矢勝川の彼岸花とごんぎつねの里(半田市)
彼岸花の咲く場所は名鉄河和線の半田口で下車すると、すぐ近くだが、途中で「知多四国八十八ヶ所」のうち数ヶ寺に立ち寄りたかったので車で出掛けた。
今年は暑さのせいで、花の咲く時期がいくらか遅く、ほぼ峠を越した状態で、矢勝川の右岸一帯1.5kmを真っ赤に染めていた。
日曜日とあって家族連れが多くかなり賑わっていた。紙芝居の出張サービスもあり「ごんぎつね」を見せてくれた。
左岸は知多半島サイクリングロードである。同サイクリングロードのウォーキング記録としては、南半分はこちら、北半分はこちらのページを参照。
新美南吉の生家にも立ち寄った。家の前の常夜灯、そのすぐ近くの神社やお寺、周囲の細い道などの様子から南吉が子供の頃遊んだ風景を容易に想像することができ、それは私自信にも重なる原風景でもあり、昭和20年代の子供時代を懐かしく思い出させてくれた。
南吉記念館も整備されており、彼岸花のシーズン以外でも充分楽しめる文化史跡スポットでもある。
コース:P 駐車地点→0.7km→①の地点(権現山の五郷社)→0.9km→②の地点(弘法橋)
→0.6km→③の地点(新美南吉記念館)→1.4km(中山城址一周を含む)→④の地
点(やなべ西橋)→0.1km→⑤の地点(でで虫広場)→0.4km→⑥の地点(南吉の生
家)→0.1km→⑦の地点(宝蔵倉跡)→0.2km→⑧の地点(常福院)→0.2km→⑤の
地点(ゴール地点の「でで虫広場」)
日付:平成22年10月3日(日)
天候:薄曇り
所要時間:約1時間10分
歩行距離:4.6km
コース地図を開く ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
(初期値は1/7000) 表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
場合はこちらの「8」参照
なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。
(移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
1.この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。
2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくださ
い。
地図の呼び出し方について、詳しくはこちら
6.留意点
(1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
ある。
(2)上記地図の経緯度線は「世界測地系」(GPSではWGS 84)に従い、目安として手書きで表示したものであり、各地
点の表示は「秒」までに止めた。青線の間隔は10秒(横は約250m、縦は約300m)ごとである。
(3)高度表示については、約5m~10mほどの計測誤差がある(ほとんど低めに表示されてい
る)。
(4)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。
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(各地点の説明)
P 駐車地点【北緯34度54分50秒 東経136度54分42秒】。駐車場があるかどうか心配だった
ので、少し離れた道路脇の駐車帯に車を止めた。
①権現山の五郷社【北緯34度54分52秒 東経136度54分51秒】。小さな公園の奥に社殿が
あった。社殿の横に可愛いきつねが二匹。
神社の北側をぐるっと廻ってたどり着いたが、南側に樹木が覆い被さっている石段があり、
これが正面で近道だったようだ。
②弘法橋【北緯34度54分44秒 東経136度54分34秒】。この橋より下流右岸に彼岸花が群
生している。
ここから下流をながめてみると、ほどよい川のうねりが彼岸花の美しさを一層際立たせて
いることに気付く。
③新美南吉記念館【北緯34度54分33秒 東経136度54分41秒】。半地下の独特の建物で、
南吉に関する色々な資料が展示されている。彼は大正2年生まれと、かなり昔のことだが、
子供時代の資料も多数保存・展示されていた。
記念館の南側の小山は中山城の跡である。
また、本年6月15日には、天皇皇后両陛下がこの記念館を来訪されたそうだ。
④岩滑(やなべ)西橋【北緯34度54分45秒 東経136度55分14秒】。今は変哲もないただの
コンクリート橋だが、その昔、徳川家康が阿久比の坂部に住む生母於大(おだい)の方を
訪ねる際にこの橋を渡ったと伝えられている。
江戸時代、その維持は尾張の藩費によって行われ、村人たちは「お殿橋」と呼んで親しん
でいた。
⑤でで虫広場【北緯34度54分43秒 東経136度55分18秒】。休憩には好都合な小公園だ。
県道から、この公園付近までの西に向う堤防道路上に駐車可能な若干のスペースがあ
る。
⑥南吉の生家【北緯34度54分37秒 東経136度55分25秒】。右側が父多蔵の畳屋、左側が
継母志んの下駄屋である。
この家は一時、人手に渡っていたが、半田市が購入し、当時のままに復元して昭和62年
から公開している。
家の向側には文化5年(1808)に建てられた常夜灯がある。その台座には、盃状穴がい
くつも見られる。彼の作品に、「その穴で子供達が草つき遊びをした」との記述がある。
また、知多半島を縦断する街道と横断する街道が交わる地点でもあり、この家の東南
10mの分岐点には道標が立っており、「右 かめさき・三州 左 半田・もろさき」とある。
⑦宝蔵倉跡【北緯34度54分37秒 東経136度55分23秒】。神社前の駐車場の片隅に立って
いる説明板によると、
「南吉の代表作『「ごん狐』は、この場所・宝蔵倉の前で村の老人から聞いた話という設定
で書かれました。
南吉は『ごん狐』の草稿で、『・・・次にお話するのは、私が小さかった時、若衆倉の前で、
茂助爺からきいた話なんです・・・』と書き出しています。」
⑧常福院【北緯34度54分41秒 東経136度55分19秒】。永禄年間(1558~1570)、岩滑城
主中山勝時が菩提寺として建立した寺院。ここには開山当初に寄進された高さ6mもある
大きなソテツがある。
なお、参考資料の「愛知の城」によると、常福院および東側の八幡社を含む一帯は岩滑城
址でもあったのである。北は矢勝川に面して崖となり、周囲より高くなっている。「尾州府
志」に「緒川城主水野忠政の婿、中山刑部大輔勝時これに居る。東西三十二間、南北十八
間なり」とある。
【参考資料:パンフレット「南吉のふるさと 半田」(新美南吉顕彰会)、史跡散策「愛知の城」
(山田柾之著)】
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