下街道その4(土岐市駅〜釜戸駅)

下(した)街道の概要は「下街道その1」の項目に譲るとして、今回は土岐市駅からの出発。この先は中央線とほぼ平行して歩くことになるので、帰りは便利である。
土岐市役所から東へ500mほど進むと高山公園に出る。この付近から土岐津橋南詰(Bの地点)付近までが高山宿である。木曽と尾張の荷物の交易の場として栄えた地区であり、その面影は現在も残っている。さらに東へ進むにつれて次第に時代を遡っていくような感じであった。
瑞浪駅から釜戸駅まではのんびりした田園地帯でとても心がなごむお薦めコースで、その上神社仏閣、道標、馬頭観音などの石仏、土岐宿など見るべきものが多く楽しいハイキングであった。
なお、コースについては下欄の参考資料のほかに、ちまき亭さんのサイト「名古屋近郊の旧街道のルート」およびyuta1348nrdさんの「街道を歩く」のサイトを参照させていただきました。


コース:土岐市駅(@の地点)→1.0km→Aの地点→1.5km→Bの地点→0.8km→穴弘法(Cの地
     点)→1.9km→肥田橋(Dの地点)→0.8km→Eの地点→1.1km→和合橋(Fの地点)→
         2.0km(田中泥薬師立ち寄り)→中仙道ミュージアム(Gの地点)→2.3km(白山神社立ち寄
     り)→岩屋不動の門柱(Hの地点)→2.5km(岩屋不動立ち寄り)→土岐頼貞の墓(Iの地
     点)→1.1km→一日市場八幡神社(Jの地点)→0.2km→シャチホコのある旧家(Kの地
     点)→1.3km→八幡神社(Lの地点)→1.4km→桜堂薬師(Mの地点)→1.5km→信光寺
     (Nの地点)→1.1km→常夜灯(Oの地点)→4.6km(鶴ヶ城、土岐頼兼の墓、弘法堂立ち
     寄り)→二体の馬頭観音(Pの地点)→1.2km→中切辻道標(Qの地点)→0.3km→馬場氏
     陣屋跡(Rの地点)→0.3km→中切辻道標(Qの地点)→0.6km→釜戸地名発祥地(Sの
     地点)→2.3km(天猷寺立ち寄り)→中央線釜戸駅(S-1の地点)

       注)今回は都合で、各地点間の所要時間をはっきり把握できなかったので、所要時間は省略し、キロ数
           のみを表示した


日付:平成20年10月25日(土)、11月1日(土)、11月9日(日)
天候:いずれも晴れ
所要時間:推定7時間45分(休憩時間を除く)
歩行距離:29.8km

    コース地図を開く  ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
            (初期値は1/10000)      表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
                                 場合はこちらの「8」参照

                                 なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。


  (移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
 
1.この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
  データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。

2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
  先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
  窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくだ
  さい。
  地図の呼び出し方について、詳しくはこちら

6.留意点
 (1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
   ある。
 (2)地図上での経緯度線の表示は省略した。
 (3)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。

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(各地点の説明)

       @土岐市駅【北緯35度21分35秒 東経137度10分58秒】。今回は車をやめて、大曽根から
      中央線を利用。多治見を出ると景色が一変し、列車は山間を走ることになる。土岐市駅〜
     釜戸間では、「えっ!もうこんな山の中まで来てしまったのか」という驚きさえ感じる。
   Aの地点【北緯35度21分13秒 東経137度10分55秒】。ここで主要道路から1本北へ入った地
     点で下街道に合流。
   Bの地点【北緯35度21分29秒 東経137度11分30秒】。高山公園からこの付近までは旧街道
     の雰囲気が残った落ち着いた佇まいである。
   C穴弘法【北緯35度21分23秒 東経137度11分37秒】。「古城山穴弘法大師」は大正末期に
     三河の僧侶が開山したと言われている。山肌に掘られた数十個の穴に百体余の大師像が
     祀られている。
     「高山城址」の案内板に従って参道を奥へ進むと、西側の高山城址に登ることができる。標
     高183mあり、ここからの展望は大きく開けている。城跡の小高い部分には、現在水道貯水
     池が築かれている。
   D肥田橋【北緯35度21分43秒 東経137度12分22秒】。
   Eの地点【北緯35度21分47秒 東経137度12分53秒】。消防会館を目印に脇道へ進む。
   F和合橋【北緯35度21分56秒 東経137度13分24秒】。本格橋としてこの橋が架けられたの
     は明治3年。それまでは和合橋のすぐ下で岩盤が両岸を狭めている地点に割木橋を架け
     て下街道を通したという。
     和合橋を渡ると右側に役行者、津島神社などの石仏群がまとめて道路脇に祀られている。
     左側には、大正13年に建てられた山野内追分道標がある。道標には「左 高山へ凡一里
     多治見へ凡三里 名古屋へ凡十里」、「右 定林寺ヲ経テ御嶽へ凡四里 岐阜へ凡十三里」
     と刻まれている。
     さらに、国道19号に架かる歩道橋を渡り東へ坂道を下るとすぐに比較的新しい道標があ
     る。
   G中仙道ミュージアム【北緯35度21分58秒 東経137度14分03秒】。行掛上、素通りすること
     もできず200円支払い入館。地歌舞伎の資料、焼き物、絵画、甲冑・刀剣などが陳列され
     ていた。刀剣はみごとであったが、その他はあまり興味を持てなかった。
     (途中で立ち寄った田中泥薬師についての追記・・・26日の毎日新聞より)
     平成20年10月25日に400年間塗り重ねられてきたとみられる本尊の薬師如来の泥を
     落とす「お身ぬぐい」が行われた。しかし、脇の石灯籠に寛延3年(1750年)と刻まれてい
     るだけで、石仏には年代が記されていなかった、という。
   H岩屋不動の門柱【北緯35度22分14秒 東経137度14分57秒】。門柱の対角線(南側)に
     は「塚の越地蔵堂」と津島神社小祠が並座している。
     門柱をくぐって北上すると、中央道の下に国定忠治の碑が立っていた。天保9年に木曽路
     を江州へ逃げる途中、この地を通り村人に善行を施した記念だという。石碑の隣りに国定
     忠治大神が祀られていたので、史実はさて置き、もはや信仰の対象ということだろう。
     この石碑の左側にある門柱が清来寺の参道入口である。滑りやすそうな参道が奥の院
     の岩屋まで続いている。
   I土岐頼貞の墓【北緯35度22分05秒 東経137度15分40秒】。頼貞は土岐氏中興の祖とい
     われ、以後11代続く美濃国守護として基礎を築いた人物である。
     頼貞の墓は土岐氏の菩提寺であった光善寺跡にあり、道路によって東西に別れ、彼の在
     銘のある宝筐印塔は道路の西側(左側)の墓所にある。
   J一日市場(ひといちば)八幡神社【北緯35度22分12秒 東経137度15分24秒】。神社の入
     り口には、土岐源氏発祥の地であることを示す「土岐氏一日市場館跡」の標柱が立ってい
     る。
     境内の奥には明知光秀の胸像が平成18年に造られた。
      Kシャチホコのある旧家【北緯35度22分18秒 東経137度15分24秒】。地元の人の話では、岩
     村城のシャチホコのレプリカだそうだ。この家には実物も保存されているとか。
   L八幡神社【北緯35度22分47秒 東経137度15分38秒】。清水弘法堂を通過してすぐに左折
     し中央道のトンネルをくぐり階段を登る。
     「おや!」と思ったのは鳥居の柱が途中で継ぎ足してあることだ。基礎の部分は石材だが、
     真ん中から上の部分は朱塗りの木製である。遷社碑によると、中央道の建設にあたり、こ
     の神社は昭和48年に20mほど移動されたようだが、それ以前からこのような状態だったか
     どうかわからない。
   M桜堂薬師【北緯35度22分52秒 東経137度16分18秒】。まず威厳のある仁王門が迎えてく
     れた。この門は平成19年に大改修されたばかりである。
     仁王像もその際に、室町時代後期の造立当時の姿に戻し、彩色は赤っぽい古色仕上げと
     なっていて、なかなか見応えがある。
     本堂右側の廊下には舞楽面が展示されている。ただし、展示品は陶器でつくられたもので
     実物の2倍の大きさである。
     桜堂薬師に隣接する桜宮神社にある舞台は、回り舞台になっていて昔は地元の人達の芝
     居や旅芸人による歌舞伎芝居が上演され大賑わいだったとか。ただし、現在は正面の戸
     はすべて閉まっているので、わずかに縁側に丸い切り込みが見えるだけである。裏へ回っ
     て格子戸から奈落を覗いてみると物置になっていた。
   N信光禅寺【北緯35度23分11秒 東経137度16分00秒】。小高い場所にあるので楼門の前か
     らの眺めはなかなかのものである。門の脇には馬頭観音をはじめとした石仏が数体祀って
     ある。
   O常夜灯【北緯35度23分21秒 東経137度16分10秒】。ここは土岐宿に含まれる場所で、灯
     籠の笠の一部が欠けているが、曲がり角にポツンと立っている様子がいかにも街道の雰
     囲気を醸し出している。元文5年(1740)の文字あり。
     20mほど東へ進み、左折北上して、鶴ヶ城跡へ登った。山頂からの眺めは樹木に囲まれ
     開けているとはいえないが、城としての立地条件はよい。
     ついでに、土岐頼兼の墓も訪ねた。鶴城住宅の突き当たりにある駐車場から細い山道を
     塀に沿って進むと畑に出る。さらに山の中へ70〜80mほど入っていくと正面に碑がポツ
     ンと立っていた。何の整備されず、墓参に訪れる人は皆無らしい。
   P二体の馬頭観音【北緯35度23分56秒 東経137度16分48秒】。かなり大きめの馬頭観音が
     二体、私の頭の高さより少し高い位置に祀られている。この場所は旧釜戸村と神箆(こう
     の)村の村界であり、境界杭の役目を果たしていた。
     ここから少しばかり先へ(白狐温泉方向)進むと、右側の薮の中に芭蕉の句碑「いざさらば
     雪見にころぶところまで」、またその奥の山肌に六十六部日本廻国碑が建っている。
     ここから少し戻った地点に名滝稲荷神社がある。ここにはお馴染みの赤い鳥居はないが、
     社殿の向かい側に間口19.8m、奥行き13.2mという大きな籠所(こもりしょ のちに舞
     台として使用)がある。梁や桁は一抱えもある材木を使用している。
     また、神社の入口付近にある大きな石の台は、以前土岐川に架けられていた木造橋の橋
     脚台を保存のためここへ移動したものである。
   Q中切辻道標【北緯35度24分01秒 東経137度17分26秒】。釜戸橋を渡ると東詰に、大小2
     基の道標が建っている。「左 伊勢道」寛政十年(1798)戊 「右 中街道中仙道御嶽之道」
     明治十五年六月建立、とある。    
   R馬場氏陣屋跡【北緯35度24分06秒 東経137度17分22秒】。中切辻道標から左(中央道方
     面)へ250mほど行くと、竹薮の前に説明板が建っている。
   S釜戸地名発祥地【北緯35度24分10秒 東経137度17分39秒】。「平安時代(1200年頃)に
     この洞の巨岩がご飯を炊く竈(かまど)に似ていることから『かまど』と呼ばれるようになっ
     た」との説明板あり。江戸時代には、ここに阿弥陀堂が建立されていた。
     また、中央線が開通した当時(明治35年)はこのすぐ前付近(土岐川の右岸)を走っていた
        ようだが、昭和42年に現在のように川の南側に線路の付け替えが行われた。昭和51年の
     国土画像情報閲覧システムの空中写真で旧路線の痕跡を確認できる。なおこのシステム
     の利用に先立って「利用許諾条件」を確認してください。
     さらに先へ進み、龍吟山天猷寺(てんにゅうじ)に寄った。ここでの見どころは「ハナの木山
     門」と馬場氏累代の「巨石墓」だろう。
   S-1 中央線釜戸駅【北緯35度24分41秒 東経137度18分21秒】。日中は1時間に2本しか列
      車がないので、利用する場合は前もって時刻表を調べておく必要がある。
     ちなみに、釜戸〜大曽根間は740円。


    【参考資料:下街道<春日井郷土史研究会>、愛知県歴史の道調査報告書 6<愛知県教育委
          員会>、下街道を歩く(春日井市文化財友の会)、瑞浪市の神社(岐阜県神社庁
          瑞浪市支部)】
          

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