堀川・七里の渡し(名古屋市熱田区〜北区)

堀川は名古屋城築城の際、資材運搬のために開削された。同時にお城の壕の水を補ったり、塩分のない飲み水の確保のためにも利用された川で、庄内川に取水口があり、名古屋港に流れ込んでいる。
今回は、熱田神宮西付近から上流へ向かってその一部を歩き、帰りは小牧線の上飯田駅から神宮西まで地下鉄を利用した。
まず、白鳥公園と一体化している国際会議場の周辺はとてもきれいに整備されているのに驚いた。公園横の堀川沿いには短いが遊歩道が設けられている。ただ、堀川の水はきれいとは言えないが、かつてのような悪臭はかなり改善されている。
上流に進むにつれて、川幅が狭くなる。都心部の柳橋の前後にも遊歩道が設置されていて、都心部の化粧が進んでいることが伺える。
さらに、歴史の道「四間道」を通り、名古屋城の西側から志賀橋まで来たとき、汚れがひどいのはこの付近からだと気付いた。「名古屋川ものがたり」によると、ここで茶屋ヶ坂から下水幹線となって、ずっと地下をくぐってきた旧大幸川が合流しているとあった。汚れはそのためかとも思ったが、旧大幸川に下水が垂れ流されている訳でもないので単純に、これより上流があまりにきれいに整備されてしまったために大きな落差が感じられるのだろう。
猿投橋から上流は、いままでの汚れた堀川は一変して清流となり、夫婦橋までの「御用水跡街園」と名付けられた総延長1500mの遊歩道は市内では、もっとも情緒のある遊歩道ではないだろうか。桜の季節は言うまでもないが、特に枯れ葉散る晩秋の趣は最高である。
なお、別の機会に歩いた三階橋から庄内川の取水口<(1)の地点>まで、及び熱田記念橋<(11)の地点>から熱田神宮<(13)の地点>までは紫線で表示し、追記した。

コース:P駐車場→4分→@の地点(断夫山古墳)→9分→Aの地点(旗屋橋)→19分→Bの
     地点(尾頭橋)→18分→Cの地点(松重閘門)→6分→Dの地点(日置橋)→20分→
     Eの地点(納屋橋)→3分→Fの地点(錦橋)→9分→Gの地点(中橋)→5分→Hの
     地点→13分→Iの地点(朝日橋)→12分→Jの地点→11分→Kの地点(城北橋)
     →15分→Lの地点(北清水橋)→8分→Mの地点(猿投橋)→25分→Nの地点(夫
     婦橋)→3分→Oの地点(矢田川堤防)→3分→Nの地点→3分→Pの地点(上飯田)
     →35分(地下鉄)→Qの地点(神宮西)→6分→P駐車場

   (追記分についての主要地点間所要時間)
    ◆Oの地点(矢田川堤防)→16分(900m)→(1)の地点(水分橋取水口)

    ◆(11)の地点→13分→(12)の地点→16分→(14)の地点→11分→(15)の地点→15分→
      (18)の地点(合計3km)

日付:平成18年12月25日(月)
天候:晴れ
所要時間:全行程4時間40分(休憩、地下鉄乗車時間を含む。紫線の追記を含まない。)
歩行距離:14.7km(地下鉄乗車区間および紫線の追記分を除く)


    コース地図を開く  ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
            (初期値は1/10000)      表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
                                 場合はこちらの「8」参照

                                 なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。


  (移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
 
1.、この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
  データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。

2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
  先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
  窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくださ
  い。
  地図の呼び出し方について、詳しくはこちら

6.留意点
 (1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
   ある。
 (2)上記地図の経緯度線は「世界測地系」(GPSではWGS 84)に従い、目安として手書きで表示したものであり、各地
   点の表示は「秒」までに止めた。青線の間隔は10秒(横は約250m、縦は約300m)ごとである。
 (3)高度表示については、約5m〜10mほどの計測誤差がある(ほとんど低めに表示されてい る)。
 (4)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。

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(各地点の説明)

   P 駐車場【北緯35度07分52秒 東経136度54分14秒】。県営熱田神宮公園駐車場を利
     用(無料)。約50台ほどの駐車スペースあり。
   @断夫山古墳【北緯35度07分50秒 東経136度54分05秒】。東海地方最大の古墳で、6
     世紀初め頃のものと言われている。
   A旗屋橋【北緯35度08分02秒 東経136度53分56秒】。熱田記念橋〜ここまでは川沿い
     にきれいな遊歩道が整備されている。さらに、遊歩道は右岸では、大瀬子橋まで整備
     されている。左岸は所々で中断している。
   B尾頭橋【北緯35度08分33秒 東経136度53分44秒】。この付近から南には、多くの製
     材工場があり、堀川は貯木場として利用されている。
   C松重閘門【北緯35度09分15秒 東経136度53分33秒】。昭和5年に造られたが、物流
     が船から自動車輸送へ移行したことに伴って、昭和51年にその役目を終えて廃止され
     たが、エキゾチックな4基の塔は往年の雄姿を留めて保存されている。
   D日置橋【北緯35度09分25秒 東経136度53分37秒】。欄干親柱の記載によると、明治
     14年に初めてここに橋が架けられたようだ。
   E納屋橋【北緯35度10分04秒 東経136度53分31秒】。時々バスや車でこの橋を渡るこ
     とがあるが、歩いて来るとまったく別の場所に思われた。橋の北東角にある、昭和6年
     建築の「加藤商會」のビル(現在はギャラリーになっている)がそうさせたのかもしれな
     い。行き交う人々、車の動きまでも含めて、まるで額縁を見ているようで、時空を越えて
     きた旅人になりきってしまった。
     この橋とその北側の錦橋までの間には、川沿いに遊歩道が設置されていた。
     これが、次第に南へ伸びて、川の水がきれいになったら「小セーヌ」と名付けてもよさそ
     うな雰囲気だ。
   F錦橋【北緯35度10分10秒 東経136度53分32秒】。ここから納屋橋までのわずかな距
     離だが川沿いに歩くことができる。
     この橋の上流の五条橋は清洲越の際、五条川から移設されたと言われている。
   G中橋【北緯35度10分25秒 東経136度53分33秒】。一本西側の道路が歴史の道「四間
     道」である。元禄13年(1700年)の大火の後、火災の延焼を防ぐために4間幅の道が
     造られたとか。川沿いの各商家の裏庭に造られた白壁の土蔵も防火の役割を担ってい
     るのだろうか。
     屋根神と子守地蔵はさらに1本西側の狭い路地に祀られている。
     屋根から下ろされ、行き場のない祠は五条橋の西詰めで付近の住民によりかろうじて
     管理されているものの、中橋のたもとに保存されている祠は放置状態である。
     浅間神社鳥居脇にこの地区の案内図がある。
   Hの地点【北緯35度10分34秒 東経136度53分33秒】。四間道はこれより南。この地点の
     東西の通りは円頓寺商店街である。
   I朝日橋【北緯35度10分58秒 東経136度53分43秒】。橋の東詰(南側)には「堀川堀留
     の跡の碑」、キャッスルホテルの南には「辰之口水道大樋」の説明板がある。
     上述の「名古屋川ものがたり」によれば、この付近が旧大幸川の終点である。
     また、この朝日橋、Eの納屋橋などから宮の渡し、名古屋港まで東山ガーデンが運営す
     るクルーズ船や帆船が就航している。
   Jの地点【北緯35度11分21秒 東経136度53分54秒】。堀端橋を渡って名城公園で一休
     み。
   K城北橋【北緯35度11分33秒 東経136度54分12秒】。橋の西側左岸には名城下水処理場
     に併設されて下水道科学館がある。この北側の堀川では浮遊ごみを取り除き、消泡装置
     も作動しているが、水は一向にきれいになっていない。
   L北清水橋【北緯35度11分44秒 東経136度54分44秒】。この付近は大蛇のような都市高速
     道路が空中にうねっており、異様な光景だ。川に沿って歩いてきた私はどう進めばよいの
     か、しばし考えてしまった。
     この橋の東側には、かつて船着場があり、そこには親水広場が設けられていて、そこから
     志賀橋まで、堤防下の岸辺を歩くことができるよう整備されている。
     高速道路の下のつる草に埋もれて、堀川の上流を「黒川」呼ぶに至った理由を明記した碑
     があった。
     それによると、黒川は、庄内川に架かる水分橋付近から取水し、三階橋付近で伏越樋に
     よって矢田川の下をくぐり抜けている。これを設計した愛知県職員の黒川技師の功労をた
     たえて「黒川」と命名されたとのこと。
   M猿投橋【北緯35度11分50秒 東経136度55分01秒】。ここで、堀川には段差があり、小さな
     滝ができている。
     この橋から上流は川幅は狭くなるが、水もきれいで遊歩道が整備されていて気持ちがよ
     い。
     この地点から、急に水が汚くなっていることは既に述べた通りである。
     平成19年年3月28日の新聞によると、木曽川犬山取水口→鍋屋上野浄水場→旧大幸
     川(雨水管)→堀川へ1日に3.4万トンを導水が始り、3年間実験的に続けられるそうだ。
     木曽川からの導水は1941年以来66年ぶり。
   N夫婦橋【北緯35度12分24秒 東経136度55分46秒】。木の桶を三段に積んだモニュメント
     があり、下流の猿投橋まで「御用水跡街園」として整備されているとの説明板あり。
   O矢田川堤防上の地点【北緯35度12分30秒 東経136度55分50秒】。堤防下のポンプ場は
     堀川と庄内用水の管理をしているようだ。
   P地下鉄上飯田駅【北緯35度12分15秒 東経136度55分47秒】。ここから、地下鉄平安通
     経由で神宮西駅へ向かった(260円)。
   Q地下鉄神宮西駅【北緯35度07分41秒 東経136度54分23秒】。

 (追加記載分)
   (1)の地点【北緯35度12分52秒 東経136度56分02秒】。堀川の取水口。ここには「庄内用水
     元杁」(明治43年5月改築)の銘板が埋め込まれていた。かつてはこのトンネルを舟が行
     き来したとか。
    (11)熱田記念橋【北緯35度07分49秒 東経136度54分01秒】。左岸の「白鳥御陵」は、右岸を
     歩いたため、立ち寄らず。
   (12)白鳥橋【北緯35度07分27秒 東経136度54分05秒】。東詰は大きな交差点で、渡るのに
     時間がかかる。
   (13)の地点【北緯35度07分09秒 東経136度54分18秒】。市の有形文化財に指定されている
     古民家「熱田荘」と「丹羽家」あり。
   (14)七里の渡し公園【北緯35度07分08秒 東経136度54分19秒】。七里の渡し跡で、常夜灯、
     時の鐘、トイレなどがある。
   (15)の地点【北緯35度07分16秒 東経136度54分29秒】。東海道と美濃路との分岐点で、東海
     道は、(14)の地点→(15)の地点→(18)の地点へと続き、美濃路(佐屋路)はここから、熱田神宮
     方面へ北上している。
      この地点に、ほうろく地蔵(交通管制センターの塀沿い)と道標(T字交差点南角)がある。
      また、道標の解説板にある「戦災で破損し、復元された道標」の位置は(18)の地点方向へ10
     mほど進んだ左側の民家の庭にある。
   (16)家康幼児幽居地【北緯35度07分08秒 東経136度54分38秒】。民家の塀沿いに「・・・加藤
     図書助順盛に預けられ・・・」との解説があるが、この家の玄関に「加藤」の表札があるの
     で、関係者の子孫か?いずれにして、昔の建物は空襲で焼失してしまったようだ。
     「図書・・」で思い出したが、以前この付近に「図書(ずしょ)町」という町名があったが、昭和
     56年9月20日に伝馬二・三丁目になってしまい、歴史が徐々にかき消されていく思いがす
     る。
   (17)裁断橋、姥堂、都々逸発祥の地碑【北緯35度07分09秒 東経136度54分42秒】。裁断橋は
     以前、五条川に沿いに歩いた時見かけたはずだがと、その関係を調べてみた。
     1590年に、堀尾金助の母は息子の出陣(小田原の役)を見送り、またその無事を熱田神
     宮にお祈りするために、現在の大口町からこの裁断橋まで彼に同行した。しかし、息子は
     小田原の陣中にて病死した。
     そこで、母親は息子の供養のため、人々のために役立ちたいと考えていたところ、思い出
     の裁断橋が古くなっていると聞き、私財をなげ出して橋をかけ直した。
      ちなみに、彼の出身地である大口町の五条川沿いの堀尾跡公園にも、裁断橋は復元され
     て いる。
     姥堂の建立目的については解説がなかったが、熱田神宮を閻魔王宮にみたてて精進川
     が冥土に渡る三途の川とされ、橋のたもとに死者の衣服を奪い取る奪衣婆(だつえば)を
     お祀りするためのお堂である(「愛知県の歴史散歩」<愛知県高等学校郷土歴史研究会
     編>)と、言われると妙に納得してしまった。
     また、この地点から80mほど(15)の地点寄りにある鈴之御前社には熱田神宮の鳥居の1つ
     「築出鳥居」の一部が熱田神宮の神紋「桐竹の紋」とともに祀られている。
   (18)神明社【北緯35度07分04秒 東経136度54分48秒】。1号線の整備に伴いここに移設され
     た。この神社のかつての名称を示す「天道社」の碑が境内にある。
     また、境内に「左江戸道」「右知多郡新道」と2本の石の道標があるが、これもかつてこの
     付近の街道に立っていたものだろう。
   (19)熱田神宮本殿【北緯35度07分35秒 東経136度54分31秒】

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