美濃路<熱田神宮〜清洲公園>(名古屋市熱田区〜清須市)

美濃路(美濃街道)は東海道宮宿から中山道垂井宿までの途中に7宿を結ぶ脇街道で、全長はほぼ58kmである。東海道の海 路・七里の渡しを迂回する安全な陸路として多くの旅人に利用された。関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が凱旋した道で、御吉例(おきちれい)街道ともいわれた。
このウォーキングの出発地点は地下鉄伝馬駅で、熱田神宮から清洲城跡までを2回に分けて歩いた結果を1つの地図にまとめた。
このコースは、常に近くに鉄道があるので、どこからでも歩きはじめることができるし、またどこでも切り上げることができるので好都合である。
旧街道の古い街並みをきょろきょろしながら歩くと、たくさんの小さい発見があり、まったく楽しいものである。しかし、道路が狭く「四間道」付近から清洲公園まで歩道のない道が続いている。交通量はそれほど多くはないが、事故には充分気をつける必要がある。
                                                 (このコースについては「美濃路の旅」のサイトを参考にさせていただきました。)


コース:@の地点(地下鉄伝馬町駅)→5分→Aの地点(東海道と美濃路との分岐点)→1時
     間5分→Bの地点(東本願寺別院)→20分→Cの地点(西本願寺別院)→10分→D
     の地点(大須観音)→12分→Eの地点(若宮神社)→23分→Fの地点(伝馬会所札
     の辻)→18分→Gの地点(四間道南端)→15分→Hの地点(延命地蔵)→16分→I
     の地点(樽屋町の大木戸跡)→5分→Jの地点(榎公園)→17分→Kの地点(惣兵衛
     橋)→15分→Lの地点(旧枇杷島橋跡)→10分→Mの地点(道標)→7分→Nの地点
     (問屋記念館)→38分→Oの地点(須ヶ口一里塚跡)→33分→Pの地点(清洲公園)
     →7分→Qの地点(清洲古城跡公園)→4分→Rの地点(清洲城天守閣)→20分→S
     の地点(名鉄新清洲駅)

日付:平成19年1月15日(月)、23日(火)
天候:晴れ
所要時間:5時間40分(休憩を含まない。)
歩行距離:22.1km


    コース地図を開く  ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
            (初期値は1/10000)      表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
                                 場合はこちらの「8」参照

                                 なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。


  (移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
 
1.、この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
  データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。

2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
  先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
  窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくださ
  い。
  地図の呼び出し方について、詳しくはこちら

6.留意点
 (1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
   ある。
 (2)上記地図の経緯度線は「世界測地系」(GPSではWGS 84)に従い、目安として手書きで表示したものであり、各地
   点の表示は「秒」までに止めた。青線の間隔は10秒(横は約250m、縦は約300m)ごとである。
 (3)高度表示については、約5m〜10mほどの計測誤差がある(ほとんど低めに表示されてい る)。
 (4)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。

******************************************************************************

(各地点の説明)

   @地下鉄伝馬町駅【北緯35度07分14秒 東経136度54分37秒】。
   A東海道と美濃路との分岐点【北緯35度07分16秒 東経136度54分29秒】。美濃路はここで
     北上、東海道は七里の渡し方面へ南下することになる。
     この付近の記事は「堀川、七里の渡し」参照。
   B東本願寺別院【北緯35度09分06秒 東経136度54分07秒】。境内には「古渡城跡」の碑あ
     り。橘公園から栄国寺付近一帯はかって千本松原と言われていた。織田信長が桶狭間の
     合戦に際し、栄国寺の西方にある日置神社に必勝を祈願し、戦勝の御礼に神社に千本の
     松を寄進したことに由来する。現在も「松原」の地名は残っている。
   C西本願寺別院【北緯35度09分25秒 東経136度54分00秒】。戦災で焼け残った歴史を感じ
     させる鐘楼および山門と、近代的な本堂が対照的だ。
   D大須観【北緯35度09分34秒 東経136度53分58秒】。境内西側に「大正琴発祥の地」の碑
     あり。
   E若宮神社【北緯35度09分47秒 東経136度54分13秒】
   F伝馬会所札の辻【北緯35度10分21秒 東経136度54分07秒】。かつては、ここが名古屋の
     中心で、「東西南北の岐なれば、京大阪より吾妻へ下る官人も伊勢路より信濃のかたへ通
     る旅客も、公私を論せず」みなこの場所を通過した。名古屋からの距離はここを基点として
     測定された。また、交差点の東南角には高札場が設けれていた。
   G四間道の南端【北緯35度10分26秒 東経136度53分32秒】。四間道については「堀川、七
    里の渡し」の記載を参照。この場所を特徴付けている「屋根神様」については、榎公園より
     旧西枇杷島町にかけていくつも見かけた。
   H延命地蔵【北緯35度10分52秒 東経136度53分33秒】
   I樽屋町の大木戸跡【北緯35度11分08秒 東経136度53分21秒】。名古屋城下には3カ所の
     大木戸があり、ここは西の守りを担っていたが、明治五年に撤去された。
     この付近から庄内川まで真っ直ぐな道が続いている。かなり狭い道だが、自転車での買い
     物が似合う昭和30年代の商店街を彷彿とさせてくれる。
   J榎公園【北緯35度11分11秒 東経136度53分06秒】。この公園の南東の角に屋根神様と思
     われる社が祀られていた。屋根から下ろしたものの、行き場がなかったのかもしれない。
     この地点からKの地点方向へ150mほど行くと北側に「白山神社」があり、その入口には、
     「名古屋十名所」の石柱が立っている。
     かつて神社の西側を流れていた笈瀬川に架かっていた権現橋の親柱が、神社正面の玉垣
     の一部に組み込まれ場違いな感じで、参拝者を迎えてくれる。
   K惣兵衛橋【北緯35度11分23秒 東経136度52分34秒】。この川に沿って以前歩いたことがあ
     る。
   L旧枇杷島橋跡【北緯35度11分31秒 東経136度52分11秒】。枇杷島橋は昭和31年に架け
     替えられた。
     はじめて橋が架けられたのは1608年と1622年の2つの説がある。庄内川の中洲(中島)を
     利用して大小2つの橋が建設されていたとの説明板があった。
   M美濃路道標【北緯35度11分35秒 東経136度52分00秒】。四面には次のように刻まれてい
     る(大意のみ)。なんとも遊び心を感じさせる楽しい道標である。
      東 にしはつしまてん王 きよす宿みち
      西 ひがしはとうかいどう なごや道
      南 文政十年(1827年)丁亥七月吉日
      北 いわくら道
     ここから、道路はさらに狭くなり、古い格子戸の家が道路の両側でしばしば見受けられ、か
     つての街道を歩いていることを実感させてくれる。
     また、街道筋には神社やお寺が多い。
   N問屋記念館【北緯35度11分34秒 東経136度51分43秒】。明治の初め頃建てられた、江戸
     期の様子をよく伝えている典型的な問屋構造の町家で、平成4年に橋詰町からこの場所へ
     移築された。清楚な中庭と裏庭がとても落ち着いた雰囲気を醸し出している。
     月曜日は休館。
      N2瑞正寺【北緯35度11分38秒 東経136度51分09秒】。門前に「この付近に刑場があった」
     との説明板が立っていた。地元の人の話では、お寺の東側の道を北へ進み、名鉄線路をく
     ぐり、右(東)に少し行くと「尾張藩刑場跡」の碑があると聞いたが、確認していない。確かに
     東へ100mほど行くと線路沿いに墓地があるが、この位置か。
     この刑場は以前、名古屋の東別院の北側付近にあったものを移したもの。東別院北側の
     刑場跡には現在、栄国寺が建っている。
   O須ヶ口一里塚跡【北緯35度12分00秒 東経136度50分30秒】。一里塚橋(欄干のみで、用水
     は消失)のたもとに1955年に建てられた碑があるのみ。
     この地点から180m北の「正覚寺」の門前には、この川から発見された道標(外町一里塚)
     が据えられている。
   P清洲公園【北緯35度12分59秒 東経136度50分24秒】。信長の像あり。公園の南にある五
     条橋は清洲越の際、名古屋の堀川へ移築されたと言われている。
   Q清洲古城跡公園【北緯35度13分04秒 東経136度50分30秒】。清洲古城址碑がある。
   R清洲城天守閣【北緯35度13分00秒 東経136度50分36秒】。清洲町制百周年を記念して平
     成元年に再建されたものだが、ちょっとけばけばしい感じがする。また、立地条件もよくな
     い。新幹線と東名阪高速道路に挟まれて落ち着きがなく、あたりの景色にそぐわない。
     さらに、城の南側にある製本屋さんの看板が気になる。ただし、お城よりずっと以前からあ
     った会社だそうなので・・・。
     月曜日は原則として休館。
   S名鉄新清洲駅【北緯35度12分39秒 東経136度50分09秒】

  

トップへもどる