飯田街道(中馬街道)<瀬戸〜柿野>
〜〜瀬戸市・土岐市〜〜

飯田街道というと、名古屋〜足助〜信州を結ぶ153号線を思い浮かべる人が多いだろう。しかし、同じ名古屋と信州を結ぶ街道でも瀬戸、明智を経由する街道もそのように呼ばれることがある。
かつて名古屋方面から塩・海産物・雑貨が、松本方面からは農産物・林産物が運ばれたが、そのルートはいくつかあった。これらの街道は、現代でいう輸送業である「中馬」の人々によって利用されていたことにより「中馬街道」と呼ばれるようになった。
足助を通って岡崎・名古屋へ出る道が一般にいわれる中馬街道の本道であり、これに対して明智から瀬戸・名古屋へたどる道は脇街道といえよう。この瀬戸を通過する脇街道は陶器の輸送ルートとして大いに発展した。
今回は、瀬戸から明智までの中馬街道を歩くことにした。上品野を抜けるともう山の中だ。かつては山の尾根などの比較的開発しやすい場所に街道がつくられていたので、現在の国道363号とは必ずしも一致していないが、ちまき亭さんのサイト「名古屋近郊の旧街道のルート」を参考にしながら歩いた。
なお、地図に掲載した移動軌跡は数回に分けて歩いた分をまとめて表示したものである。
また、紫線は街道からはずれた寄り道、回り道などを参考までに掲載したものである。


コース:駐車場→1.2km→@の地点(三界万霊塔)→3.0km(全宝寺、いぼ神立ち寄り)→Aの
     地点(五丁目の観音堂)→2.7km(神明社立ち寄り)→Bの地点(桑下城址)→0.7km→
     Cの地点(菩提寺)→2.0km→Dの地点(品野城址)→2.9km(祥雲寺立ち寄り)→Eの
     地点(東海自然歩道登り口)→1.5km(八幡社立ち寄り)→Fの地点(石仏・道標)→
     0.1km→Gの地点(常夜灯3基)→1.1km→Hの地点(見晴峠標識)→0.7km→Iの地
     点(中馬街道案内板)→0.6km→Jの地点(白鳥神社)→1.1km→Kの地点(石仏群)→
     0.7km→K-1の地点→0.7km→Lの地点(南宮神社)→2.0km→Mの地点(御嶽神社)
     →0.9km→Nの地点(石仏群)→0.8km(秋葉神社立ち寄り)→Oの地点(道標)→0.9km
     →Pの地点(白鳥神社)
日付:平成21年10月18日(日)、10月30日(金)ほか
天候:いずれも晴れ
所要時間:片道約6時間15分(休憩および紫線緑線を含まない。)
歩行距離:片道23.6km(紫線および緑線を含まない)


    コース地図を開く  ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
            (初期値は1/8000)      表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
                                 場合はこちらの「8」参照

                                 なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。


  (移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
 
1.この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
  データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。

2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
  先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
  窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくださ
  い。
  地図の呼び出し方について、詳しくはこちら

6.留意点
 (1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
   ある。
 (2)上記地図の経緯度線は「世界測地系」(GPSではWGS 84)に従い、目安として手書きで表示したものであり、各地
   点の表示は「秒」までに止めた。青線の間隔は10秒(横は約250m、縦は約300m)ごとである。
 (3)高度表示については、約5m〜10mほどの計測誤差がある(ほとんど低めに表示されてい る)。
 (4)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。

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(各地点の説明)

   P 陶祖公園駐車場【北緯35度13分51秒 東経137度06分31秒】。芝生広場東側の駐車場を
     利用。ここは陶祖藤四郎(加藤四郎左衛門景正)の業績をたたえた陶製の六角塔の碑「陶
     祖碑」が建てられたことに端を発し、瀬戸公園と呼ばれている公園である。
   @三界万霊塔【北緯35度14分01秒 東経137度06分57秒】。伍位塚バス停の前にちょっとした
     広場があり、明治23年建立の三界万霊塔(地蔵)、昭和3年の津島神社などが祀られてい
     る。
     なお、この向側の瀬戸自動車学校の場所には昔、紺屋田池という池があった。
   A五丁目の観音堂【北緯35度14分52秒 東経137度07分28秒】。昔、この場所に中馬街道の
     休処として「東屋玉屋」という茶屋があった。
     街道沿いには多くの観音像や石碑があり、明治15年に道路の整備をした時に、それらの
     石仏等を集め、堂を構え合祀し、村人や旅人の安全を祈願した。現在も毎年1月と8月に
     供養祭が行われている。
   B桑下城址【北緯35度15分23秒 東経137度08分26秒】。名古屋学院に通じる道を登っていく
     と、右側に「遺跡発掘調査中」との看板があった。発掘現場近くまで行ってみたが、バイパ
     ス工事も同時に行われているらしく立ち入ることができなかった。
     なお、品野交番の北東500mにある山崎城址は、標高200mほどの山の上だが、城跡を示
     すものはなく、五輪塔と小さな社が祀ってあるのみだった。
   C菩提寺【北緯35度15分38秒 東経137度08分27秒】。菩提寺は1260年前に養海上人によ
     って開基された。本堂には千手観音菩薩を奉り不動明王、毘沙門天、弘法大師、役行者が
     安置されている。
     尾張城東西国三十三観音第二十九番札所で、山門には一対の仁王像あり。昭和4年に立
     派な本堂は焼失し、今の本堂は昭和36年に再建されたものである。
   D品野城址【北緯35度15分13秒 東経137度08分49秒 標高327m】。稲荷神社本殿右側の
     急な薮を少し登ると山道に出る。しかし、踏み跡は極めて薄く、なんとか辿りながら小さな
     谷をまたぐ高速道路の橋の下をくぐり、秋葉山の山頂に着いた。途中には城跡を想像させ
     る人工的な石組らしきものを見かけたが、城跡との関係の有無については不明。頂上は平
     な広場になっており、小さな稲荷社が祀られていた。周囲は樹木に囲まれ見渡すことがで
     きない。
     また、Eの地点へ向かう途中の祥雲寺は天文10年(1541)当時の品野城主桜井内膳正
     源信定の創建による。戦国時代をへて荒廃したが、寛延2年(1749)雲興寺28世大興栢
     春大和尚が中興開山となり諸堂宇を建立した。今はすぐ後ろに高速道路が走り、様相が一
     変してしまったが、この光景を開山者が見たら、さぞ落胆することだろう。
   E東海自然歩道登り口【北緯35度15分37秒 東経137度09分27秒 標高292m】。東海自然歩
     道をこの地点から北へ向かうと、稚児橋へ、南へ向かうと岩屋堂に至る。ちまき亭さんのサ
     イトによると、旧中馬街道は赤い点線のように走っていたようだ。その一部(緑線の部分)を
     歩いてみたが、街道の痕跡は発見できなかった。地形からみると確かに旧道のコースは現
     在の363号線よりも容易なコースだ。
   F石仏・道標【北緯35度15分36秒 東経137度09分58秒】。石仏に「左 善光寺道」と刻まれて
     いるが、「右・・・」は読めない。
   G常夜灯3基【北緯35度15分39秒 東経137度09分58秒】。道路の改良工事で取り残された
     旧道沿いに常夜灯、不動明王、馬頭観音などの石仏が並んでいる。
   H見晴峠標識【北緯35度15分50秒 東経137度10分12秒 標高436m】。古い朽ちた標識が立
     っているが、ここが峠?。道はさらに上っている。この地点は樹木が茂り展望はなく、見晴
     峠とは名ばかりである。
   I中馬街道案内板【北緯35度15分54秒 東経137度10分29秒 標高470m】。焼き物で造った
     「中馬街道」の大きな看板が立っている。車数台の駐車スペースとベンチがあり休憩でき
     る。
     この地点から北西方向に下る紫線で示した林道がある。かろうじて車が通行できるほどの
     幅員はある。ここを帰路として歩いたが、養鱒場→栂洞橋→東海自然歩道→Eの地点で
     所要時間は、ほぼ1時間である。また、高根池方面へも歩いてみた。
     交通情報板のところから、薮の中へ入り、左手の一段高い尾根の部分によじ登ると、かす
     かな山道があった。地図上の緑線のとおり西へ辿ってみたが、踏み跡は薄く、1.2km進ん
     だ地点であきらめて引き返した。
     このように、放置すれば消えてしまう歴史的・文化的遺産の復元・保存について、ぜひ公共
     投資の対象にしてほしいと、今までの旅で何度思ったことだろう。
   J白鳥神社【北緯35度15分52秒 東経137度10分46秒】。神社の前付近の道路は広い駐車
     帯になっており、車でとおりかかった際に、ここで休憩するサイクリングの若者を何度も見
     かけたことがる。
     駐車帯に沿って、道路改修等により行き場を失った多数の石仏(天保6年の馬頭観音な
     ど)や石塔が集められている。
   K石仏群【北緯35度16分02秒 東経137度11分17秒】。大沢公民館の隣に三界万霊無縁塔、
     南無阿弥陀仏碑(文化15年)などが集められている。
     公民館の向側に、立入禁止の草っ原があるが、その奥に東へ向かう山道がある。
   K-1の地点【北緯35度16分06秒 東経137度11分31秒】。山道を下ると、せまい舗装道路の
     カーブ地点で、丁度舗装が途切れている部分に出る。合流地点はほとんど薮で舗装道路
     を注意深く歩いていても、山道が合流しているとは気づかない状態である。
   L南宮神社【北緯35度16分18秒 東経137度11分37秒】。バス停から4分ほど参道をのぼる
     と本殿に到着。
   M御嶽神社【北緯35度16分18秒 東経137度12分23秒 標高535m】。国道沿で神社の登り口
     を示す小さな標石を発見して、6〜7分山道を登ると神社(高根山山頂)に到着。神官衣の
     行者像、神霊碑などが祀られていた。
   N石仏群【北緯35度16分14秒 東経137度12分47秒】。中でも大正14年の大型の馬頭観音
     (台座に柿野運輸組合と表示あり)は目を引いた。
     国道沿いに庚申閣の標柱があったので、立ち寄った。民家の庭を横切るようにして急な坂
     を上り切ると庚申堂と薬師堂があった。失せ物、盗難品の発見などに御利益があるとか。
   O道標【北緯35度16分09秒 東経137度12分55秒】。「右 尾州なごや道 左 三州ころも道」と
     読める。ここにあった常夜灯(嘉永6年)はすぐ西の庚申閣の境内へ移動された。
   P白鳥神社【北緯35度16分16秒 東経137度13分04秒】。手入れがよく行き届いたきれいな
     神社だ。本殿横には古木があったが注連縄(しめなわ)のみで特に説明板はなかった。
     神楽殿は雑然としていたが、祭礼には今も舞が奉納されている?
     隣接の荘厳寺は白鳥神社の境内地の一部を譲り受けて建立されたもの。

  【参考】・・・紫線のポイント説明
   @登り口【北緯35度15分54秒 東経137度10分32秒】。国道363号から林道への入口には何
     の表示もなく、ただ車両通行止めの鎖が張ってあるのみ。
   A北山平【北緯35度16分10秒 東経137度10分42秒 標高551m】。アップダウンのある林道
     を進み、高根池へ下る分かれ道の少し手前の山道を登ると、4等三角点「北山平」の標石
     がある。
   B高根池【北緯35度16分26秒 東経137度10分46秒】。堰堤でせき止められた溜め池であ
     る。周囲は紅葉する樹木は少ないものの、水面に映る景色はなかなかのものである。
     国道363号から池までの所要時間は25分ほど。
   C品野無線中継所跡【北緯35度16分09秒 東経137度10分28秒】。溶断された鉄塔の足だけ
     が残っている。周囲のフェンスは腐ってほとんど倒れている。広場の中央にはタイヤが1本
     放置されていた。自衛隊の訓練用だろうか。
   D多治見市の最高峰【北緯35度16分15秒 東経137度10分38秒】。小牧基地司令部名の「立
     入禁止」の立て札の向側には大きな広場があった。ヘリポートのようだ。その向こうの木立
     の中に赤いテープがみえる。上空から撃たれる?かもしれないと思いながら広場を横切っ
     て近寄ってみると「多治見市最高点 564m」との立て札があった。

  【参考資料:ちまき亭さんのサイト「名古屋近郊の旧街道のルート」、「歩こまアー瀬戸」(瀬戸
          文化財保存会)、「瀬戸なんでも事典」(社団法人瀬戸青年会議所)、「近世の瀬
          戸」(瀬戸市史編纂委員会)、「鶴里町誌第3巻通史編上・下・添付地図」(鶴里町
          誌編纂委員会】

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