台湾人の話し言葉
 台湾語は台湾人の日常言語である。台湾文字を使って表記する。台湾文字は漢字を使用する。漢字は台湾語の発音をする。台湾人の話し言葉は独自の系統があり、話し方がある。漢字はその話し方で読まれ、発音する。漢字の台湾語発音や漢字のない台湾語の発音はローマ字による新しい表記法が使用できるようになった。教育部の発表した拼音法がある。
 日本語は漢字や漢語を日本風に使用する。音読みや訓読のほか、漢字に異なる役割りを当てている。台湾語もこれと同じような漢字の使い方をする。台湾語の中には中国語と日本語が多数含まれているが、これらの用語は台湾風の発音をすることで台湾語となる。
台湾語・日本語・中国語の日用語を若干比較する。
草地人(tsháu-tē-lâng) ・ 農民 ・ 农民/庄稼人
街路人(ke-lōo-lâng) ・ 都会人 ・ 城市人
鐵馬(thih-bé) ・ 自転車 ・ 自行车/脚踏车/单车
自動車(tsū-tōng-tshia) ・ 自動車 ・ 汽车
火車(hé-tshia) ・ 汽車 ・ 火车
生理(sing-lí) ・ 商売 ・ 生意
頭路(thâu-lōo) ・ 仕事 ・ 工作
月給(ge̍h-kip) ・ 月給 ・ 月薪
泅水(siû-tsuí) ・ 水泳 ・ 游泳
頭家兼新羅(thâu-ke kiam sin-lô)
 自営業者の中では経営と管理の二役を同時に担う例がある。ボスでもあり、雑係でもあるような立場にあるものはこのことばがピッタリ当てあまる。私はこれを生計型の経営と呼ぶ。営利のために企業を経営することには変わりないが、そもそも自己雇用の目的もあって事業を経営する。零細経営にこのタイプの例が多い。しかし、私はタウケー・キャム・シンローとシニカルに言える人は偉いと考えている。自己雇用を創出し、自己責任で生計を立てる自信があってこそ自嘲もできるのである。
 私の住む団地内にかなりの規模の雑貨屋があった。高齢となったオーナーが引退した直後に若い後継者が店をたたんで会社勤めに出た。この方が気楽で収入もそれほど違わないと計算したからだという。その先代の考え方を本人がこの世を去る前に確かめる機会を失った。さて、台湾では今日でも日々労苦をいとわない人による零細経営が盛んである。至る所でタウケー・キャム・シンローのケースに立ち会うことができるのだ。

有話無地講(ū-uē bô tè kóng)
 言い分を聞いてもらえないことをこのように表現する。無地講は話を聞いてもらえる人または場所がないことだ。人生は時と場合に不平等や不条理な状況に直面させられることは避けられない。不当な扱いや身に覚えのない濡れ衣を着せられた場合、自分の潔白を主張するのは当然のことである。しかし、言い分を主張できない場合も少なくない、このときよく使われる言葉がウー・ウエー・ボゥオ・テエー・コンなのだ。

半籠師(puànn-lang sai)
 未熟者のことをプゥア・ラン・スアイという。暮らしや仕事の上では経験がものを言うことが多い。これは情報時代でも例外ではない。いきなりベテランになることは現実の世界ではありえない。能力主義が重視されるといってもそれはブレイクスルーができるかどうかの話であり、同一領域における経験を全面的に否定するものではない。生半可な知識をもって分不相応に行動する人や実践的経験の欠如したものに対し、台湾人はこのような称号を与える。

心頭拿呼定(sim-thâu lia̍h ho tiānn)
 落ち着いた心を保つことや決心するようになる状態を表す。ホ・ティヤーは動詞のリィヤ(撂)の後ろにつけて安定した状態を保つことを言う。チィア・ほ・バァー(たらふく食う)、チェン・ホ・シイョ(暖かく着込む)、リャ・ホ・テイッツ(真直ぐなるように持つ)などの例のようにある種の動詞が示す動作の効果や状態を表現する場合、ホが使用される。決心する結果は心をリャ・ティヤーしたことで、決心する状態になることは心をリャ・ホ・ホティヤーと言うのである。

代誌做呼好(tāi-tsì tsò hō hó)
 仕事はキチンとやれと言う意味だ。タイチーは仕事や取り掛かっている用件を指し、ツゥオは実行することだ。行うという動詞の直後につけるホ・フゥオは適切な行動を表現し、取り掛かっている仕事をキチンと処理するようにとこのことばは表現する。動作が正しく行われるようにせよというときは、動詞+ホフゥオといえばよい。ホは調子がいい、状態が良好という意味だから、キィア(kiânn•歩く)・ホ・フォゥオは注意して歩きなさいであり、チエー(tsē・座る)・ホフゥオは間違いのないように腰掛けるよう注意を促すときにも使う。