中山道<垂井宿〜滋賀県境>(垂井町〜関ヶ原町)

垂井宿内の移動軌跡や史跡については、他のサイトに記載したのでここでは省略する。垂井の一里塚あたりから関ヶ原の六部地蔵付近までは交通量が少なく、街道沿いのたたずまいも雰囲気があり、楽しく歩くことができた。ただし、旧道と平行して走る21号線は気にしないように努めた。
関ヶ原宿・・・壬申の乱(672年)の戦場にとなり、その後不破の関が置かれた。慶長5年の関ヶ原合戦はあまりに有名である。古代から現代に至るまで交通の要衝。関ヶ原は伊勢神宮へ通じる伊勢街道、長浜や越前に向かう北国街道への分岐点として大いににぎわった。
宝暦10年(1760)3月29日、強風にあおられて宿場全域が焼野原になった。復興後は防火対策として道幅を二倍に広げ、中央に水路を通し、その両側には梅、桃、柿などを植えて防火対策を講じた。
今須宿・・・慶長2年(1602)に設置された。関ヶ原と同様交通の要衝で問屋場は7箇所もあったという。
なお、地図上の紫線は別途訪問した際の移動軌跡を参考に追記したものである。
また、関ヶ原古戦場付近については、東海自然歩道を歩いた際の資料も参考にされたい。


コース:P駐車地点→18分→@の地点(西の見付)→15分→Aの地点(一里塚)→35分→Bの
     地点(六部地蔵)→6分→Cの地点(桃配山)→35分→Dの地点(八幡神社)→9分→E
     の地点(家康最後陣地)→22分→Fの地点(福島正則陣跡)→13分→Gの地点(自害
     峰)→12分→Hの地点→11分→Iの地点(大谷吉隆墓)→4分→Jの地点(大谷吉隆
     陣跡)→13分→Hの地点→23分→Kの地点(今須一里塚)→7分→Lの地点(今須本
     陣跡)→24分→Mの地点(県境)→5分→Nの地点(かえで並木)・・・帰路は省略

   (参考・・・紫線の部分)
    Eの地点(家康最後陣地)→15分→Oの地点(笹尾山駐車場)

日付:平成19年4月27日(金)
天候:晴れ
歩行時間:片道4時間12分(休憩及び紫線の部分を含まない)
歩行距離:片道16.7km(紫線の部分を含まない)

    コース地図を開く  ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
            (初期値は1/10000)      表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
                                 場合はこちらの「8」参照

                                 なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。


  (移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
 
1.、この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
  データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。

2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
  先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
  窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくださ
  い。
  地図の呼び出し方について、詳しくはこちら

6.留意点
 (1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
   ある。
 (2)上記地図の経緯度線は「世界測地系」(GPSではWGS 84)に従い、目安として手書きで表示したものであり、各地
   点の表示は「秒」までに止めた。青線の間隔は10秒(横は約250m、縦は約300m)ごとである。
 (3)高度表示については、約5m〜10mほどの計測誤差がある(ほとんど低めに表示されてい る)。
 (4)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。

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(各地点の説明)

   P 駐車地点【北緯35度22分25秒 東経136度31分43秒】。相川河川敷公園の駐車場を利用。
     ここから@の地点までの史跡等については他のサイトで紹介済みのため記載を省略した。
   @垂井宿西の見付【北緯35度22分19秒 東経136度31分18秒】。垂井宿の西の入口であり、
     安藤広重の垂井宿の浮世絵ポイントにもなっている。
   A垂井宿一里塚【北緯35度22分15秒 東経136度30分43秒】。南側の1基だけがほぼ完全な
     形で残っている。塚には松が数本植えられている。
     関ヶ原合戦においては、東軍の浅野幸長(よしなが)がこの付近に陣を敷いた。
     また、一里塚の東隣には、弘法さんを祀った日守(ひもり)の茶屋がある。江戸末期に、岩
     手(垂井町)の美濃獅子門「化月坊」が、常磐御前の墓所に秋風庵を建てた。それを明治に
     なって一里塚の隣に移し、中山道を通る人々の休み場として、昭和の初めまで盛んに利用
     された。
     Aの地点とBの地点の中間に伊富岐神社の鳥居があるが、この神社周辺については
     東海自然歩道のデータを参照。
   B六部地蔵【北緯35度21分59秒 東経136度29分26秒】。ここは休憩所になっているが、トイ
     レはない。駐車場あり。
   C桃配山【北緯35度21分55秒 東経136度29分18秒】。関ヶ原合戦において、当初家康はこ
     の周辺に陣地を置いた。
   D八幡神社【北緯35度21分45秒 東経136度28分07秒】。この神社の境内の一部は、かつて
     関ヶ原本陣の庭の一角にあたり、スダジイの巨木がその歴史を留めているほかは、当時
     の建物等(建坪は152坪)は残っていない。脇本陣(相川家)はすぐ南の中山道沿にあっ
     たが、今は建物の痕跡はなく、門だけが残っている。
     神社の北側の東海道線を越えたところに東首塚がある。この塚は、関ヶ原の戦い直後に
     家康の命によりこの地の領主竹中重門(竹中半衛の子)が築いたもので、家康によって実
     検された将士の首が祀られている。昭和15年に名古屋市の護国院大日堂と、その朱塗り
     の門が移築され両軍戦歿者の供養堂となっている。
     中山道沿いに西首塚がある。ここにも合戦後に両軍戦死者の遺体が数千体葬られており
     東首塚に対して「胴塚」とも呼ばれ、同じく竹中重門が造ったものである。
   E家康最後陣地【北緯35度21分56秒 東経136度27分55秒】。戦がたけなわになると、家康
     は本営を桃配山からこの地点に進出させた。戦が終わると部下の取ってきた首を実検し
     た。現在は陣場野公園として整備されており、すぐ東には歴史民族資料館がある(入館料
     310円)。
     関ヶ原合戦は慶長5年(1600)9月15日午前8時頃に開戦、東軍兵力74,000、西軍は
     84,000(諸説あり)で、8時間ほどの戦闘の後、東軍の勝利に終わった。
     各陣営の損害ははっきりしないが、5,000〜8,000人の死者が出たと言われている。
   F福島正則陣跡【北緯35度21分33秒 東経136度27分40秒】。春日神社境内に陣跡の碑が
     立っている。また、ここには樹齢800年の月見宮大杉がある。
   G自害峰【北緯35度21分28秒 東経136度27分16秒】。壬申の乱で敗れた大友皇子(弘文
     天皇)は大津で自害し、その頭はこの丘陵に葬られたと伝えられている。
   Hの地点【北緯35度21分31秒 東経136度26分52秒】。「大谷吉隆の墓」の案内標識が立っ
     ている。
   I大谷吉隆の墓【北緯35度21分44秒 東経136度26分59秒】。敵方の藤堂家が建てたもの
     で、木立に囲まれて山の中にひっそりと祀られている。
   J大谷吉隆陣跡【北緯35度21分35秒 東経136度27分02秒】。ここから南側の神社を経由し
     て中山道へ降りることもできるが、線路の横断には充分注意。
   K今須一里塚【北緯35度20分57秒 東経136度26分20秒】。塚はきれいに手入れされてお
     り、西側に隣接する駐車場はチェーン脱着所として整備されたもの。
     この塚は昭和30年ごろ国道工事の際に取り壊されたが、地元の要請で平成2年にやや
     東に復元された。塚の上には往時と同じようにエノキが植えられている。
   L今須本陣跡【北緯35度20分54秒 東経136度26分06秒】。学校の正門を入るとすぐ左側
     の駐車場前に生徒による説明板あるが、建物の痕跡は残っていない。
   M岐阜県と滋賀県の県境【北緯35度20分59秒 東経136度25分19秒】。狭い溝が近江と美
     濃の国境になっている。「寝物語の里」の碑あり。また、道の北側には芭蕉の句碑がある。
   Nの地点【北緯35度20分52秒 東経136度25分03秒】。この付近から西へ楓の並木が続い
     ている。かなりの老木もある。中山道を西への旅は一応ここで終了。
   O笹尾山駐車場【北緯35度22分14秒 東経136度27分35秒】。関ヶ原北小学校西側の石
     田三成陣跡は公園風に整備され、トイレあり。駐車場から30mほど高い位置に陣跡の石
     柱と物見台が整備されている。

                            参考資料:岐阜新聞社発行「中山道ウォークinぎふ」
                           垂井町観光関連パンフレット

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