観音を本尊とする。
     また、ここは竜泉寺城址でもある。弘治2年(1556)織田信長の弟・信行が龍泉寺城を築
     城したというが、城の規模は明らかではない。信行は岩倉城主・織田信安とはかり、兄・信
     長と争った「稲生ヶ原の戦い」に破れた後、廃城となった。こうして一時廃城となった龍泉
     寺城ではあるが、天正12年(1584)小牧・長久手の戦いが起きて再び脚光を浴びることと
     なった。この戦いにおいて豊臣秀吉がここで陣し、寺堂に火を放って焼失させた。その後
     慶長3年(1598)密蔵院(春日井市)29世秀純が自費で再興した。
     その後、明治39年に本堂は放火され、明治44年に再建。
   E東駐車場【北緯35度13分05秒 東経136度59分37秒】。この駐車場は小さいが、緑ヶ池一
     周や「野鳥園」方面への基地としては便利。トイレあり。
   F水生園【北緯35度13分05秒 東経136度59分48秒】。ここは湿地の保護地区で、春、秋に
     行われる自然観察会に参加しないと中へ入ることができない。
   G野鳥園北口【北緯35度13分05秒 東経136度59分54秒】。動物の進入を防ぐため常に門
     扉は閉まっているので、二重の扉を開けて出入りする。開園時間は9〜16時まで。園の
     中には野鳥観察小屋がある。
   H野鳥園正門【北緯35度13分05秒 東経137度00分02秒】。上記北口と同様な扱いとなって
     いる。ふだん、来園者はほとんどなく、防犯上問題がありそうな施設だ。
   I吉定寺【北緯35度12分55秒 東経136度59分55秒】。本堂は新しい。寺は山の上にあるた
     め、本堂の正面に立つと南から西方向にかけて大きく開けている。すぐ下の山腹の樹木
     の生い茂った中を三十三観音を巡る山道が這っているが、ほとんど参詣者はなさそう。
   J八竜緑地北口【北緯35度12分55秒 東経136度59分48秒】。入園者のための駐車場はな
     い。擬木で造った長い階段を下りると新池にたどり着く。なにか深い山奥へ迷い込んだよ
     うな感じ。
     途中、分かれ道がいくつかあるが、結局、どれも同じところに到達する。
     新池の東側に湿地が広がっているが、通常はフェンスの外から覗くことしかできない。
     池の南岸に近い水中に地蔵が建っている。池の清掃をしていたボランティアの人の話で
     は昔、ここで入水自殺をした人がいたとか。
   K八竜緑地南口【北緯35度12分43秒 東経136度59分56秒】。こちら側から入ると急な坂を
     歩く必要はない。入口には八竜緑地の地図が立っている。
   L雨池【北緯35度12分42秒 東経137度00分02秒】。この池の周囲には1周700mほどの
     ウォーキングコースがあり、付近の老若男女でいつも賑わっている。
     桜並木を挟んで、北側にも池があったが、昭和60年に埋め立てられ、大森北小学校とそ
     の東側に学校公園に変身してしまった。
     雨池の南の瀬戸線沿いにある民家の庭に地蔵が建っている。昭和23年1月5日にこの
     付近の下り坂急カーブで電車の脱線転覆事故があり、36人死亡という大惨事の慰霊の
     交通安全地蔵である。
   M東園展望台【北緯35度12分58秒 東経137度00分28秒】。東公園は、以前、卓ヶ洞(しょく
     がほら)公園と呼ばれていた。広い芝生とメタセイコイアの並木がきれいな公園だ。
     ふだん、展望台を訪れる人はなく、秋は落ち葉で道がすっかり覆われてしまい心細い
     感じ。
     標高90mほどの丘の上に、高さ約8mの塔が建っている。10年以上前までは、360度
     の展望が開けていたが、今は樹木に囲まれ、すっかり視野がせまくなってしまった。
     人気(ひとけ)がない場所なので不審者に注意。
   Nの地点【北緯35度13分02秒 東経137度00分09秒】。老人施設の東側T字交差点。

  別の機会に歩いた際の移動データの追記(紫線の分)
   @観音寺【北緯35度13分12秒 東経136度58分08秒】。西側には公園と小野道風記念館が
     ある。記念館の入館料は100円。書や掛け軸などが展示されていたが、馴染みがないも
     のばかりであった。
     観音寺の山門前に、昭和44年に親子地蔵が建立された。これは、明応3年(1494)に庄
     内川の洪水を鎮めるために人柱となった庄屋の娘(十五歳)の供養のためである。
     この話は単なる伝説ではなく、実話だということだ。庄屋の末裔にあたる矢野氏はこの近く
     に住んでおられるとか。
   A十五の森跡【北緯35度13分15秒 東経136度57分35秒】。愛知電機の駐車場の奥に、上
     記娘の慰霊のための塚が、その由緒を記した解説板とともに大きなクロガネモチの下に
     建っている。今も花が絶えることがないという。
     愛知電機の駐車場フェンスに案内表示があるので、駐車場内を北へ。突き当たりを左へ
     進む。

  ◆地点間の距離(紫線の分)
     記念碑Aの地点→1.1km(松川橋経由)→観音寺(@の地点)→1km→十五の森跡(A
     地点)

   
    【参考資料:矢田川物語(小林元著)、街道への誘い--ふるさと守山物語--(川本文彦)、愛
          知の城(山田柾之著】

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