下街道その1(名古屋城下「札の辻」〜春日井駅)

下(した)街道は、勝川街道、内津街道、善光寺街道とも呼ばれ、名古屋と中山道大井宿の手前槙ヶ根と結ぶ延長13里20丁の脇往還。木曽街道を上街道とも呼ばれたのに対する呼称として言い慣わされてきた。
下街道も木曽街道と同じく、名古屋と中山道を結ぶ道ではあるが、この街道には正式な宿場も無ければ関所もなく、まったく庶民の道であり、信州や木曽との物資の交流の道で、自由に通行ができた。反面、大名が参勤交代で江戸と行き来することは禁じられていた。
名古屋市内の街道を歩いた印象では、旧鍋屋町(東区)の商店街、相生町の桝形付近には昔の街道の雰囲気を感じる商店などがわずかながら残っていた。春日井市へ入ると、古い様式を保った旧家が何軒も目に付いた。
なお、作成した移動軌跡の地図は、現地を何回も訪れた結果をつなぎ合わせたものである。


コース:札の辻(@の地点)→0.7km→尾州茶屋跡(Aの地点)→2.1km→道標(Bの地点)→
        0.9km→建中寺(Cの地点)→2.7km→オゾンアベニュー西口(Dの地点)→0.6km→
     道標(Eの地点)→1.3km→山田重忠旧里の碑(Fの地点)→4.4km(石山寺立ち寄り)
     →地蔵ヶ池公園(Gの地点)→2.9km(地蔵寺立ち寄り)→勝川大弘法(Hの地点)→1.9
     km→尾張広域緑道(Iの地点)→2.7km(慈眼寺立ち寄り)→郷土資料館(Jの地点)→
     1.3km→春日井駅前弘法(Kの地点)

       注)行きつ戻りつしながら、しかも数回に分けて歩いたため、各地点間の所要時間をはっきり把握でき
           なかった。そのため、所要時間は省略し、キロ数のみを表示した


日付:平成20年7月5日(土)、7月20日(日)、8月20日(水)
天候:いずれも晴れ
所要時間:推定6時間(休憩時間を除く)
歩行距離:23km

    コース地図を開く  ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
            (初期値は1/10000)      表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
                                 場合はこちらの「8」参照

                                 なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。


  (移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
 
1.この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
  データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。

2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
  先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
  窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくだ
  さい。
  地図の呼び出し方について、詳しくはこちら

6.留意点
 (1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
   ある。
 (2)地図上での経緯度線の表示は省略した。
 (3)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。

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(各地点の説明)

       @伝馬会所「札の辻」【北緯35度10分20秒 東経136度54分06秒】。慶長18年(1613)、
     本町通伝馬町筋の交差点に荷物の運搬に必要な人馬を継ぎ立てるために伝馬会所が
     設けられた。ここは名古屋城下の中心で名古屋からの距離はここを基点として測定され
     た。
     正保元年(1644)には、法度・掟書などを記した高札を掲げる高札場も交差点の東南角
     に設けられたので、この地点は「札の辻」と呼ばれた。
     「札の辻」の説明板は、車道寄りの低い位置にあるので見落とし勝ちである。
     北西80mの地点にある桜天神社は周りをすっかりビルに囲まれているが、かつては桜の
     名所だった。上野天満宮、山田天満宮とともに名古屋三大天満宮の一つである。
   A茶屋長吉尾州茶屋跡【北緯35度10分35秒 東経136度54分03秒】。茶屋新四郎長吉宅
     跡で、学校法人茶屋四郎次郎記念学園(東京福祉大学)の玄関横に説明板がある。
     ここから東へ1.2kmほど進み、国道41号線の歩道橋を渡ると、すぐ左側に創業慶長十
     六年茶の湯釜製造元「紫金堂」の看板がある。当主は代々加藤忠三郎を襲名している。
     「紫金堂」の南の区画にある「鍋屋」は、鍋釜の製造販売の総元締め水野太郎左衛門ゆ
     かりの地である。
   B道標【北緯35度10分40秒 東経136度55分15秒】。ここは「佐野屋の辻」と呼ばれていた場
     所で、高さ150cm、幅30cmの花崗岩の大きな道標が建っている。
     西面に、北を指す指の絵と「善光寺道」、北面に西を指す指の絵と「京大坂道」と刻まれて
     いる。また、東面には「明治十年 いれは業鍋屋町加藤兵衛」と記されている。
     「佐野屋」の名は、三百年ほど前辻の北西で酒屋を始めた「酒佐野屋」と、その子孫で辻
     の南東で味噌屋を始めた「味噌佐野屋」がともに豪商となったことから、辻の名になったと
     言われている。
   C建中寺【北緯35度10分43秒 東経136度55分37秒】。街道から少しはずれるが、久しぶり
     に立ち寄ってみた。
     徳興山と号し、浄土宗。慶安4年(1651)尾張二代藩主徳川光友が藩祖義直の菩提のた
     めに創建。以後、尾張徳川家歴代の廟所となった。
   Dオゾンアベニュー西口【北緯35度11分23秒 東経136度55分50秒】。ここから大曽根駅ま
     で続く商店街。
   E道標【北緯35度11分30秒 東経136度56分09秒】。商店街の東端、地下鉄6番出口脇にあ
     る。以下の刻印あり。
     (西側)右 いゐたみち (北側)左 江戸みち ぜんくはうじみち (東側)延享元甲子二月(江
     戸中期 1744年) (南側)念仏講中。
   F山田重忠旧里の碑【北緯35度11分50秒 東経136度56分19秒】。山田幼稚園の正門横に
     碑が立っている。また、幼稚園の東側金網越しに山田重忠顕彰碑を確認できる。
     なお、山田重忠は鎌倉時代の山田荘の地頭である。
     この先には山田の渡し(矢田川)と勝川の渡し(庄内川)があったが、その痕跡は残ってい
     ない。ともに渇水期の秋の末より春の末までは仮橋を架け、その他の水量の多い時期は
     船渡が普通であった。
   G地蔵ヶ池公園【北緯35度13分13秒 東経136度56分45秒】。公園の北側には天神社があ
     り、その東側には地蔵池懐古碑が建っている。
     地蔵川一帯は、かつて沼であり、俗に地蔵池と言われていた。池辺には天神社や地蔵寺
     があったが、大正12年(1923)地蔵寺は水害を避けて現在の大和通に移転した。
     地蔵川の川筋は、昭和33年着工の改修工事により、100mほど北へ移動され、池の跡
         地に公園が整備された。
          まっすぐ東へ1.3kmのところにある「十五の森跡」についてはこちらを参照。
   H勝川大弘法【北緯35度14分02秒 東経136度57分17秒】。勝川の地主で真言宗徒だった
     山口悦太郎氏が、昭和天皇の即位を記念して、昭和3年に建立した。高さは18mあり、
     当時は勝川一帯から見ることができたという。しかし、その後山口氏が亡くなった70年以
     降は管理も行き届かず傷みが目立つようになった。そんな大弘法を譲り受けたのが現在
     崇彦寺(しょうげんじ)の住職を務める林崇海氏。40年ほど前に電気店の店主として勝川
     にやってきた林氏は、毎日お参りするうちに発心。高野山での修行を終えた99年、大弘
     法像の脇に崇彦寺を開いた。(平成20年8月23日付の中日新聞より抜粋)
     なお、地蔵ヶ池公園からここへ来る途中で立ち寄った慈眼寺(じげんじ)にもカラフルな弘
     法像があった。
   I尾張広域緑道と交差【北緯35度14分12秒 東経136度57分53秒】。交差点にある千本桜
     の記念碑の台座は、現在高架工事が行われている勝川駅のプラットホームのレンガが利
     用されている。ちなみに、勝川駅は明治33年に当時の松河戸村に開設された。
      J交通児童館【北緯35度14分34秒 東経136度58分38秒】。弥生公園と一体となった施設で
     SLのD51が陳列されている。屋根付きなので保存状態がとてもよく、手入れが行き届いて
     いる。SL好きの人には一見の価値がある。月曜日は休園日。駐車場あり。
   K郷土資料館【北緯35度14分53秒 東経136度58分42秒】。江戸末期酒造業を営んでいた
     飯田重蔵家の離れ座敷を利用したもので、極めて小規模なものである。毎週土曜日の午
     後1〜4時のみ開館。
   L春日井駅前弘法【北緯35度14分39秒 東経136度59分07秒】。昭和2年12月に鳥居松駅
     (現在の春日井駅)が新設された時、駅前に新しいシンボルがほしいという機運がたかま
     り弘法大師立像が計画された。地元の熱心な奉仕活動と他地域の篤志家の協力で工事
     が進み、昭和7年4月落慶法要が営まれた。
   

    【参考資料:下街道(春日井郷土史研究会)、愛知県歴史の道調査報告書 6(愛知県教育委
          員会)、下街道を歩く(春日井市文化財友の会)、街道への誘い--ふるさと守山物
          語--(川本文彦)】

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