日光街道(下今市〜東照宮)

突然、日光へ行く機会にめぐまれた。日光は五十数年ぶりだ。当時は、まだSLが走っていた頃だ。
せっかく、日光へ行くなら、是非杉並木を一部でも歩いてみたいと予定表に組み込んだ。
東武下今市の駅を降りると、とても静かですぐ間近に山がせまり落ち着いた雰囲気だ。異常な暑さに閉口していたが、都会を離れてほっとした気分だ。
この時期に杉並木をリックを背負って歩いている人はなく、壮大な歴史的遺産を独り占めした気分だ。背の高い杉並木が強い日差しから守ってくれるのもありがたかった。
確かに杉並木公園付近はよく整備されていたが、それ以外の部分では、歴史的に意義深い旧街道を全体として、守り、残していこうという熱意が不充分に思えてならなかった。

コース:@東武下今市駅→0.5km→Aの地点(追分地蔵)→1.1km→Bの地点(旧報徳役所跡)→
     1.2km→Cの地点(杉並木公園西口)→0.8km→Dの地点(砲弾打ち込み杉)→1.8km→
     Eの地点(杉並木街道案内板)→2.7km→Fの地点(JR日光駅)→1.3km→Gの地点
     (大横町歴史解説板)→1.1km→Hの地点(輪王寺三仏堂)→0.4km→Iの地点(陽明門)
     →1.5km(奥社立ち寄り)→Jの地点(大猷院)

日付:平成22年9月4日(土)
天候:晴れ
所要時間:約3時間10分(休憩時間を除く)
歩行距離:12.4km

    コース地図を開く  ここをはじめてクリックするとプラグインのインストール画面が
            (初期値は1/10000)      表示されるので、「はい」をクリックする。不具合が発生した
                                 場合はこちらの「8」参照

                                 なお、念のため他のウィンドウをすべ閉じておくこと。


  (移動軌跡データファイルのみの呼び出し方法および地図の利用上の留意点)
 
1.この上にカーソルを当て、右クリックで「対象をファイルに保存」を選択し、デスクトップに「移動の軌跡
  データ」を保存します。ここでは、そのファイルは開かないでください。

2.国土地理院の電子国土ポータルへジャンプする。
3.国土地理院のプラグインのインストール画面が表示されたら、「はい」を選択する。
4.小さな日本地図が表示されるので、「ファイルを開く」(ボタンは画面右側の作図パネルの下部に隠れている)で、
  先ほどデスクトップに保存したファイルを指定して、それを開くと、地図の上に「移動の軌跡」が合成される。
5.この状態では、まだ地図の縮尺が小さいので、縮尺スケールが600mほどまで拡大して利用します。地図の表示
  窓が小さいので見にくいが、印刷結果はとても鮮明です。不要になったら、デスクトップのファイルは削除してくださ
  い。
  地図の呼び出し方について、詳しくはこちら

6.留意点
 (1)地図上の赤線はGPSよる移動の軌跡を、手書きで地図に転記したもので、実際の軌跡データとは若干の誤差が
   ある。
 (2)上記地図の経緯度線は「世界測地系」(GPSではWGS 84)に従い、目安として手書きで表示したものであり、各地
   点の表示は「秒」までに止めた。青線の間隔は10秒(横は約250m、縦は約300m)ごとである。
 (3)高度表示については、約5m〜10mほどの計測誤差がある(ほとんど低めに表示されてい る)。
 (4)地図と緯度経度の関連付けをより明確に知るにはカシミール3Dのホームページのフリーソフトを利用されたい。

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(各地点の説明)

   @東武下今市駅【北緯36度43分32秒 東経139度41分33秒】。日光というから、駅前はもっと
     賑やかかと思ったら意外にひっそりしていた。
   A追分地蔵【北緯36度43分23秒 東経139度41分24秒】。正面のお堂には高さは2mほどあ
     る北関東一の大きな地蔵が鎮座していた。その周囲には奉納された小さな石仏がたくさん
     取り巻いていた。
     境内には、道標が二つあり、その一つには「右かぬま 左うつのみや」とあった。もう一つは
     判読できなかった。
     この地点は例幣使街道と日光街道との合流点でもある。例幣使街道にも杉並木があるよ
     うだが、足を踏み入れる時間的余裕はなかった。
   B旧報徳役所跡【北緯36度43分30秒 東経139度40分51秒】。入口には「旧報徳役所跡」「報
     徳今市振興会館」との表示があった。この地は二宮尊徳の終焉の地でもあり、敷地内には
     鍬と本を持った壮年の二宮尊徳の像があった。
     また、振興会館として使われている建物は、かなり古いもので、ガラス戸越しに中を覗くと、
     廊下には尊徳の偉業を描いた絵が並んでいた。この建物の裏側には復元された書庫
     建っていた。
   C杉並木公園西口【北緯36度43分44秒 東経139度40分21秒】。公園には古民家が2軒復
     元されており、そのうち1軒は「報徳庵そば・うどん」として人気があるらしい。
   D砲弾打込杉【北緯36度43分55秒 東経139度39分52秒】。付近は明治戊辰の役に官軍が
     日光に拠る幕府軍を攻撃した際に、前哨戦を行った所である。この杉の幹の凹んでいると
     ころは砲弾が当たって炸裂した跡である。
   E杉並木街道案内板【北緯36度44分08秒 東経139度38分44秒】。この場所は、今市宿(第
     一番目の千住から数えて20番目)と鉢石宿(日光街道の最後の宿)の間にあり、江戸から
     の距離は約34里(約136km)である。
     徳川将軍家みずから日光東照宮に参詣することを「日光社参」といい、最後の日光社参と
     なった天保14年(1843年)に第12代将軍家慶社参の時には、14万人余にもおよぶ大
     行列であった、との説明板があった。
   FJR日光駅【北緯36度44分50秒 東経139度37分20秒】。駅舎は大正元年に建造された白
     亜の洋館である。ホームに面して貴賓室が残っていて、時々一般開放しているようだ。
     乗客が多く、周囲にみやげも店が立ち並ぶ東武日光駅(200m西)とは対照的で、まるで
     別世界である。
     ここから東照宮方面へ向かう日光街道はなだらかな長い上り坂で、神橋との高低差は約
     70mある。
   G大横町歴史解説板【北緯36度45分03秒 東経139度36分36秒】。1662年(寛文2年)に稲
     荷町の洪水により流失した火の番屋敷がここに移されたことにより、この付近は火の番横
     町とも呼ばれた。
     その火の番を命じられたのが「八王子同心」と呼ばれた人々で八王子から日光に交替制で
     勤め、その後約200年もの間大火から社寺を守った。
     ここから500mほど進んだ神橋の手前右側に日光中興の恩人天海僧正、左側に板垣退助
     の銅像がある。
   H輪王寺三仏堂【北緯36度45分18秒 東経139度36分02秒】。輪王寺の三仏堂には、高さ
     8.5mの千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音の三体の仏像が祀られている。
   I陽明門【北緯36度45分26秒 東経139度35分56秒】。あえて説明の必要はないと思うが、
     解説板には「御所十二門の内の名称を朝廷から賜ったもの。後水尾天皇の御宸筆による
     勅額門、またあまりにも結構善美を尽くした門で見飽きないところから、ひぐらし門ともいわ
     れる。」とある。
     特にこの付近では、中国人の観光客が目立った。
     さらに、眠り猫の彫刻の下をくぐり、長い石段を登り、奥の院へ進んだ。
   J大猷院【北緯36度45分28秒 東経139度35分39秒】。輪王寺大猷院は徳川三代将軍「家光
     公」の廟所である。


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