中山道<落合川〜南木曽>(中津川市〜木曽郡南木曽町)

岐阜県内の中山道については東海自然歩道と、重複している区間および落合川までについては既に踏破した。そこで、さらに東へ足を伸ばしてみることにした。
今回は、距離的には2回に分けてじっくり歩くべきコースだったが、ついあせって1回で済ませてしまった。そのせいで、いくつかの歴史のおみやげを見落としたようだ。写真撮影に時間を取り過ぎ、加えて妻籠から南木曽駅までバスを利用しなかったために、最後には懐中電灯を持って歩くことになってしまった。しかし、全体としては案内標識が完備されていて、中山道を「探す」必要はなかった。
落合の石畳は、当時の状態で保存されているかと思ったが、かなりよく整備されていて、いささか味気なかった。
ここの説明板は、中山道の役目を的確に表していると納得のいく内容だった。曰く、
「この道は庶民が利用する生活の道というよりも、兵力の移動、西国諸大名を支配するための政治的、軍事的道であり、また容易に江戸に進入できないようにわざと地形的に通行困難なルートをとっているとも言われている」

馬籠宿は、土曜日とあって観光客が多かった。以前にも訪れたことがあるので、藤村の墓参りと五輪塔および新しく整備された馬籠陣場に立ち寄ったのみだった。
妻籠宿も、2回目だったし、急いでいたので短時間で通過してしまったが、町並みは電柱やテレビのアンテナが目立たないように配慮されていた。
後で、この付近のバス路線を調べたところ、馬籠へは中津川からバス(飛騨バス)がたくさん出ているし、南木曽駅からも便は少ないが運行(おんたけ交通)されている(季節、曜日によっては運休)。
妻籠〜南木曽駅間の連絡は、本数は多くないがバス(おんたけ交通)が運行されている(所要10分)。
また、JR中央線の南木曽駅〜中津川間は2時間に1本という時間帯もあるので、利用に当たっては事前に調査しておかなければならない。
私が今回利用した南木曽始発の中津川行きの列車は2両連結のワンマンカーであった。


コース:P駐車地点→20分→@の地点(石畳の西口)→15分→Aの地点(石畳の東口)→5分
     →Bの地点(旧県境)→40分→Cの地点(馬籠宿)→6分→Dの地点→5分→Eの地
     点(藤村の墓)→7分→Fの地点(五輪塔)→13分→Gの地点→3分→Hの地点(馬籠
     陣場)→25分→Iの地点→10分→Jの地点(馬籠峠)→11分→Kの地点→18分→L
      の地点→30分→Mの地点→37分→Nの地点(妻籠本陣跡)→58分→Oの地点(南木
     曽駅)→14分(列車利用)→Pの地点(落合川駅)→28分→Qの地点(おがらん四社)→
     5分→Rの地点(善昌寺)→15分→P駐車地点
日付:平成18年12月16日(土)
天候:晴れ
所要時間:片道6時間05分(休憩、列車利用時間を除く)
歩行距離:片道22.8km(列車利用区間を除く)

    コース地図を開く  ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
            (初期値は1/10000)      表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
                                 場合はこちらの「8」参照

                                 なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。


  (移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
 
1.、この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
  データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。

2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
  先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
  窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくださ
  い。
  地図の呼び出し方について、詳しくはこちら

6.留意点
 (1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
   ある。
 (2)上記地図の経緯度線は「世界測地系」(GPSではWGS 84)に従い、目安として手書きで表示したものであり、各地
   点の表示は「秒」までに止めた。青線の間隔は10秒(横は約250m、縦は約300m)ごとである。
 (3)高度表示については、約5m〜10mほどの計測誤差がある(ほとんど低めに表示されてい る)。
 (4)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。

******************************************************************************

(各地点の説明)

   P 駐車地点【北緯35度30分34秒 東経137度32分07秒】。落合宿高札場跡の石柱から
     細い道を下り、河川敷を思わせる広場に駐車。
   @石畳の西口【北緯35度30分44秒 東経137度32分30秒】。石畳への車は乗り入れ不可。
     東口までの石畳の総延長は800mである。
     この地点の少し手前(西)にある医王寺には「梅が香にのつと日の出る山路かな」という
     芭蕉の句碑がある。
   A石畳の東口【北緯35度30分52秒 東経137度32分55秒】。説明板と東屋あり。車7〜8
     台収容の駐車場あり。
     この休憩所を作った当時は展望が開けていたらしいが、今は樹木が伸びて展望はきか
     ない。
   B旧県境【北緯35度30分55秒 東経137度33分00秒】。平成17年2月13日に長野県木曽
     郡山口村が岐阜県中津川市に合併したため、県境は馬籠峠へ移動することとなった。
     この旧県境には、数軒の民宿のほか美濃と信濃の国境碑、一里塚、芭蕉の歌碑「送られ
     つ送りつ果は木曽の穐」、藤村の筆をもとにした「是より北 木曽路」の碑などあり。
   C馬籠宿【北緯35度31分28秒 東経137度33分55秒】。急坂の両側にはみやげもの店や
     食堂などが軒を並べている。この地形では利用しにくい不便な宿場だったのではなかろ
     うか。
   Dの地点【北緯35度31分34秒 東経137度34分00秒】。「下扇屋」と「やをや」との間の路
     地を進むと永昌寺へ通じている。
   E藤村の墓【北緯35度31分36秒 東経137度33分54秒】。この永昌寺の墓地には、島崎家
     累代の墓、島崎正樹翁の墓、母を葬るのうたの碑などがある。
     なお、藤村の墓には遺髪と爪が納められているとか。遺骨は神奈川県大磯町地福寺に
     葬られている。
   F五輪塔【北緯35度31分45秒 東経137度33分53秒】。菊姫(木曽義仲の異母妹)の墓と
     伝えられている。かつてはここに法明寺があったようだが、田んぼの傍らに捨てられた
     ような7基の五輪塔は、心なしか哀れさを誘う。
   Gの地点【北緯35度31分42秒 東経137度34分10秒】。Cの地点からここまで距離は800m、
     標高差は約60m。交差点のすぐ西にあるトイレの横から坂道を上がったところにも駐車場
     あり。
   H馬籠陣場【北緯35度31分43秒 東経137度34分14秒】。南、西方向に大きく開けていて、
     恵那山が丁度拝みたくなるような位置に見える。
   Iの地点【北緯35度32分03秒 東経137度34分50秒】。十返舎一九の句碑「渋皮の むけし
     女は見えねども 栗のこわめし ここの名物」、および休憩所あり。
     150mほど進むと「峠之御頭頌徳碑」がある。この地方には、牛方が多く住み、その頭分を
     牛行司と呼んでいた。彼らが安政3年(1856)に、中津川の問屋に対抗してストを起こした
     事件は、「夜明け前」にも出てくるが、その折りの牛行司「今井仁兵衛」を讃えたものであ
     る。
   J馬籠峠【北緯35度32分20秒 東経137度35分05秒】。山口村が中津川市に合併したこと
     により、この峠が県境となった。茶店があり、中山道は茶店の左脇から下る。
     ここまでの道は、概ねよく整備されていたが、この峠からはハイキングに適した素朴な道
     が続く。子規の句碑「白雲や青葉若葉の三十里」が立っている。
   Kの地点【北緯35度32分43秒 東経137度35分10秒】。一石栃(いちこくとち)の立場茶屋
     跡で、白木改番所跡でもある。近くに子安観音が祀られている。
     昔はこの辺りから、Lの地点付近までは特に大木が茂り、昼なお暗い気味の悪い道だっ
     たと言われている。今井金吾著「今昔中山道独案内)
   Lの地点【北緯35度33分10秒 東経137度35分19秒】。中山道の案内板に従い、地道の坂
     道を登る。
     舗装道路を進んでも、雄滝・雌滝を経由して旧中山道へ出ることができる。
     なお、男滝・女滝は吉川英治作「宮本武蔵」の舞台にもなっている。
   M庚申塚【北緯35度33分43秒 東経137度35分34秒】。この塚は大妻籠の南のはずれに
     位置する。大妻籠は妻籠の保存地区に含まれ、卯建のある古民家が数軒を並んでいる。
     観光客が多い妻籠宿の中心部よりその家並みはずっと魅力的な地区である。
     この塚のすぐ北側に一里塚があったようだが、気がつかなかった。
   N妻籠本陣跡【北緯35度34分38秒 東経137度35分43秒】。1500円でガイドを雇って、宿
     場内を案内してもらうことができるとか。
   O南木曽駅【北緯35度35分56秒 東経137度36分31秒】。バスターミナルがあり、この地域
     の要となる駅と言えるだろう。
   P落合川駅【北緯35度31分30秒 東経137度31分47秒】。無人駅。
   Qおがらん四社【北緯35度30分45秒 東経137度31分35秒】。4つの神社を併せて祀って
     ある。
     落合五郎兼行の屋敷跡(発掘調査結果ではその痕跡は発見されていないが)がある。
     なお、解説板によると「おがらん」とは、「大伽藍」からきていると推察される、とある
   R善昌寺【北緯35度30分45秒 東経137度31分49秒】。道路整備により、お寺は移設され
     たが、樹齢450年の松は「門冠(かぶり)の松」として当時のまま残された。
     道路の反対側には、落合村役場跡が公園として残されている。
     この落合宿も中津川宿と同様、宿場の町筋の中央には用水が流れていた、との解説あり。
     今も道路脇を清流がほとばしり、山陰の津和野を思わせる雰囲気がある。

   【参考資料:今井金吾著「今昔中山道独案内」】

トップへもどる