岐阜街道<美濃路四ツ家追分〜岐阜城>(稲沢市〜岐阜市)

岐阜街道は名古屋街道、笠松街道、御鮨街道、鮎鮨街道などとも呼ばれ愛知県稲沢市井之口を起点として、一宮市を経て木曽川を渡り岐阜県に入り、笠松町から岐阜市内に至る6里半(26km)の道で、旧国道22号(現在の県道名古屋一宮線・岐阜稲沢線)の元になっている。
第1回目のウォーキングは、バスで岐阜城の麓まで行き、黒田城址を目指して歩き始めた。
途中、木曽川の渡し場前後がもっともよく歴史を感じさせてくれるのではないだろうか。
2回目は、一宮市内を通過して、名神高速道路を過ぎると交通量も少なくなり、小さな地蔵堂以外には往時を偲ぶ史跡は少ないが、戦前の様式を踏襲した風格ある門構えの民家を見ながらのウォーキングを楽しむことができた。
また、このコースは鉄道と平行しているので、いつでも切り上げることができ都合がよい。
なお、紫線は岐阜街道から外れて寄り道したこと示している。
コース地図については、ちまき亭さんの「名古屋近郊の旧街道のルート」を参照させていただきました。


コース:@の地点(益屋町付近)→55分→Aの地点(岐阜街道と中山道の分岐点)→13分→Bの
     地点(ぶたれ坊)→21分→Cの地点(馬頭観音)→50分→Dの地点(笠松渡船場跡)→
     17分→Eの地点(木戸跡)→6分→Fの地点(木曽川港駅跡)→7分→Gの地点(木曽川
     橋駅跡)→20分→Hの地点(雀のお宿の碑)→45分→Iの地点(見染塚)→5分→Jの
     地点(黒田城址)→1時間25分→Kの地点(真清田神社)→26分→Lの地点(地蔵寺)
     →5分→Mの地点(一宮一里塚)→25分→Nの地点(妙興寺への寺標)→16分→Oの
     地点(妙興寺)→15分→Nの地点(妙興寺への寺標)→32分→Pの地点(赤池一里塚)
     →35分→Qの地点(圓光寺参道入口)→18分→Rの地点(仏音寺)→35分→Sの地点
     (四ツ家追分)


日付:平成19年3月13日(火)、16日(金)
天候:晴れ
歩行時間:8時間51分(休憩を含まないが、紫線の部分の歩行時間は含む)
歩行距離:27.2km(紫線を含まない)


    コース地図を開く  ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
            (初期値は1/10000)      表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
                                 場合はこちらの「8」参照

                                 なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。


  (移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
 
1.、この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
  データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。

2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
  先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
  窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくださ
  い。
  地図の呼び出し方について、詳しくはこちら

6.留意点
 (1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
   ある。
 (2)上記地図の経緯度線は「世界測地系」(GPSではWGS 84)に従い、目安として手書きで表示したものであり、各地
   点の表示は「秒」までに止めた。青線の間隔は10秒(横は約250m、縦は約300m)ごとである。
 (3)高度表示については、約5m〜10mほどの計測誤差がある(ほとんど低めに表示されてい る)。
 (4)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。

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(各地点の説明)

   @の地点【北緯35度25分59秒 東経136度46分15秒】。本町1丁目でバスを降りて、御鮨所の
     あった益屋町付近でその表示を探したが発見できなかった。
   A岐阜街道と中山道の分岐点【北緯35度24分21秒 東経136度45分46秒】。道路は狭く、踏
     切が近いのでごちゃごちゃした感じのする場所である。分岐点の道標あり。
     加納宿については、改めて中山道を歩いた時に詳細に探索する予定である。
   Bぶたれ坊【北緯35度24分08秒 東経136度46分06秒】。旧妙寿寺の前に、道標とともに江戸
     時代の関取「鏡岩」の碑があり、由緒についての説明板がある。
   C馬頭観音【北緯35度23分26秒 東経136度46分02秒】。同じ敷地内に濃尾地震の慰霊碑あ
     り。この付近から北側には、かつての豪商(もちろん現在も)を思わせる家が並んでいる。
   D笠松渡船場跡【北緯35度21分53秒 東経136度45分44秒】。港公園として整備が進んでい
     て渡し場の石畳、道標、川灯台、句碑などがある。また、川中の旧木曽川橋(明治43年に
     架橋)の橋桁の基礎を取り除く工事も始まっていた。
   E木戸跡【北緯35度21分36秒 東経136度45分59秒】。下本町と港町の四ツ辻は木戸と呼ば
     れていた。
   F木曽川港駅跡【北緯35度21分49秒 東経136度46分04秒】。皇太子殿下御野立所碑が建っ
     ている場所とほぼ一致する。駅は昭和19年3月廃止。
   G木曽川橋駅跡【北緯35度21分34秒 東経136度46分04秒】。説明板は北方西保育園の南
     西の角にある。この付近は、鉄道愛好家には当時の痕跡をいくつか提供してくれそうだ。
   H雀のお宿の碑【北緯35度21分18秒 東経136度45分50秒】。碑の文面から察するも、句碑
     と雀のお宿との関連性不明。句碑には「雪の日は松わたる風床に聞く」(曽陽)とある。
   I見染塚【北緯35度20分52分 東経136度46分51秒】。木曽川駅西側の線路沿いの児童公
     園に碑が建っている。
     正岡子規が明治24年(当時23歳)に、木曽川停車場の駅前の茶屋で出会った少女の思
     い出を「旅」(明治32年7月発表)で発表しているが、そこに書かれている秘話にちなんで
     建てられたもの。
   J黒田城址【北緯35度20分43秒 東経136度46分53秒】。黒田小学校の北東角。
     山内一豊はこの黒田城で生まれたとの説明があったが、以前にも江南市の神明生田神社
     で同じような碑を見かけた。
     第1回目はここで切り上げ、JR木曽川駅より帰宅。第2回目は同じくこの駅より出発。
   K真清田神社【北緯35度18分25秒 東経136度48分06秒】。一宮市は真清田神社の門前町
     として発達した街で、神社の付近には仲見世が並んでいて興味深かった。
   L地蔵寺【北緯35度17分50秒 東経136度48分08秒】。境内はひっそりと静まりかえり多数の
     地蔵がお祀してあり、不思議な空間が広がっていた。
   M一宮一里塚【北緯35度17分44秒 東経136度48分11秒】。青年の家の駐車場南西の角に
     一里塚と常夜灯があった。一里塚を眺めて振り返ると建物の間に挟まれ小さい石柱に「真
     清田神社一の鳥居跡」と記されている。
   N妙興寺への寺標【北緯35度16分55秒 東経136度48分35秒】。T字交差点に寺標「諸山列
     刹禅林 六丁」と「妙興報恩禅寺」の2基立っている。
   O妙興寺【北緯35度16分58秒 東経136度48分03秒】(正面入口の座標)。境内の広さと総
     門、勅使門、山門と並ぶ規模の大きさと古さに圧倒される。仏殿の前に伊藤萬蔵寄進によ
     る香炉?があった。
   P赤池一里塚【北緯35度16分07秒 東経136度49分20秒】。同所には「御巡幸之跡」碑もあ
     る。
   Q圓光寺参道入口【北緯35度15分11秒 東経136度49分49秒】。この地点には、常夜灯が崩
     れたまま放置されていた。ここにも伊藤萬蔵の名前が刻まれている。圓光寺には江戸期の
     仁王門と、室町期の仁王像が戦国時代の戦火を免れ残っている。門を出る時、愛想のよい
     お寺の奥さんと言葉を交わす。
   R仏音寺【北緯35度14分44秒 東経136度50分06秒】。永正11年(1514年)創立。
   S四ツ家追分【北緯35度14分07秒 東経136度49分48秒】。美濃路との分岐点。道標あり。
     帰りは稲沢駅から列車で帰宅した。

  

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