目の前で成すすべも無く、収束していく光に零れた言葉は一つだけだった
「嘘だろ‥」
最後まで聞こえた言葉も一つだけだった



                        

























「兄さん、兄さん‥兄さんっ」
助けてと呼ぶより、求められた 俺
なのに、俺の手はあの温もりを掴まえておく事ができなかった
アルフォンス‥
アルフォンス アルフォンス
「ア‥」
「兄さん?どうかした?」
ドア越しにかけられた控えめだが心配そうな声に、エドは自分が壁を叩いてしまったのに気付いた。
左手から流れる、赤い滴り
それでも。
無意識でも機械鎧の右手ではなく、左手で殴った事に、エドは身に染み付いた罪を笑った。

隠すように左手で髪をタオルドライしながら、エドはアルの前を過ぎてイスにドカッと座り込んだ。
「‥また、面倒臭がって足でタオルでも拾おうとしたんでしょ。危ないよ‥!?」
ガシガシ頭を拭くタオルの上から、アルは用意していたタオルをかける。
「髪傷めるだけで、あんまり水分取れてないよ?風邪ひかないようにね。」
アルが備え付けのポットからカップにお湯を注ぐと、部屋にコーヒーのいい香りが広がった。
「チェ、そんなんじゃないや‥」
「何か言った?」
「い〜んや、別に〜。」
少し拗ねたような口調に、アルはそっと息をついた。
鎧の姿になってから、外界とは切り離された感覚に、アルは倍注意を払うようになった。
寒い暑い、疲れや眠気、空腹そして痛み。そういった体の生きる為のシグナルを失ってしまったと、アルが気付いたのはエドが過労で発熱した時だった。
『あの時の恐怖は忘れない‥忘れられない』
自分が気をつけていれば回避できた危険。
それ以来アルは自分の周りに、自分の行動に、なにより兄に気を配っている。
だから気付いた。左手を怪我したと。
だから気付けた。それを隠したいのだと。
怪我を隠そうと神経を尖らせていたエドの気が散っていくのに、アルもやっと息をつく。
「ア‥」
「兄‥」
一緒に口を開いた二人の間に割って入ったのは、けたたましい電話の音。
RRRRR
「‥っ、なんだよ、こんな時間」
「誰だろうね‥」
受話器をとったアルは、エドを振り返った。
「兄さん、タッカーさんから‥なんか急ぎの用事みたい。もう遅いけど、どうする?」
「あ〜、明日‥いや、いい。行く。」
アルが電話に答えている間に身支度を整えると、エドはアルを連れ立ってキメラの錬成で名を馳せたタッカー邸へと向かった。


「どうした‥んですか?」
呼び鈴に出てきたニーナに引っ張られ、連れてこられたのはタッカー家の地下の一室。地下と言っても天井は半分ほどしかなく、本宅の壁に囲まれてる為圧迫感はあるが、小さく夜空が見える。
エドは視線を一巡させたが、月明りだけの部屋は暗く夜に隠されている。
「タッカーさん?」
返事の無いタッカーに、アルも戸惑いながら声をかけた。
「‥人体錬成」
「?」
「!」
アルの動きをエドは制すると、一歩タッカーの方へと踏み出す。
「‥人体錬成‥したんですか?」
「凄い‥」
「タッカーさん?」
「凄いよ、エドワード君。見てくれたまえ、これを。」
タッカーが手を広げた方向、暗闇の中を身動ぎする小さいからだ。
交わる視線
一度瞬きすると、嬉しさと安堵を携えて瞳は微笑んだ。
「兄さん!」
暗闇から月に光の下、駆け寄ってきた子供は、間違うはずも無い、忘れるなんて出来ない、エドには愛しい、アルには懐かしい姿。10歳の頃のアルフォンスそのものだった。


どういう事だ‥
呻ったのはエドで、その重さが、深さが。凍り付いていた鎧・アルを打った。
子供・アルフォンスも驚いたらしく、エドに抱きついていた顔を上げ、エドの顔を見た。その動きでアルフォンスを捕えたエドの瞳は、懐かしむように細められ、すぐとまた逸らされた。
興奮気味で上手く言葉の出てこないタッカーより先に、口を開いたのはアルフォンスだった。
「良かった」
深い安堵の息と共に零れた言葉。
「光の中に吸い込まれてく時、兄さん怪我してたように見えたから‥僕の見間違いだったんだ。良かった‥」
「光って‥」
ドクンと、エドの耳元で心臓が打つ。
「あ‥‥」
あるはずのないアルもガンガンと鳴り響く警鐘に、視界が赤く黒く、遠ざかる。
『『まさか、この子はっ、、、あの時の‥‥!?』』
まるで薄い血の中でみる景色に、くらくらと脈打つ頭とは反対に指先が冷えてエドは震えた。
「アル‥フォンス‥‥」
「あの、さ‥兄さん。僕、光の中に吸い込まれたでしょ。」
「ア‥‥」
口がカラカラで、エドは質問を口にできない。
「気付いたらここで、よく分からないんだけど」
アルフォンスは辺りを見回して、兄を見上げた。
「母さんはどこ?錬成は、どうなったの?」

エドの上に、アルの上に 審判の鐘が響き渡った


「空間力学を研究している錬金術師にアドバイスを貰った事があってね。」
自分の成しえた事に興奮気味のタッカーの話を要約すれば、その錬金術師から10年間の磁場スケジュールももらったらしい。
「彼は老い先短くて、自分の成果を託したかったんだろうね。2年前に国家錬金術師に合格して、やっと彼の言うとおりの部屋を地下に作れたんだ。」
だが、その研究発想はタッカーの知識とはかけ離れていた。結局、キメラ錬成には役に立たず今まで放置していたという。
「各地を放浪して磁場を測った。その中にリゼンブールのものがあった。君達が、お母さんを錬成したあの日の。」
「!」
「驚いた事に今日‥、と、もう昨日だね。同じ条件が揃う事に気付いた。スケジュールの中で同じ条件が揃うっているのは初めて見たよ。」
「それで、タッカーさんは‥」
子供のように自分の発見に舞い上がっているタッカーに、アルは務めて冷静に尋ねた。
「人体錬成ではないよ。だけど共通する事もある。門という概念。あの錬金術師の研究に門について触れているものがあった。彼が言うには真理の門ではなく、次元の門らしい。つまり、過去やどこか遠くと、今ここを繋ぐ門の事になるらしい。」
アルフォンスは居心地悪そうに、エドの横に座っていて。エドは、全てを拒絶するかのように、片肘ついて窓の外を眺めている。
「つまり、この子は‥」
「本物のアルフォンス君だよ。」
ダン
得意げなタッカーの言葉は、エドが叩いた壁の音にかき消された。ビクッとアルフォンスが震える。
『君のせいじゃ無い。君を怒ってるんじゃないよ、兄さんは。』
アルは、しかしアルフォンスにかける言葉を持たなかった。
『だけど、本物の僕に鎧の僕がなんて言う?』
本物
記憶といい身体的特徴といい、この子供がアルフォンス・エルリックである事は間違いなかった。
『そうだよ‥僕がアルフォンスだなんて、誰が信じる?何が証明できる!?』
     兄さんの言葉だけだった 兄さんの思いだけだった
『それだけで、良かったけど‥』
アルはエドを見やった。
エドは、自分がアルフォンスを脅かした事に気付き、小さく舌打ちして、それが更にアルフォンスを萎縮させ、
困ったように 嬉しそうに
そろそろとアルフォンスの肩を抱いた。
『兄さんも怖いんだ。あの子を僕と認める事が。僕を否定する事が‥』
     それで十分だ ありがとう、兄さん
嬉しい顔が出来ないエドに、ばかだなぁと感謝して。エドが嬉しい顔を出来るように、アルは音を立てるよう意識して動くと、エドとアルフォンスの元へ寄った。
「説明不足で不安だよね。えっと、どこから話せばいいかな‥」


一通りの経過が語られた。
トリシャの錬成は失敗した事 リバウンドでエドは左足を失い、アルフォンスは光の中・真理の門の向こうへ連れ去られた事 アルフォンスを連れ戻す為、エドが右手を犠牲にし今の鎧に魂を定着させた事
そして、それから4年の歳月が経過している事
「4年‥」
「うん‥」
エドはまともにアルフォンスも、アルさえも見ず。ずっと黙ったままで。アルは代わりに頷いた。
「どうりで兄さんの背が高いわけだね。」
アルフォンスは微笑んだ。
錬成の失敗を怒る事無く、鎧の未来を嘆く事無く、兄の右手を謝る事無く。アルフォンスはただ、笑った。
「アルフォンス‥」
アルフォンスを見とめてからずっと、視線を逸らしていたエドが顔を上げる。
「兄さんの右手、僕なんだ。」
アルフォンスはエドの機械鎧を叩いた。
「ありがと。」
兄が己を犠牲にした事が、気にならないわけが無い。だけど。謝るよりお礼を言える、前向きさ。
お礼を言われたエドの瞳が見開かれ、嬉しそうに綻ぶ。
『僕も‥あんなんだったのかな‥‥。あんな力が、あったんだろうか』
「アルフォンス。」
「でも、無茶するなぁ。そ〜ゆ〜トコ、直した方が良いよ。」
エドが感謝とか謝罪とか、思いをあらわす言葉を探し出す前に、アルフォンスは場の空気を換えてしまう。
『あぁ‥昔の僕は、おおらかで、鈍くて、なんて身軽なんだろう。今の僕は、到底敵わない。』
かつて自分が持っていたものを眩しく思いながら、アルもエドが気をまわさぬようその空気に便乗する。
「まったくだよね。」
鎧と子供はふたりして、うんうんと頷き合った。
「なんだよ、お前ら〜」
やっと、やっと。
エドの表情も崩れる。
「兄さん‥泣いてるの?」
「ちげーよ。」
「背、伸びてたんだ。良かったね。」
「そこじゃないだろ!」
エドは手早く鼻を擦ると、2人をガバッと抱き締めた。


事態が事態の為、アルはロイに連絡した。夜中にたたき起こされたロイは、着く早々思いっきりエドを殴り、研究を発表したいというタッカーの胸倉を掴んでアルとアルフォンスに聞こえない所へ引き込むと
「あの子供を錬生産物として発表するなら、確たる理論を説明できないと人体錬成と糾弾されかねんが?説明を省くには、監査官の前でもう一度やってみせるしかないが、できるのかね?」
言葉の冷水を浴びせた。
「なに、焦る事は無い。後日、理論が証明できた時に発表すればいい。」
ロイに丸め込まれたタッカーは、意気揚々とレポートを提出し、この件はタッカーの手を離れた。


「記憶ピッタリ!本当に僕なんだ〜。」
アルとの記憶照合の後感心したように、アルフォンスはアルの鎧をペシペシと叩いた。
反射的にエドがその手を掴む。
「「兄さん?」」
「あ‥‥いや‥」
ハモった声に、アルフォンスの手を掴むエドの手から力が抜ける。
『俺は‥』
     たとえアルフォンスでも、アルを物扱いされたくない
己の譲れない一線にエドは固く目を閉じ、ついでアルフォンスの頭をぐりぐり撫でた。
「当たり前だろ?な、アル。」
「はは‥」
曖昧に笑うアルの声に、エドは怯えを隠しながらアルを見上げた。
     お前、傷付いてないか?
     俺の不用意な言葉に まわりの不注意な対応に お前、悲しんでないか?
家を焼き体を取り戻すまでは帰らない決意でリゼンブールを出立した時は思ってもみなかった。世間がアルをどう見るかなんて‥
【…鎧が歩いて…でかくて邪魔…戦争でもないのに…好戦的じゃ…乱暴者か…イカレて…】
鎧だ。鎧だ。鎧だ。
囁きにブチ切れたエドはセントラルへ向かう列車で乱闘騒ぎを起こし、更なる注目を集めてしまう。
【やっぱり!】
【違う!、暴れたのは俺だろ!?アルじゃない。】
なお、言い募ろうとするエドをアルが引っ張ってその場を逃れた。
【どうして止める!?あいつ等が悪‥】
【兄さん‥僕、本当に鎧だから。でも、ありがとね。】

『あんな言葉を、俺はアルに言わせてしまった‥』
アルの為の怒りが、アルを傷つける‥
『アルの為?いったい俺は何様だっ!その傲慢さこそが、アルを傷つけるというのに‥』
謝れば謝るほど、怒れば怒るほど、アルは俺に荷を負わせないように傷付いていく
『お前、、、本当はさ‥』
聞けない言葉を飲み込むかわりに、エドは表情のない鎧から、アルの感情を読み取れるよう感覚を研ぎ澄ましてきた。アルがエドを、そしてまわりへと気遣う術を身に付けたように。
だから、分る。 アルの違和感。
『アル‥?』
でも、だから‥。何が、とは問えない。
アル‥‥
固く、両手を組むエドと、その背を見守るしかないアル
動けないふたり。動かないふたり。
『理由なんて僕には分らないけど‥でも、これは母さんが死んだ時より後ろ向きじゃないか?』
ふたりの様子にアルフォンスはこっそりため息をつくと、黙ってしまったエドの左手に、触れた。
「兄さん」
「‥アルフォンス‥‥」
その温もりが懐かしくて。エドは目を伏せそうになり‥はっとして顔を上げた。
「!。アルフォンスっ、お前、熱!」
「あ‥」
しまったというようにアルフォンスは手を引っ込めると舌を出した。


「ったく。調子が悪いんなら、ちゃんと言え。」
ロックベル家に着くなり。エドはアルフォンスをベッドに放った。
気にしてなさそうに見えて、子供はかなりを堪えていたのだ。
エドは自分に舌打ちすると、ロイへの連絡も早々にリゼンブールへアルフォンスを連れて戻った。
「知恵熱なんて、子供っぽい‥」
強がるアルフォンスは、でも本当はかなり辛かったのだろう、ベッドで大人しくしている。
「子供だろうが。」
アルがアルフォンスの額に置かれたタオルを冷水に浸している間に、エドはベッドに横たわるアルフォンスの額に触れた。
『まだ熱いか‥』
エドが頷くのにアルもタオルを絞って、アルフォンスの額に戻す。
「子供〜?」
「お子ちゃまだ。」
「ちぇ〜、ついさっきまで兄さんと1つしか違わなかったのに。」
それは深い言葉だった。
本当なら1つ違いの兄弟。
だが、その深さに溺れる前に、 アルフォンスがガバッと起き上がって、エドの頭に手を置いた。
「アルフォンス?」
次に自分の頭に手を置く。
「アル‥フォンス!?」
「牛乳!」
「は?」
「4年経っててその身長は、牛乳だね。母さんにもウィンリィにも怒られてただろ!?僕が子供なら兄さんはもう、いい歳って事なんだから。好き嫌いしない!」
ビシッと言われ、エドはベッドのヘッドボードに屈みこんだ。
「いい歳って‥お前‥‥」
「あ、でもそうしたら、今の僕もいい歳なんだ。」
ポンと手を打つアルフォンスを、アルはベッドに横たえた。
「熱が上がるよ!?」
アルはシーツを掛け直すと水を換える為ボールを持とうとして、アルフォンスが自分を見つめている事に気付いた。
「どうしたの?なにか‥」
アルの問いに、アルフォンスは照れくさそうに笑った。
「すごい、ね。」
「なにが?」
「鎧なのに、すごく優しい。」
ピクッとエドが揺れるが、額のタオルでヘッドボード側のエドの動きにアルフォンスは気付かなかった。
「僕を寝かす時も、タオルを乗せる時も、優しい。鎧なのにそんなふうに動けるなんて、すごいね、4年後の僕。」
自分を褒めるなんてバカ?、とアルフォンスは笑った。
最初意味を掴めなくて動けなかったアルの鎧の中に、その言葉がゆっくりと広がった。
「‥‥‥ありがと」
のぼせて答えてから腕の中のボールに気付き、アルは慌てて水を換えに階下へ降りて行った。
それを見送り、僕も頑張らなきゃね、とタオルをどけてエドを見上げたアルフォンスの瞳をエドは手のひらで隠すと、呟いた。
「ありがと」
「?兄さん?」
     ありがとう アルを褒めてくれて
               誰もアルの努力に注意を払わなかった
     ありがとう アルの努力に気付いてくれて
               誰もアルの優しさを評価しなかった
「僕も、さ‥なれるかな。なりたいな‥」
「なれるさ、お前はアルなんだから‥」
エドに頭を撫でられて、アルフォンスは嬉しそうに頬を上気させた。


「ウィンリィ、ピアス始めたんだ。びっくり‥」
「あんた達がお土産に持ってきたのよ。」
「そーなんだ。結構気が利いてるね、今の僕と兄さん。」
ウィンリィは、アルフォンスの熱が下がりつつあるのを確かめると、薬を飲ませ部屋を後にした。階下へと降りれば台所に不釣合いな錬金術師が一匹。
「ちょっと。家が暗くなるじゃない。そんな顔してるなら他所に行ってよ。」
「‥‥‥」
反論も出来ないほど凹んでいる幼馴染に、ウィンリィはヤカンを渡した。
「?」
「茶、ぐらい淹れてよ。」
エドは黙って言われるがまま、ヤカンを火にかけた。
「で?」
「‥どうすれば良いと思う?」
ウィンリィは肘を突いて顎を乗せた。
「今まで他人の言う事なんて全然聞かなかったくせに、こーゆー厄介事で聞くなんて、サイテー」
「厄介って、アルは‥」
アルだからじゃない!
ウィンリィはバンとテーブルを叩いた。
「あの子が本物である事は、父さんの残したカルテからでも判る。だけど、あのアルだって、本物だよ!」
震えないように唇を噛み締め、ウィンリィがこっそり涙を拭くのに、エドは気付かないふりで背を向けた。
「‥一番傷付いてるのは、アルだと思う」
「エド‥」
「俺は、どうすればいい?どうすれば、ふたりを‥」
「‥‥‥」
「怖いんだ、ウィンリィ‥俺、どうしたら‥‥」
エドは頭を抱えた。指の間から金糸が零れ落ちる。
「アルフォンスは‥3人兄弟の末弟っていうか、もうひとりの弟のようで‥だから」
     4年前の俺の弟であって、今の俺のアルじゃないんだ
血を吐く叫びをウィンリィは聞いた気がした。
アルフォンスは確かに4年前のアルフォンスで 間違いなくアルフォンスで 大切な弟だ
だけど
「‥俺はアルを戻したい。戻したいんだ!」
「わたしだってアルに戻って欲しいわ。」
「アルを戻したいって事を、アルフォンスはどう受け止めるだろう。」
4年の歳月を飛び越した未来の環境。そして自分の立場。それらがプレッシャーとなって熱を出したのだ。
「自分が居てはいけないと思うかもしれない。」
「そんな‥っ」
「でも、このままここで暮らしていたらアルは、俺が死んだ後もずっと鎧のままになってしまう‥」
「エド‥」
「俺は‥アルを戻したかった。今も、戻したい!だけど、こんな事、望んじゃ‥」
力なく、エドは拳でテーブルを叩いた。
「俺は‥どうしたら‥‥」
PiPy−
けたたましく水蒸気を吐き出したヤカンの火を止めたのは、階上で寝ているはずのアルフォンスだった。
「簡単だよ。僕に出てけって言えばいい。」
「アルフォンスっ、、、お前、聞いて‥?」
アルフォンスに睨まれて、エドは動揺する。
「らしくないよ、兄さん。いつだって、兄さんは道を選んできたじゃない。選ばなきゃ、前には進めない。」
「アルフォ‥ンス」
「兄さんが大事なのは何なの?」
「!‥‥‥俺は‥」
自覚はあってもそれを口にする事が出来ないエドに、アルフォンスは笑いかけた。
「ね。簡単でしょ!?なのに、どうして尻込みするの?」
「ア‥フォ‥ス‥‥だが‥」
「間違えない人なんていない。間違ったっていいじゃん。そん時は僕がフォローしてあげるから。」
笑ったアルフォンスの瞳から、涙が転がり落ちる。
「フォローできない時は、一緒に謝って、罰を受けるから。母さんを錬成した時のように。」
アルフォンスは鼻をすすると、エドの正面にまわり兄の両手を取った。
「いつだって!兄さんは自慢の、ちょっぴり無鉄砲な兄さんだ。」
「なんだよ、ちょっぴり無鉄砲ってのは‥」
アルフォンスと話すと、エドが以前の兄貴分に戻るのにウィンリィは気付いた。
「4年経ったって変わらない。10年経ったって変わらないでいて欲しい。」
あ、でも背は伸びてるといいね。
笑ったアルフォンスを抱き寄せると、エドはその肩に顔を伏せて泣いた。優しくアルフォンスがその頭を抱くのを見やり、ウィンリィは台所を後にした。



アルとアルフォンスは上手くやっているようだった。そのさまを様子を見に来たロイは複雑に眺めた。
「お久し振りです、大佐。今日は‥兄さんに?」
「エドに用があるなら、出頭させているさ。少し良いかね?」
アルは裏庭でデンを洗うアルフォンスとエドを振り返った後、ロイに頷いた。
「上手く、やっているようだな。小さなアルフォンスと。」
「そうですね。もともとあの子は兄さんには弟ですし、僕も弟がいたらあんな感じかと思うし‥少々生意気ですけど」
って事は僕も生意気だったんですよね。
背伸びしてるところが子供だと、アルは笑った。鎧からは笑顔を見ることは叶わなかったけれど。
「それで、これからどうするのかね?」
ロイは珍しく単刀直入に尋ねた。
普通なら生意気と感じるはずの、アルの、子供らしからぬ気遣いを、ロイはそれも気持ちよいと感じている。だからアルとの他愛の無い話もひとつの楽しみで(そこから報告しないエドの変わりに2人の状況を判断もしているのだが)訪ねたのだが、思った以上にアルが動揺していると感じて、その会話を諦め、まっすぐにアルを見た。
そしてアルも
その問いこそがロイの優しさと知っている。
「兄さんは‥軍を辞められないでしょうか?」
アルは裏庭の声が拾える、だけど此方の声が届きにくい2階のアルの部屋へとロイを招いた。
「あの子がいれば‥あの子こそが兄さんが取り戻したかったものです。あの子がいるなら兄さんはこれ以上、危険に身を置く事はない‥」
「‥退役は出来ると思うが、国家錬金術師の名義は返上となるな。」
アルは頷いた。
「地道に働けば生活は何とかなると思うんです。兄さんは錬金術の腕は確かだし、周りの人達も温かくて優しいから」
傾げた冑の小首がロイもその一人だと告げている。
ロイは片眉を上げて、ふぅっと息をついた。
「君の体は?どうするのかね?」
「‥僕は、できれば兄さんの腕と足を取り戻したい。生身の兄さんと違って、僕なら旅を続けられる」
「それをエドが許すとは思えんが?」
「僕はアルフォンスなんでしょうか?」
『ああ‥』
ロイはその問いにこそ、今の心情を垣間見る。
「それでは、エドを否定するか?」
自分を否定する事は兄を否定する事だ
ロイに鋭く切り込まれ、アルは返答に窮する。
「そんなわけじゃ‥」
「君がアルフォンスだろうがそうでなかろうが、私にはたいした問題じゃない。私は今の君を気に入っているのだからな。」
「ありがとうございます‥」
「‥そんな事は無いと思うが。エドが弟を取り戻したと言うなら、私のところへ来ないか?仕事は山のようにあるのでね。運が良ければ、元に戻れるヒントも見つかるだろう。」
仕事と称してロイはアルに旅を、そして研究をさせると言ってくれているのだ。
「大佐っ‥僕、、、」
「だが、勘違いするな。エドが<弟>を取り戻したと言った時だ。<アルフォンス>では、ないからな。」
「え‥?」
「敵に塩を送るのは、どんな相手にでも軍人として厳禁だが、余裕を見せつけるのも、勝利の一手になるからな。今回は良しとしよう。」
「大佐、それはどういう‥」
「それはお前が考えてやれ。エドの為に、な。」


階段で、ロイはエドとすれ違う。アルのいない事に気付いて、探したのだろう。
『だが、お前は踏み込めなかった。ノックすらも‥』
ピナコから、ふたりは2階にいると教えられただろうに。
「随分と大人しくなったものだな、エド。」
ロイを睨みつける事もせず、エドは縋るようにロイを見上げた。
「なにか‥言ってたか?」
「プロポーズには、OKの返事を貰ったぞ。」
「なに言って‥」
安堵と苦しさとを滲ませて、エドは前髪をかきあげた。だけど、すぐに俯いた顔には髪が落ちてくる。
「小さなアルはどうした?」
「<アルフォンス>なら、ウィンリィの手伝いをしてる。なんにでも興味が湧くらしい。」
「お前たちもそうだったのではないのか?」
「‥‥‥、忘れちまった‥」
「‥‥‥」
「4年は‥長い‥‥」
ロイは何も言わずに、階下へと降りていった。


階段の下でロイを待ち構えていたのは、良い香りのお茶を盆に乗せたアルフォンスだった。
「マスタング大佐、お茶はいかがですか?」
ロイは一考すると、抑揚に頷いた。
「元気になったようだな。」
「済みません。ご迷惑をかけました。」
「ここには慣れたか?」
その問いにアルフォンスが笑うので、ロイは片眉をあげる。
「だって‥。そりゃ、多少古くなって油の染みとか増えてますけど、お隣さんですから」
「あぁ、そうだったな。では、アルフォンス、君はなにが言いたくて私をお茶に誘ったのかね?」
「バレバレですね。えっと」
アルフォンスは上目使いにロイを見た。
「兄さんを軍から解放してもらえませんか?」
「軍が拘束しているわけじゃないのだが?」
「う‥でも、軍にいたら兄さんは‥。兄さん、ああ見えて優しいんです。」
「知っている。」
「ごめんなさい。」
「‥あぁ、悪かった。その、君を責めているわけではないのだが‥」
「‥鎧の僕が好きですか?」
子供は率直で、ロイは思わず言葉に詰る。
「うっ‥ん、気に入ってはいる。」
「ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいです。」
「そうか?」
「あの鎧には、僕がこれから過ごすかもしれない4年が詰ってる。」
ロイは先ほど、アルフォンスがアルを指して<鎧の僕>と言った事を思い出した。
この子にとって、アルはなんの迷いも無く自分なのだ。
ロイの驚きなど露知らず、アルフォンスは話を続ける。
「あの人は確かに僕なんだと思う。阿吽の呼吸で兄さんのフォローができるもの。」
だが、アルフォンスがアルである事こそ、今の2人には問題なのだ。
ウィンリィは、アルフォンスとロイの声が聞こえる隣室で、機械鎧の部品を整備しながら呟いた。
「どちらにも幸せになってほしい。ただそれだけなのに、どうして気持ちは揺れるのかしら‥」

伝えたい思いが大きくて話を急ぐ子供に、ロイはお茶を勧めた。
「兄さんの手足を戻してあげたい。でも、今一番大事なのは兄さんの望みを叶えてあげる事だと思う。僕の為に苦労してる兄さんの」
アルフォンスは一気にお茶を飲むと、すぐに顔を上げた。
「それは兄さんの僕に、体を戻してあげる事だと思う。」
「アルフォンス‥」
ロイは目を見開いた。
『あぁ、この子はあのふたりより、よっぽどよく分っている』
アルフォンスはよく動く表情で、素直に訴える。
「僕は、兄さんを支えたアルフォンスじゃない。僕じゃ駄目だ。それだけはあの人、わからないんだよね。兄さんが大事。じゃあ兄さんの大事は?って事がさ。」
屈託無く言うアルフォンスに
『もしも、アルが生身のまま育っていたら‥』
詮無い事をロイは思う。
子供は真っ直ぐに、兄を見ている。
傷を負った子供達は、お互いを大切に思うあまり、簡単な事に気付けない
「鎧の僕は、僕‥鎧が一緒では兄さんが幸せになれないって言うんだ。兄さんは鎧を忘れて幸せにならなきゃって‥どうしてなのかなぁ。母さんを錬成する時に、兄さんは言ってた。3人で暮らそうって。3人で暮らせば楽しいって‥僕も思ったのに」
「4年は長いか‥」
先ほどのエドの言葉をロイが繰り返すと、アルフォンスは顔を上げた。
「兄さんは、そんな事で諦めたりしない!どんなにタイヘンでも、どんなに時間がかかっても!いつだって兄さんは頑張ってた。4年経ったって、兄さんに変わりなんてない‥ないんだ。」
泣き出したアルフォンスに、ロイはこの子供も不安を抱えていたのを知る。
『バカか、私は‥』
「いや、バカはエドだな。」
ロイはアルフォンスの頭をぐりぐりと撫でた。
「忘れてるだけさ。お前が、思い出させてやれ。」
「‥できるかな」
「できるさ。お前は私がお気に入りの<アル>なんだから。」



「何だよ、連荘で来るなんて。」
憎まれ口にも力なく、エドはロイを向かえた。
「ドクターマルコーから連絡があった。」
「ドクターマルコ〜?」
「結晶の錬金術しだ、今は身を隠しているが。私の知っている中で色々な分野の知識を広く知っているのが彼だったので、タッカーの報告書を調べてもらったのだ。」
「へ〜ぇ、それで?」
「腑抜けている場合か!ここを見ろ。」
ロイが指差した手紙の行には、
この資料を科学的に解析した結果、ごく稀な条件の下で確かに過去や未来への門を開き、その時間に門の中にあるモノを取り出せるが、しかし取り出されたモノは非常に不安定で条件が揃えば再び門の中へと吸い込まれるか、耐え切れず分解するだろう。幸い今回は取り出した条件がはっきりしていたので、磁場スケジュールから戻す条件を割り出す事ができた

、と記されていた。
「なん、、、なんだって?」
手紙を指差し、焦点の合わない目でエドはへらっと笑った。ロイの張り手が飛ぶ。力ないエドは踏ん張りきれず倒れた。その音を聞きつけ、奥からアルとアルフォンスが駆けてきた。その後ろから、ウィンリィが様子を伺っている。
「大佐?あの、なにか?」
エドを抱え起こしながら、アルはロイを見上げた。
「何でもねぇよ、あっち、行ってろ!
アルを押し退けて立ち上がったエドは、ロイを睨んだ。
「彼らは知る権利がある。」
うっせーっ、そんなの、出鱈目だ!」
「錬金術師のお前が、この理路整然とした結果を否定するのか。」
手紙には何枚にもわたってびっちりと計算式が書き込まれている。
「取り出したままにする事は出来んが、戻す事はできる。」
「僕、また消えるの?」
アルフォンスの問いで、状況が読めなかったロックベル家の空気が緊迫する。走る緊張の中、驚くほどの速さでエドはアルフォンスの前に屈んだ。
「そんな事はさせない。アルフォンス。」
「分解を選ぶのか?」
「そんなの、机上の論理だ。」
「戻さなければ間違いなく死ぬんだぞ。いいか、戻せば向こうのお前が鎧に定着させる。少なくとも、お前と一緒に生きていける。だが、この世界で分解させれば‥」
黙れ、黙れ、黙れっ
「兄さん‥」
「落ち着きな、エド。」
ピナコの一喝に、エドは力なく膝をついた。
「‥それは、いつなんだ?最終期限は‥」
「マルコーの計算でいくと、今日を含めてあと4日。」
「あの‥」
アルはエドを庇うように、前に出た。
「この結論から察するに、アルフォンスはどこか‥平行世界から連れて来られたんじゃなくて、僕の過去から連れて来られた全く同じ存在なわけですよね。逆に考えれば同じ時間に、現在と過去が共存するから不安定‥つまり、不安定なのは同一人物がいるからじゃないでしょうか?だったら、僕が戻れば‥」
ふざけンなっ!
エドがドンと床を叩いた。
「ふざけてないよ、兄さん。」
珍しく、アルは退かなかった。
「同じ時間に帰るんでしょう。帰れば、アルフォンスは鎧に‥、ここに居れば、この姿のままだ。僕ならもう鎧だし、なんの問題も無い。」
兄が傷付くだろう言葉を、アルはそれでも使った。
『せっかく人間の弟が戻ってきたんだ。それに、この子は間違いなくアルフォンスだ。この子こそが、兄さんを罪の意識から解放してくれる。だから‥』
「問題、大有りでしょ。」
鎧を蹴ったのはアルフォンスで、皆が驚いた事にアルフォンスは見るからに怒っていた。
「兄さんに必要なのは誰?」
「それは‥」
「あー、もうっ。」
アルの言葉を遮ると、アルフォンスはエドに向き直った。
「兄さんの一番の望みは何?」
アルフォンスに見つめられ、エドは口元を引き締めた。
「アルを元に戻す事だ!」
「ね。」
得意げにアルフォンスは、アルを見上げる。
「この4年、兄さんを支えてきたのは、兄さんの横にいたのは確かに君でしょ!僕じゃない。僕じゃ代わりはできないんだよ。」
「ア‥ォンス‥」
自信満々のアルフォンスに、アルは言葉を繋げれない。ウィンリィは口元を押さえて奥に引っ込んだ。
「兄さんだけじゃない。ウィンリィだってマスタング大佐だって、知ってるのは僕じゃない。僕は懐かしい存在なだけなんだ。それにさ、4年前にお互いを取り戻すって、僕は兄さんと誓ったんでしょ!?」
忘れちゃった?
「忘れるわけがない!」
「だったらさ、頑張りなよ未来の僕。僕も、頑張るからさ。」
「生意気言ってら‥」
エドまで涙を零しながら、呟いた。
「ありがと。僕は昔から兄さんのおかげで生意気だったよ。」
エドはくしゃっとアルフォンスを撫でると、立ち上がった。
「戻す条件は?」
「キツイぞ。全力で集めても最低3日はかかる。」
「2日だ。」
「え?」
「そんで残りは思いっきり遊ぶ!」
「やった〜。」
そんな無茶な、という声はアルフォンスの喜声に消された。




     父さんの記憶はあまり無い。目の前に逢ったのは兄さんの背で
     僕はずっと、兄さんみたいになりたかった。
     「でも、今はね。僕でもいいかなって‥」




                       賢者の目
                         
                       4年後も 
         自慢の兄さんの横に立っていられる事





言葉通り、エドは条件を2日で揃えた。
マルコーの計算に一番近い宇宙線状態の時間に合わせ、迷惑をかけない・邪魔も入りにくい場所へ移動し、そこの気象を調べ、時間までに立地条件と気象条件を錬成する。限られた場所の僅かな時間なら可能な錬成。目の下の隈がこの2日の強行軍を物語っている。
「‥今晩?」
「ああ‥」
「ロイは?」
ロイから名前で呼ぶように泣き落とされたアルフォンスは、エドやアルと違ってあまり抵抗なく、ロイを名前で呼ぶ。
「前後2時間、ここら周辺を封鎖してくれてる。職権乱用だな、真似するなよ。」
「真似はしないけど褒めちゃうよね。」
素直な子供に、エドもアルも笑った。
「まだ、悩んでるの?」
アルフォンスはアルを覗き込んだ。
「‥ぁ」
「大丈夫なのにね、兄さん。」
アルが答えるより先に、アルフォンスはエドを呼ぶ。
「ああ。」
「ねぇ、中に入っても良い?」
アルは頷くと、アルフォンスを鎧の中に入れた。
「帰った僕は君のように鎧になって」
「アルフォンス‥っ」
「そうしたら、いっぱい守ってあげるね、兄さん。」
「バカッ、お前は‥」
「止めたって無駄だよ〜、僕のが強いもん。」
中から鎧の手を持ちあげようとするのを感じて、アルはその動きに合わせてやる。
ガッツポーズの鎧に、エドはひっくり返って大笑いした。

山の窪みに描かれた錬成陣。
残された1日を、子供の頃のように瞬く間に費やした後、夜更けに兄弟は、弟を送った。
補正の為に描かれた、空気密度や磁場や造型の錬成陣を足で消した。
最後に。
今は輝きの消えた錬成陣を、ふたりは無言で消していく。

やがて、朝一番の光が山の頂を照らし出すと、窪みの闇は濃くなった。

「なぁ、アル‥俺、お前と話したい事があるんだ」
「うん‥僕も、兄さんと話がしたい。」

ふたりはゆっくりと窪みから歩き出す。
昇る陽は直ぐに、ふたりを鮮やかに照らし出した。

錬金術はサイコロを振らない

門の目

今も昔もきっと未来でも、変わらない。兄さん、大好き

一の目

六の目

思い入れならず思い込みの話でした(笑)。アニメとも原作ともドラマともかけ離れていますが、お互いを大事に思ってる兄と弟の、それ故に埋まらない距離。背中合わせの会話。見せない涙、抱える恐怖。それでもお互いしかないのだと、そんなところが原点だったり(あぁ、無能;涙)。放浪の錬金術師には裏設定もあったり(一の目・六の目参照;笑)2006/06/05