尾張旭市歴史散策

尾張旭市内の歴史遺産をたずねながら、2コース(地図上の線と線)に分けて歩いてみた。
尾張旭市は、尾張藩主の水野山やえびつる御林への狩猟、定光寺への参詣、また名古屋と瀬戸・信州とを結ぶ街道の中継地点として重要な役割を果たしていた。
その影響で多くの馬頭観音や歴史ある神社仏閣が残っている。
隣接地である守山区の散策コースはこちら


コース:主要地点間の距離(途中の立ち寄りポイントをカットして測定したもの)
       P(小幡緑地東園駐車場)→→2.7km→→C瑞鳳橋碑
       C瑞鳳橋碑→→2.2km→→G本地ケ原神社
       G本地ケ原神社→→1.5km→→I一之御前神社
       I一之御前神社→→2.5km→→K三郷駅北の馬頭観音

コース:主要地点間の距離(途中の立ち寄りポイントをカットして測定したもの)
       (城山公園駐車場)→→2.1km→→(6)直会神社
       (6)直会神社→→1.6km→→(8)一里塚碑
       (8)一里塚碑→→3.3km→→(10)の地点
       (10)の地点→→1.9km→→(13)殿様街道東口

日付:平成21年1月18日(日)、25日(日)
天候:いずれも晴れ
所要時間:コース=3時間20分、コース=2時間45分(休憩時間を含まない)
歩行距離:コース=13.0km(維摩池一周を含まない)、コース=10.8km


    コース地図を開く  ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
            (初期値は1/10000)      表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
                                 場合はこちらの「8」参照

                                 なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。


  (移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
 
1.この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
  データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。

2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
  先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
  窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくださ
  い。
  地図の呼び出し方について、詳しくはこちら

6.留意点
 (1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
   ある。
 (2)上記地図の経緯度線は「世界測地系」(GPSではWGS 84)に従い、目安として手書きで表示したものであり、各地
   点の表示は「秒」までに止めた。青線の間隔は10秒(横は約250m、縦は約300m)ごとである。
 (3)高度表示については、約5m〜10mほどの計測誤差がある(ほとんど低めに表示されてい る)。
 (4)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。

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(各地点の説明)

1.コース
   P 小幡緑地東園駐車場【北緯35度13分02秒 東経137度00分39秒】。この公園は以前「卓
     ケ洞(しょくがほら)公園」という名称だった。広い芝生とメタセコイヤの並木がきれいな公
     園だ。
   @東園展望台【北緯35度12分58秒 東経137度00分28秒】。この展望台は目立たない場所に
     あるので、ふだん訪れる人はなく、秋は落ち葉で道がすっかり覆われてしまい心細い感じ。
     標高90mほどの丘の上に、高さ約8mの塔が建っている。10年以上前までは、360度の
     展望が開けていたが、今は樹木に囲まれ、すっかり視野がせまくなってしまった。
     ひと気がない場所なので不審者に注意。
      A良福寺【北緯35度12分40秒 東経137度00分37秒】。萬安山良福寺は、久安年間(1145〜
     1150)に土岐頼元建立し、無翁和尚により開かれたと伝えられている。ただし、異説がある
     がここでは省略する。
     寺伝によれば、山門は中興の折清洲城の城門の一つを譲り受けたとされている。確かに
     ここの山門は、再利用されたと思われる傷跡がたくさん残っている。
     境内には、大きな弘法大師像、馬頭観音、本四国八十八ケ所霊場砂踏場などがある。
      B渋川神社【北緯35度12分36秒 東経137度00分53秒】。延喜式にも載っているので6世紀
     以前からの由緒ある神社。
     平成14年に、放火により焼失した本殿などは平成20年に再建された。
     また、境内には天武天皇の悠紀斎田跡碑が建っている。
   C瑞鳳橋碑【北緯35度12分13秒 東経137度01分00秒】。瑞鳳橋は、本地ケ原にある演習場
     への往来のために、大正5年に軍と村民が協力して建設した。
     この碑には、この橋が作られた当時の様子が詳細に刻まれている。
   D庄中観音堂【北緯35度12分16秒 東経137度01分02秒】。この観音堂は全入蔵主が開山、
     元禄年間に創建され、その後弘化4年(1847年)に再建されたと伝えられている。
     この堂内には有形文化財に指定されている木造仏像(市指定)が6体安置されている。
     この観音堂は尾張城東西国三十三観音霊場の22番札所である。
   E直会(なおらい)神社【北緯35度12分19秒 東経137度05分11秒】。 白鳳5年(676年)に天
     武天皇の大嘗祭が行われ、その悠紀斎田がこの地にあったと伝えられている。
     直会神社は、この悠紀斎田での収穫をお祝いして神様に供えた酒や食べものなどをみん
     なでいただく直会という儀式の跡に建てられた。
     この神社にお願いすると、はれものやできものがすぐ治るとの評判で遠くからお参りに来る
     人もある。名古屋市昭和区紅梅町や守山区守孝新田には直会神社への道標仏も建てら
     れている。
   F印場大塚古墳【北緯35度12分01秒 東経137度01分13秒】。古墳のある公園はフェンスで
     囲ってあり、中へ入るには小学校南側にある公民館に申し出る必要がある。
     ここの古墳は5世紀頃のものと推定されている。
     長坂町にある天狗岩古墳(7世紀)のレプリカや復元した竪穴住居も併せて展示されてい
     る。
   G本地ケ原神社【北緯35度11分53秒 東経137度01分54秒】。この神社の起源は聖武天皇
     の時代といわれているが、この場所に建てられたのは昭和45年である。平成14年に本
     殿が再建された。
     また、神社境内には「天狗のかかと岩」がある。
   H長坂古墳【北緯35度12分07秒 東経137度02分02秒】。地図で見ると、矢田川から直接
     行けるように見えたが、かなり高い崖になっていて西側または南側からでないと行けない。
     高台の北端にあるので、北側は大きく開けており、死者を祀るには最適だ。
     また、この付近から本地ケ原神社の西方にかけての高台は白山林の戦いの舞台で、一説
     では数百人の死者が出たとか。
     白山林の合戦は天正12年(1584年)4月9日早暁、柴田(豊臣)秀吉と徳川家康が共に
     天下統一を狙った戦いである。
   I一之御前神社【北緯35度12分18秒 東経137度02分18秒】。この神社は遠く白鳳時代の
     創建と伝えられて、國之常立命(くにのとこたちのみこと)を祀る由緒深い御社である。
     この神社の西側には、医師加藤雄次郎の像が立っている。
     少し西にある少林寺の墓地には馬頭観音が祀ってある。またこの寺は尾張城東西国三十
     三観音霊場の23番札所でもある。
   J追分【北緯35度12分43秒 東経137度02分44秒】。ここは変則6差路になっていて、南西
     から北東へ伸びる名古屋道は、名古屋市の出来町から尾張旭市の三郷、根の鼻町、瀬戸
     市を経て信州へと続いていた。この街道を利用して、名古屋で作られた塩などが信州へ、
     瀬戸の陶磁器・信州の産物が名古屋へ運ばれた。
     ここには、道標仏の馬頭観音、十一面観音が路傍にひっそり祭られている。
   K馬頭観音【北緯35度13分00秒 東経137度03分06秒】。三郷北の交差点北東角に本体だ
     けがぽつんと置かれている。昨今のこととて、いつ盗まれてもおかしくない状態だ。
     また、三郷駅の少し南、イトーヨーカドーの東側に「御駐蹕跡」碑が建っている。
     昭和天皇が昭和2年11月に愛馬「吹雪」を伴い、陸軍大演習閲兵・行幸された際の記念
     碑である。

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2.コース
   P 城山公園駐車場【北緯35度13分07秒 東経137度01分41秒】。この公園には旭城(模擬
     天守)、スカイワードあさひ、野球場、テニスコートなどがある。また、桜の季節には花見ス
     ポットとして非常に人気がある。
     展望塔(高さ約70m、無料)からの眺めもすばらしく、冬の澄んだ空をバックに浮き上がる
     御嶽山や中央アルプス、鈴鹿・養老山脈などに感動するのは山の愛好家だけではない
     だろう。
     また、この塔の3階には郷土資料の豪華な「馬の塔」が展示されている。
     「旭城」の背後の丘陵に新居城の本丸城址がある。新居城を築城したのは良春から4世の
     孫・雅楽頭宗国である。寛正の初め頃(1460)の築城。
   (1)洞光院【北緯35度13分14秒 東経137度01分55秒】。元禄元年(1558)に創建された臨済
     宗妙心寺派の寺。境内には五輪塔、馬頭観音、止水道者の井戸などがある。
      (2)多度神社【北緯35度13分20秒 東経137度01分57秒】。開祖水野又太郎良春が伊勢の多
     度神社から勧請して康安元年に建立した伝えられており、木立に囲まれたとても威厳のあ
     る神社である。
     大正9年に本殿を改建、昭和33年拝殿を再建。
      (3)水野又太郎像【北緯35度13分02秒 東経137度02分08秒】。駅前ロータリーにその雄姿を
     誇示している。
     水野又太郎良春は、元弘の乱(1331年)に吉野金峯山寺の僧兵団の将として戦かった
     が、建武の新政とともに先祖の地である志段味(名古屋市守山区)に帰った。
     その後、延元元年(1336年)南北朝の戦乱時には、吉野によばれ、南朝方として戦ったが
     再び帰郷し、康安元年(1361年)に志段味から南の地に移り、居を構え田畑を開墾し、新
     居村を開いた。
   (4)巡見道【北緯35度13分00秒 東経137度02分04秒】。尾張旭郵便局から150mほど北上し
     右へ斜めに入る狭い道がある。この分岐点から、瀬戸線に突き当たる手前の100mほど
     の区間にその名残がみられる。かつては、商店が並ぶにぎやかな通りであった。
     巡見道とは、「巡検道」とも書き、江戸時代に国情を視察するために、幕府から派遣された
     巡見使の一行が通った道筋である。
   (5)五輪塚【北緯35度12分53秒 東経137度02分02秒】。この五輪塚(宝筺印塔)は新居村開
     祖水野又太郎良春の妻の墓碑といわれている。郵便局西側の細い道沿いにある。
   (6)毛受家照像【北緯35度12分46秒 東経137度02分09秒】。図書館の正面(文化会館ホール
     東側)に立っている。
     家照は、尾張稲葉村(尾張旭市)出身。12歳のとき、柴田勝家の小姓となり、勝家の側近と
     して活躍。勝家とともに各地を転戦して、越前鯖江付近で一万石を領する。
     天正11年(1583)賤ヶ岳の戦で、兄茂左衛門とともに勝家の馬印を押し立てて戦い、勝家
     の身代わりとして、その退却を助けたのち、討ち死にした。
   (7)一里塚碑【北緯35度12分47秒 東経137度01分15秒】。「どんどん庵」さんの駐車場の片隅
     に碑は立っている。
     このあたりは大森寺(だいしんじ)の寺領があり、この塚は寺の門前から一里の距離がある
     ということで造られたらしいが、実際に測ってみると3km程度しかなかった。
     現在の碑は昭和14年に作られたものである。
   (8)つんぼ石【北緯35度12分50秒 東経137度01分26秒】。数年まで、瀬戸街道の砂川交差点
     から北東方向に向かう狭い道(殿様街道)があった。その分岐点につんぼ石があったが、
     区画整理のためこの道は消失してしまい、つんぼ石も平成15年に80mほど北へ移動さ
     れた。
     説明板によると、今からおよそ4百年前(慶長15年)名古屋城築城のとき、定光寺付近か
     ら数多く石材が運ばれたなかで、ある大名がこの石を落としてしまった。面倒に思った大名
     は城普請の取調べを恐れて村人に口止めをして立ち去った。以後、村人は誰にも語らなか
     った。後世の人これをつんぼ石という。
   (9)の地点【北緯35度13分03秒 東経137度01分52秒】。殿様街道は砂川交差点付近から斜
     めにこの地点の周辺を通過して、(10)の地点あたりに抜けていたようだ(詳細は未調査)。
   (10)の地点【北緯35度13分12秒 東経137度02分08秒】。さらに殿様街道は濁池の南端を通
     り、(13)の地点に至る。その先では、森林公園の乗馬施設の北側にもそれらしき道筋が残っ
     ている。
   (11)新居の大弘法【北緯35度13分22秒 東経137度02分13秒】。昭和6年に退養寺境内の愛
     宕山に厄除弘法大師として瀬戸電(現在の名古屋鉄道)が観光推進のために建設したも
     の。高さは9.5m。左には童子像を従えた不動明王像がある。大師像の制作者はコンクリ
     ート像作家の浅野祥雲。訪問したときは改修中で大師像の回りには足場が組まれていた。
     (参考)ここから北側の維摩池へ下りることがでる。周囲には一周1.5kmの遊歩道が整備
     されいる。
   (12)水野又太郎墓【北緯35度13分24秒 東経137度02分09秒】。上記の弘法大師像の脇を通
     り、さらに山の中へ入ると小さな祠とならんで五輪塔が3体祀ってある。
     この場所は退養寺(水野又太郎良春創建)の裏側にあたる。
   (13)殿様街道東口【北緯35度13分40秒 東経137度03分01秒】。この場所には大きな楠があ
     り、いかにもかつての街道らしい雰囲気をとどめている。殿様街道の終点は定光寺の山門
     前であるが、今は当時の道をたどることは困難である。

   【参考資料:尾張旭の道(尾張旭市教育委員会)、尾張旭市誌、尾張の古城(笹山忠著)、
           尾張旭市ホームページ、東海珍名所九十九ヶ所巡り(大竹敏之著】

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