中山道<南木曽〜須原>(南木曽町〜大桑村)


三留野(みどの)宿は、かつて妻籠と並んで栄えた宿場である。明治14年7月10日の大火で当時の姿は焼失したが(江戸時代にも数回の大火あり)、わずかに残る出梁造(だしばりづくり)や卯建のある家に当時の面影をしのぶことができる。
また、3体の円空仏が安置されている等覚寺は有名である。
近くには、近代遺産に指定されている桃介橋(福沢桃介が読書発電所の建設資材運搬用として架けたもの)や森の歴史館、福沢桃介記念館があり、宿場とは趣を異にした見逃せないポイントもある。
三留野宿を出ると、それ以後は時々「東海北陸自然歩道」の表示はあるものの、中山道という案内表示はほとんどないため、自分が中山道上にいるのかどうかはっきり確認ができない。
野尻宿(旧表記は野路里)では、街道の姿をわずかにとどめる格子窓と低い軒並みを見ることができる。ここは「七曲がり」と呼ばれる外敵を防ぐ曲がりくねった町並みで知られている(木曽観光同盟パンフレットより)。この宿場は寛政3年(1791)、文政7年(1824)、明治27年と火災に何度も見舞われた。
また、三留野から野尻までは木曽川沿いの中山道と、水害で通行不能となった場合のためのバイパスとして根の上峠(840m)を越える与川道(よかわみち)とがある。
そこで昔の旅人になった積もりで、機会を改めて与川道についても歩いてみた(細い紫線で移動軌跡を表示した)。南木曽駅から根の上峠を越えて野尻駅まで、時々道を間違えたり、休憩したりで丁度6時間かかった。なるべく、昔の道を忠実にたどっているせいか、民家の庭先を通ったり、生い茂った草をかき分けながら進む場面もしばしばであった。案内標識は大体整備されているが、完璧とは言えない。どちらへ進むかわからなくなったら、目を凝らしてあたりをぐるっと見渡すと大抵は案内標識を発見できる。
須原宿は正徳5年(1715)の木曽川大洪水で宿場のほとんどが流され、一段高い現在の富岡へ移転したので、宿場内を貫く道が広いのが特徴で、なんと言っても木舟は興味深かった。
また、慶応2年(1866)の大火で80戸を焼失、昔の面影はかなり失なわれた。
(参考文献:今井金吾著「今昔中山道独案内」)

【おことわり】
愛知県の自宅から、これ以上東へ進むためには、宿泊または高速道路の使用が必要となる距離になってしまいましたので、中山道ウォーキングは一旦、須原宿をもって終了させていただきます。

コース:P 駐車場→2分→@の地点(山の歴史館)→13分→Aの地点→18分→Bの地点(梨沢
     橋)→8分→Cの地点(本陣跡)→5分→Dの地点(分岐点)→13分→Eの地点→44分
     →Fの地点(分岐点)→9分→Gの地点(柿其水路橋)→8分→Fの地点(分岐点)→15
     分→Hの地点→7分→Iの地点(二十三夜碑)→48分→Jの地点→7分→Kの地点(明
     治天皇御小休所碑)→28分→Lの地点(合流点)→20分→Mの地点→34分→Nの地
     点→31分→Oの地点(分岐点)→15分→Pの地点(正岡子規の碑)→32分(鹿島神社
     経由)→Qの地点(歴史資料館)
日付:平成19年8月25日(土)、9月8日(土)
天候:晴れ
所要時間:6時間5分(紫線の区間および休憩時間を含まない。)
歩行距離:24.5km(紫線の区間を含まない。)

   コース地図を開く     ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
            (初期値は1/10000)      表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
                                 場合はこちらの「8」参照

                                 なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。


  (移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
 
1.、この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
  データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。

2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、先
  ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
  窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくださ
  い。
  地図の呼び出し方について、詳しくはこちら

6.留意点
 (1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
   ある。
 (2)上記地図の経緯度線は「世界測地系」(GPSではWGS 84)に従い、目安として手書きで表示したものであり、各地
   点の表示は「秒」までに止めた。青線の間隔は10秒(横は約250m、縦は約300m)ごとである。
 (3)高度表示については、約5m〜10mほどの計測誤差がある(ほとんど低めに表示されてい る)。
 (4)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。

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(各地点の説明)

   P 駐車場【北緯35度35分59秒 東経137度36分21秒】。天白公園の駐車場。
   @山の歴史館【北緯35度35分55秒 東経137度36分19秒】。歴史館の建物は、明治32年に
     御料局の庁舎として旧妻籠宿本陣跡に建てられたもので、その後吾妻橋へ移築されて、一
     時住宅として使用されていたものを平成2年にここへ再移築したものである。
     また、隣接して桃介記念館がある。
   Aの地点【北緯35度35分52秒 東経137度36分32秒】。中山道との合流点。
   B梨沢橋【北緯35度36分21秒 東経137度36分40秒】。この付近での本来の中山道はどこを
     走っているのかはっきりせず、広い道路をそのまま歩いた。
   C本陣跡【北緯35度36分31秒 東経137度36分42秒】。森林組合の敷地に、明治天皇御行在
     所記念碑がありその隣りに本陣跡の説明板が立っている。この敷地の左奥に枝垂れ梅
     が、さらに狭い道路を挟んで御膳水跡がある。
   D分岐点【北緯35度36分40秒 東経137度36分44秒】。中山道と与川道との分岐点で、「与川
     経由 野尻駅まで14.7km 4時間25分」と表示されている。
   Eの地点【北緯35度37分01秒 東経137度36分53秒】。Dの地点から坂道を下ってくると、こ
     の地点で19号線と合流する。ここからFの地点の少し手前までは19号線を歩くことにな
     るが、広い歩道があるものの交通量が多いので恐怖心を感じるほどだ。
   Fの地点【北緯35度38分23秒 東経137度36分49秒】。柿其渓谷方面への分岐点。柿其橋を
     渡ると八剱神社があり、社殿の裏側には樹齢500年余の大杉がある。
   G柿其水路橋【北緯35度38分22秒 東経137度36分35秒】。これは近代化遺産(国指定)に指
     定されており、水路橋の下に数台分の駐車スペースがあり、観光バスも来ていた。そこから
     急坂を登ると水路の内側を見ることができる。
   Hの地点【北緯35度38分53秒 東経137度37分03秒】。東側に小さな谷間が口を開けていて、
     19号線の下には谷川に沿って、建築現場のような簡易歩道が設置されている。
   I二十三夜碑【北緯35度39分04秒 東経137度37分12秒】。ここには多くの石仏や塚が集め
     られており、一段高い所に碑が建っている。
   Jの地点【北緯35度40分16秒 東経137度38分09秒】。与川道との合流地点。
     少し戻って、木曽川の阿寺橋を渡ると、阿寺渓谷へ行くことができる。
   K明治天皇御小休所碑【北緯35度40分17秒 東経137度38分10秒】。碑のすぐ隣り(東側)に
     消えかかった木製の「本陣跡」と書いた目立たない立て札が無造作に立っていた。
     この付近に東のはずれを示す「はずれ」の屋号あり?
     少し大桑駅方面へ行くと高札場跡がある。その横に南無妙法蓮華経と大書した碑の台石
     はイボ石と呼ばれ、この石に触るとイボが治るとの伝えがあるそうだが気付かず通過して
     しまった。
   L合流地点【北緯35度40分45秒 東経137度38分49秒】。19号線との合流地点。500mほど
     先に「明治天皇御野立所碑」があったが、樹木に覆われ上部が少しみ見るだけで、天皇の
     権威もここまで落ちたかという感じ。
    Mの地点【北緯35度41分03秒 東経137度39分44秒】。横断歩道あり。続いて左手奥に大桑
     駅を見ながら、長野宿橋(長野は間の宿)を渡り、道標に従い、天長院方面へ進む。
     天長院への入口に説明板があるが、この場所にはお小休み茶屋本陣があったとか。
   Nの地点【北緯35度41分23秒 東経137度40分21秒】。直前に「念三夜」の碑があったが、由
     緒は不明。
   O分岐点【北緯35度41分42秒 東経137度41分09秒】。ここには何の表示もないが、本来の
     中山道は左の脇道らしい。ただし、左手へ進んでも特に史跡らしいものはないので、真っ直
     ぐ進み、須原宿の広い通りを進み、定勝寺前のりっぱな木舟で喉を潤し、寺に立ち寄ること
     をお薦めする。
   P正岡子規の碑【北緯35度41分44秒 東経137度41分30秒】。この付近が本陣跡と思われ
     る。筋向かいに脇本陣の説明板がある。さらに同じ側(左側)の少し東に島崎藤村の「ある
     女の生涯」の舞台となった清水医院跡の説明板あり。
     その後、樹齢800年の大杉のある鹿島神社へ参拝。境内の雰囲気は荘厳だったが、社殿
     は不釣り合いに安っぽいものだった。
   Q歴史民族資料館【北緯35度42分02秒 東経137度41分30秒】。1986年に竣工したもので、
     木をふんだんに使った贅沢な建物である。
     木曽の山の樹木や山仕事、動物、民具、土器などの説明がされていたが、特に興味を引く
     ものはなかった。

 
  【参考】・・・与川道
   @の地点【北緯35度36分51秒 東経137度37分07秒 標高510m】。この地点にはカーブミラー
     と壊れかかったトイレがある。道標に「与川経由野尻駅 13.8km 4時間10分」とある。迷わず
     順調にいけば、この時間で到着できると思うが、実際には1時間以上の余裕をみておく必
     要があるだろう。
     コースはこの標識の位置で、舗装された林道を離れて、草むらの山道を進む。
   A廿三夜塔(にじゅうさんやとう)【北緯35度36分56秒 東経137度37分11秒  標高537m】。
     高圧線の鉄塔の東側の大きな岩の上に碑が建っている。
   Bの地点【北緯35度37分34秒 東経137度38分17秒 標高636m】。山道を下ると舗装道路
     の峠に出る。案内標識がある。
   Cの地点【北緯35度37分53秒 東経137度38分26秒 標高606m】。猪よけの柵が設置され
     ていてコース上には扉が設置されているので通行可能。
   D与川村庄屋屋敷跡【北緯35度37分55秒 東経137度38分30秒 標高620m】。民家の庭を
     横切って進むと案内板が立っている。さらに隣の民家の敷地を進むことになるが、さすが
     に迷惑だろうと、一旦舗装道路へ戻り、迂回して先へ進んだ。
   E御小休所(おこやすみじょ)跡【北緯35度38分15秒 東経137度38分57秒 標高661m】。
     薮の中に、傾きかけたトイレと四阿があったが、さすがにここで休憩しようとは思わなかっ
     た。かつては、展望が広がっていて休憩所には適していたのかもしれない。
   F阿弥陀堂【北緯35度38分37秒 東経137度39分16秒 標高677m】。堂宇は新しかった。こ
     の先のコースは、堂宇の右の道標のところにある草で覆われた階段を登って、消えそうな
     道?を進む。
   G根の上峠【北緯35度39分12秒 東経137度39分18秒 標高836m】。石仏道標から急な上
     り坂を進み、舗装された林道へ出る直前に中山道の案内図がある。トイレもあるが使用不
     可。
     峠の林道脇には道標がある。かつてはここにも御小休所が設けられていた。
     この地点からは、野尻駅までは舗装された林道を歩く。ここからの与川道が現在の林道と
     完全に一致していたとは思えないが、保存が不十分で消失してしまったのだろうか。


   紫線の各地点間所要時間(休憩時間を除き4時間44分 : Dの地点からJの地点まで14.7km)
    Dの地点→17分→@の地点→6分→Aの地点→54分→Bの地点→15分→Cの地点→
       4分→Dの地点→34分→Eの地点→28分→Fの地点→46分→Gの地点→1時間20分
    →Jの地点                     

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