下街道その2(春日井駅〜内々神社)

下(した)街道の概要は「下街道その1」の項目に譲るとして、今回はJRで春日井駅まで行き、そこから歩き始めた。
この区間でみどころがたくさんあるのは坂下である。坂下は江戸時代を通じて「和泉」「一色」の二村から成り、坂下村になったのは明治11年の町村合併である。
市史によると、坂下は江戸時代、勝川、内津と並ぶ街道沿いの宿場町として栄え、馬継ぎ場もあった。旅籠なども多く、藤屋、近江屋、伊勢屋、萬屋、米屋半六などが軒を連ねた。中でも伊勢屋は乗馬のまま通れる高い門と玄関、上段の間も具え、茶屋本陣をも勤めた。
一方、内津は、街道に沿って3町程も家が建ち並び上町、中町、下町に分れていた。延宝4年(1676)の戸数は50戸で、山稼ぎのほか副業に旅人の宿泊、人足賃稼ぎ、近隣の村々への商いで生計を立てる者が多かった。
なお、作成した移動軌跡の地図は、現地を2回訪れた結果をつなぎ合わせたものである。
また、内々神社以遠の多治見寄りの下街道については、今後順次資料をまとめる予定である。


コース:春日井駅→0.1km→春日井駅前弘法(@の地点)→0.9km→中央通北交差点(Aの地
      点)→0.6km→Bの地点→2.3km→退休寺(Cの地点)→1.9km(八幡社、御嶽神社立ち
     寄り)→尻冷し地蔵(Dの地点)→1.8km→坂下御殿跡(Eの地点)→0.3km→高札(F
     の地点)→0.4km→道標・常夜灯(Gの地点)→3.1km(萬寿寺ほか4箇所立ち寄り)→
     利水民生碑(Hの地点)→1.9km→明照寺(Iの地点)→3.1km(安祥寺立ち寄り)→見
     性寺(Jの地点)→0.3km→内々神社(Kの地点)→帰路はバスで高蔵寺駅へ

       注)行きつ戻りつしながら、しかも数回に分けて歩いたため、各地点間の所要時間をはっきり把握でき
           なかった。そのため、所要時間は省略し、キロ数のみを表示した


日付:平成20年9月7日(日)、9月20日(土)
天候:いずれも晴れ
所要時間:推定4時間30分(休憩時間を除く。バス乗車分は含まない。)
歩行距離:16.7km(春日井駅〜内々神社間の片道)

    コース地図を開く  ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
            (初期値は1/10000)      表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
                                 場合はこちらの「8」参照

                                 なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。


  (移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
 
1.この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
  データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。

2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
  先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
  窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくだ
  さい。
  地図の呼び出し方について、詳しくはこちら

6.留意点
 (1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
   ある。
 (2)地図上での経緯度線の表示は省略した。
 (3)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。

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(各地点の説明)

       @春日井駅前弘法【北緯35度14分39秒 東経136度59分07秒】。昭和2年12月に鳥居松駅
     (現在の春日井駅)が新設された時、駅前に新しいシンボルがほしいという機運がたかま
     り弘法大師立像が計画された。地元の熱心な奉仕活動と他地域の篤志家の協力で工事
     が進み、昭和7年4月落慶法要が営まれた
   A中央通北交差点【北緯35度15分01秒 東経136度58分52秒】。下街道はこの地点で南西
     から北東に交差している。
   Bの地点【北緯35度15分13秒 東経136度59分08秒】。県道508号(旧国道19号)と合流。
   C退休寺【北緯35度15分56秒 東経137度00分12秒】。正保元年(1644)の創建で、開基は
     尾張藩士小野沢五郎兵衛吉清。五郎兵衛の墓と共に藩祖義直公の位牌が安置され、葵
     の紋の使用が許された。
     山門は、義直が生母お亀の方の追善のために建立した相応寺(東区山口町、昭和9年に
     千種区城山町に移設)から移築したものである。
     山門の向かい側にある民家の庭には「お助け井戸」がある。退休寺の開基小野沢五郎兵
     衛吉清が掘ったもので、深さは20m、村人や街道を通る旅人の救いの井戸となっていた。
   D尻冷し地蔵【北緯35度16分38秒 東経137度00分42秒】。地蔵の高さは1.6m、12坪ほどの
     覆屋に祀られ、香華の絶え間がない。正保4年(1647)に創建された。国道19号の建設
     に伴い、自然の湧水が絶えたので、今では水道を利用しているが、水がきれいなためにと
     ても涼しげである。
     側に、馬頭観音(道標)が2基、堂の左脇に徳本上人の筆による「念仏供養塔」がある。
   E坂下御殿跡【北緯35度17分17秒 東経137度01分11秒】。寛永年間(1624〜43)尾張徳
     川初代藩主義直(源敬<げんけい>公)が、度々神屋、明知山中で狩りを行った。その折、
     宿所となった場所である。その後、寛文4年(1664)2代藩主光友の時に取り壊された。
     現在の施設は地元の人達の熱意により、平成8年に整備されたものである。
   F高札【北緯35度17分15秒 東経137度01分16秒】。義直が当地方に於ける遊猟を中止する
     際、村民の世話になった礼として、村人からの要望に応えて、「坂下という新らしい町の街
     道筋の家屋敷を免租とする」旨の高札が立っている。
     ここから北へ向かい、坂下の中心部へ入ると、製糸工場跡の説明板がいくつも立ってい
     る。明治の中期以降、養蚕の発展とともに坂下には5つの製糸工場がつくられ、大正時
     代にその全盛期を迎え、女工さんは三百人を越すほどであったが、今はその面影はない。
   G道標・常夜灯【北緯35度17分25秒 東経137度01分24秒】。T字路に常夜灯と木製の道標
     「右 江戸ぜんこうじみち 左 大山さく道」がある(「大山」は小牧市大山か?)。かつては石
     の道標があったのだろう。
     ここから1kmほど北上し、神屋小学校方面へ左折すると内津川沿いに竹薮がある。これ
     が尾張藩による「御留薮」(旗竿を切り出すための竹藪で、村人は立入禁止)だろうか。
   H利水民生碑【北緯35度18分17秒 東経137度01分46秒】。神屋地区は砂礫層のため水利
     が悪く、難工事の末、昭和9年3月に地下堰堤を作ることにより伏流水を地上にもどし、農
     業に利用できるようになった。工事内容の説明図がある。
   I明照寺【北緯35度18分41秒 東経137度02分18秒】。参道脇に三十三所観音と地蔵尊が
     混在する、76基の石仏が並んでいる。
     参道の入口近くで、右へ進むと白翁稲荷神社がある。これは山上にあったが、市民野球場
     造成のために明照寺の一隅に奉祀したものである。
      J見性寺【北緯35度19分27秒 東経137度03分34秒】。安永6年(1777)大須万松寺の綱
     国玄堤和尚が中興開山。名古屋の俳人横井也有(1702〜1783)の句碑が境内各所に
     ある。
     裏山には野舞台(江戸時代に芝居・狂言などが行われた)の石積みが残っているそうだが
     気が付かず、見落とした。
   K内々神社【北緯35度19分33秒 東経137度03分40秒】。日本武尊ゆかりの社。本殿裏の庭
     園は、裏山の自然を巧みに取り入れた回遊式で、夢窓国師作と伝えられている。
     この神社の200mほど南西にある鵜飼邸(屋号は「舎」<やまきち>)は、古い商家で幕末
     から大正期まで、 「金勢丸」「正生丸」という薬を中心に、味噌・たまりなども製造していた。
     母屋の庇の下には屋根付きで、彫刻のある古風な看板が当時のまま保存されている。
   

    【参考資料:下街道(春日井郷土史研究会)、愛知県歴史の道調査報告書 6(愛知県教育委
          員会)、下街道を歩く(春日井市文化財友の会)、春日井市史(春日井市)】

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